アンブレラ

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アンブレラ

 傘越しの空の色。  雨越しの彼の笑顔が知りたくて。 「ダメです」  拒否を示した。きちんと考えもせず、ぽかんと口を開いた後、反射的に口にした。  少し驚いた顔と、瞳に宿る落ち込んだ色。 「あの、遅刻するんで」 「俺、梨高の二年で駒木って言います」 「へ、あ、え?」  こちらの困惑も目に入れず、彼は話し続ける。 「二年A組で、特進クラス。好きな教科は化学で……」 「遅刻」 「え?」 「しそうなんですけど」  こんなに話しているのを初めて聞いた。でも、あの女子と話している時もこんな感じに饒舌なのだろうか。  傘を持って立ち止まる二人は、道の邪魔になっている。私たちは歩き始めた。  ダメです、と言ったのを気にしているのか隣を歩くことはしない彼。  半歩後ろをドキドキしながら歩く私。  これは一体どういう状況なのだろう? 「わざわざ次のバス停から走って来てくれたのに断った? 自己紹介を阻止して歩き始めた? もしかして、本当はその人のこと嫌いだったの?」  友人は信じられない、という顔をした。もちろん、私も全てが信じられない。  今日の朝、目覚めるところまで時間が戻ってほしい。 「来週梅雨明けだって。やっと傘いらなくなる」 「バスも使わなくて済む……」 「それまでに決着つけること」 「え」  雨だ。しとしとと降ってきている。  様々な傘の色。私は今日、バスに乗ることを決めてきた。  いつもの場所に座って、彼が乗ってくるバス停を待つ。傘の先から落ちる雫を見ていると、あっという間に停まった。  彼が乗ってくる。あの同じ高校の子の近くに行くのかもしれない。 「隣、座って良いですか」  私の隣で止まって聞いた。頷いて、隣に座る。 「あの……駒……梨くん?」 「……駒木、です」 「え、ごめん!」  梨高に通ってる駒木くんだ。  くすくすと肩で笑う駒木くんは、「ちょ、ごめ」と言いながら笑いがおさまらないらしい。  むむ、と待っていると、駒木くんが小さく息を吐いた。 「大変申し訳ない」 「こちらこそ」 「名前、聞いて良い?」  私は少し考えて、特に答えもでないまま、返事をする。 「前島早織です、藤高の」 「前島さん、この前はごめん。急に来て何だって思ったよな」  何だ、とは思わなかったけれど、驚いた。 「ほら、前島さん。ずっとこの席に座ってなかったから、休みかなーと思ったんだけど傘さしながら歩いてるの見えたから。もしかしてこの前うるさくしたから乗るの躊躇ったのかなとか考えてさ」  駒木くんは饒舌だった。 「気づいたらバス停降りてて、走ってた」 「なんとなく、歩きたかっただけだから」 「本当に? あの女子、同じクラスの酒井っていうんだけど、うるさい奴で」  あの駒木くんと同じ制服を着た女子のことらしい。  やっぱり仲良いんだ。 「一緒に乗った方が良いんじゃない?」 「え、なんで?」  なんで、と聞かれても。  駒木くんが、早くに気付けばよかったと言ったんじゃない。  私の視線は傘の先から落ちる水滴に向く。綺麗な円だった水たまりはバスの揺れで歪んでいた。 「私、晴れたら自転車通学なんだ。だから梅雨明けたら、もうバスには乗らない」 「そうなの?」  頷いて、返す。バス停でバスが停まる。  梅雨が明ける前に、こうして駒木くんときちんと話すことができて良かった。  これであの辛口友人にもさっくりと言葉で切り付けられることもない、はず。  告白しろって言われてるわけじゃないし。 「俺も一緒に自転車通学して良い?」 「え?」 「や、ほら、こうやって隣に座ったのも何かの縁だし……」  曲がりますのでご注意ください、という運転手さんの声が聞こえた。構える前に、バスが大きく曲がる。  ぐらりと駒木くんの方に傾いて、肩がぶつかった。 「ごめん」 「大丈夫?」 「大丈夫。というより、一緒に通学って。だって定期あるでしょう?」 「これ一か月だから、もう少しで切れるよ」  定期ケースを出して見せてくれる。青い地にヒヨコが一匹。  意外に可愛い。 「あ、これは姉貴のを譲り受けたものだから!」 「……うん」 「顔背けても笑ってんの分かるから。ちょっと前島さん」  うんうん、と返事をした。さっき笑われたお返しとは思っていないけれど、結構笑ってしまう。 「私もひよこ好き」 「本当?」 「だからお姉さんと同じだね」  うーん、と考える顔。傘の下に作られた水たまりが、また姿を変えていた。 「まあ、登校の話は今は置いておいて。また急に、で申し訳ないんだけど」 「駒木くんは急なことが多いんだね」 「うん、本当は前島さんに一目惚れしてた」  歪んでいるけれど、よく見たら、ハートのカタチにも見える。 おわり。 20230623
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