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扉を開く。お疲れ、と声を掛けるが返事は無かった。鍵が開いているのなら部屋には居るだろうに応じてくれないなんて。親友なのに二人とも冷たいな。不満に思いながら扉を閉め、今度は襖を開ける。そこには正座でぶつぶつ呟きながら一心不乱に何かを作っている綿貫がいた。憑りつかれているようにしか見えない。おい、と声を掛ける。しかし顔を上げない。
「綿貫。おいコラ、何してんだ」
リュックを下ろし親友に近寄る。肩を叩くと、うわっ、とこちらを見上げた。
「びっくりした。田中、来ていたのか」
「気付いてなかったのかよ」
そこまで打ち込むとは本当に何をしている。覗き込むと大量のテルテル坊主が転がっていた。胸を撫で下ろす。取り敢えずお化けに乗っ取られたわけでは無さそうだ。
「随分作ったな、テルテル坊主。修学旅行中の晴天でも祈願しているのか。明日はハイキングだもんな」
俺の言葉に綿貫は俯いた。そして、違う、と呟いた。
「だってそれ、テルテル坊主だろ」
「違う。フレフレ坊主だ」
綿貫は転がっている一体を掴むと、窓の下にセロテープで逆さまに貼り付けた。
「フレフレ坊主だ」
「いや何でだよ」
額に手刀を見舞う。何故楽しい修学旅行でわざわざ雨を振らせたがるのか。意味がわからない。綿貫は、聞いてくれよ、と窓の外を指さした。
「さっき散歩をしていたんだ。この旅館、すぐ傍に湖があるだろ。十月だし、気持ちいい夜風が吹くと思って湖畔に行ってみたのよ。そしたらまあカップルばっかり。もうどうなっているんだ、うちの高校はと。風俗が乱れ切っているじゃないかと。ベンチで肩を組んだり木の影でチューをしたり、これはいけない。天誅が必要だ。だから俺はフレフレ坊主を作って雨を降らせることにした」
瞳孔が開いている。肩で息をするほどの勢いで捲し立てた。大した熱量だ。あのさ、と俺は優しく親友の肩に手を置いた。
「お前が禁止されている夜間の出歩きをしたことは棚に上げてやる。カップルに腹を立てる気持ちもわからんでもない。でも旅館のティッシュを大量に消費してフレフレ坊主を作るのは如何なものかと思う。俺達はもう高校生だぞ。そういう大人気ないことはやめて、心の中でバカヤローって叫ぶくらいに留めておこうよ」
「嫌だ。呪術で奴らに正義の鉄槌を下してやる」
そして俺の手を振りほどき再びフレフレ坊主を作り始めた。自分も違反行為をしたくせによく言うよ。
手を動かしながら小声で何か唱えている。耳を寄せると、雨よ降れ、雨よ降れ、と繰り返していた。
「どんだけフレフレ坊主を信用しているんだ」
「田中。俺は作る方に徹するからお前は窓辺に貼りつけてくれ」
「嫌だ。興味無い」
「ケチ」
綿貫は、雨よ降れ、と言いながらフレフレ坊主を作り続けた。鬼気迫る姿をスマホで動画に収める。もう一人の親友である橋本が部屋に戻って来たら見せてやろう。あいつは湖畔にいるのかな。彼女の高橋さんと一緒だろうな。俺は一人で暇なので横になる。
「折角同じ部屋に変えて貰ったのになぁ。退屈だなぁ」
皮肉交じりに言ってみた。しかし綿貫は見向きもしない。つまんないの。
俺は橋本と綿貫とはクラスが違う。だから本来は部屋も別なのだが、丁度二人と同じ部屋になった吉野君が俺に部屋を交換しないかと持ち掛けて来た。俺と同部屋の二人は吉野君と仲が良いそうだ。そして俺が橋本と綿貫とつるんでいることを吉野君は知っていた。素晴らしい申し出だ、渡りに船と快諾した。そして一応、部屋割り担当者のカトセンこと加藤先生に報告した。カトセンは適当だから、部屋を交換したいと頼んでも好きにしろとしか言わないだろう。無断で交換したら何かあった時に怒られてしまうが、許可さえ取っておけば責任は先生が取ってくれる。どらやき三つとペットボトルの緑茶を持って放課後の美術準備室を吉野君と一緒に訪れた。賄賂ではない。差し入れだ。
「吉野と田中が部屋を交換? うーん、まあいいだろ。ただし、皆がそれを言い始めたらきりが無い。こっそり、しれっと入れ替われよ」
案の定、あっさり許可が下りた。ありがとうございます、と頭を下げる。先生は早速どらやきを一つ食べ始めた。
そんな経緯を思い出していると、綿貫は作成から貼り付けへと作業を移行していた。セロテープで片っ端から窓枠へ貼っていく。相変わらず、雨よ降れ、と連呼している。明日はハイキングなのに雨天中止になったらどうしてくれる。代わりのレクリエーションは大ホールでアウトドア体験のビデオを見るという、どう考えても面白く無いものなのに。
「できた」
十数分後。満面の笑みでイカレポンチが振り向いた。額に汗が滲んでいる。取り敢えず現状を写真に収めようとスマホを構えた。綿貫がピースサインを繰り出し窓辺に立つ。窓枠どころかその下の壁一面に貼り付けられた無数のフレフレ坊主と、にっこり笑った創造主。
「ごめん。吐きそう」
「何でだよ」
綿貫に写真を見せる。前衛芸術みたい、と目を輝かせた。前向きに捉えすぎだろ。
その時。閉まっている窓に突然水がかかった。何事かと外を見る。物凄い勢いで雨が降り始めていた。
「嘘だろ。今日、雨の予報なんてなかったぞ」
振り返ると綿貫が腕組みをして胸を張っていた。
「どんなもんだ。見たか、フレフレ坊主の力」
そしてアホは窓を全開にした。雨が吹き込んでくる。窓際に置いてある橋本のリュックを慌てて引っ張り込み、濡れないようにした。綿貫は、逃げ惑えカップルどもぉ、と両手を広げた。大魔王の気分にでも浸っているのかな。窓の外を覗く。ジャージを着た男女の二人組。そいつらが三十人はいるだろうか、一斉に宿舎へ駆けて来る。夜間の出歩きは禁止なのに、どいつもこいつもよくやるよ。最悪、とか何だよ、という声が雨音に交じり聞こえる。まあ怒りたくもなるよね。そして恨み節が聞こえる度に綿貫の笑顔は輝きを増すのであった。
ところで、と顔を引っ込め考える。暗い外から明るい部屋の中はよく見える。つまり綿貫が窓を全開にして室内にいながらずぶ濡れになりはしゃいでいる様はたくさんの人に目撃されるわけだ。また奇行に走っていると思われるな。やれやれ。
その綿貫が、あれ? と呟いた。そして、田中、と手招きする。
「何」
「誰か来る。こっちに向かって走って来る」
「カップル達だろ。そりゃあこっちへ走ってくるさ。宿舎なんだから」
「いや、この部屋に向かって来ているんだよ」
綿貫の声は震えていた。俺は首を傾げる。
「ここに来るのはおかしいだろ。入口は建物を挟んで反対側だぞ」
「でも来ているんだよ。湖から、凄い勢いで。お化けかな。何でここなんだ」
「落ち着け。道を間違えた生徒だろ」
「滅茶苦茶速い。どうしよう。フレフレ坊主の呪いかも」
「フレフレ坊主の呪いならもう成就した。こんだけ大雨になったんだから」
「じゃあ呪いの対価か」
噛み合っているようないないようなやり取りをしていると、確かに足音が聞こえて来た。俺が再び外を覗き込むのと同時に、駆け寄って来たそいつは部屋の明かりの下に現れた。閉まっている側の窓を叩く。綿貫が悲鳴を上げて尻餅をついた。俺は窓が開いている方を指差す。ずぶぬれになったそいつは窓枠に手をかけ腰掛けた。凄い勢いで靴を脱ぎ、部屋の真ん中まで跳びこむ。
「こんばんは、高橋さん」
濡れねずみの女子高生に声を掛ける。脱いだ靴を手に持ち荒い息をついている橋本の彼女は、うん、とだけ応じた。
「高橋さんも外にいたんだ。今、物凄い土砂降りになったでしょう」
「最悪だよ。びっちょびちょ」
「タオル、使う? 俺の私物で良ければ、だけど」
「ありがとう。悪いけど貸して」
そんなやり取りの傍らで、床に引っ繰り返っていた綿貫はそっと窓辺へ移動した。見ないふりを決め込み、ドライヤーも使いなよ、と高橋さんを洗面所へ誘導する。彼女は振り返ることなく素直に従った。
「タオルを持って来る。そこで待っていて」
そう言い残してリュックへ駆け寄る。綿貫は自分の作ったフレフレ坊主よろしく窓辺に貼り付いていた。ナイス、とこちらに親指を立てる。別にお前のためじゃない。俺も共犯だと思われたら心象が悪くなる。とっとと片せと小声で指示すると、アホはまず窓を閉めた。そして急いで剥がし始める。俺はリュックから一番大きいタオルを取り出し洗面所へ戻った。ありがとう、と高橋さんが微笑む。
「髪とかしっかり乾くまで洗面所を使っていいからね。修学旅行中に風邪を引いたら勿体ないもん。橋本もまだ帰って来てないし」
「じゃあ遠慮なく。私、雨が嫌いなの。くせっ毛だからゴワゴワになっちゃうんだよ」
そして高橋さんはタオルで頭を拭き始めた。扉の近くにかけられているハンガーを洗面台に置く。ごゆっくり、と紳士的に、恭しく礼をした。
さて、取り敢えずこれで時間は稼げる。部屋へ戻ると綿貫はフレフレ坊主をゆっくり剥がしていた。
「もっと早く剥がせよ」
「駄目なんだ。ゆっくりやらないと壁紙まで剥がれちゃう」
ほら、と見せられたセロテープには灰色の塗料が付いていた。壁を確認する。意識しないと気付かない程度ではあるが白くなっているところがあった。一箇所なら問題ない。だけど全てのフレフレ坊主を同じように荒々しく剥がしたら。
「間違いなく叱られるな」
「そうなんだよ」
「しょうがない。高橋さんが髪を乾かしている間に急いでゆっくり剥がそう。見付かったら気まずいからな」
渋々手伝う。窓枠に貼り付いている物は、材が金属だし吹き込んだ雨で濡れているのであっさり剥がれた。躊躇なくゴミ箱にぶち込む。さよなら悲しきフレフレ坊主達。恨むなら君達を生み出した綿貫を恨め。
その時、窓の外から再び足音が聞こえてきた。荒い息の人物が辿り着く。
「よう、橋本。お疲れ」
ジャージの色が変わるほどびっちょびちょになった親友が立っていた。内蔵が飛び出るのではないかと思うくらい息を荒げている。お前、運動は苦手だもんね。橋本は窓を開け這い上ると背中から畳へ落ちた。高橋さんの華麗な入室とはえらい違いだ。何なんだ、と橋本が叫ぶ。
「ひどい有様だな。高橋さんは洗面所にいるよ」
「流石、田中。察しが、いい」
息も絶え絶えに褒めてくれる。すぐに洗面所へ消えた。いちゃつくんでも何でもいいから当分こっちに来ないでくれ。
しかし橋本はすぐに戻って来た。着替える、と言いジャージを脱ぐ。下に着ている体操服まで濡れていた。シャツに着替える。今度はズボンどころかパンツまで脱ぎ捨てた。
「濡れすぎだろ」
「マジでひどい雨なんだ。湖の方にいたんだけど、宿舎の入口は反対じゃん。そしたら丁度バカみたいに立ってる綿貫の姿が見えたから、直接部屋に入っちゃえってこっちへ来た。俺は足が遅いから、高橋さんには先に行ってって言ったの」
なるほど。結果、高橋さんより一分以上遅れて到着したわけか。そして綿貫は灯台の役目を果たした、と。
「良かったな綿貫、親友の役に立てて。それはそれとして早く片せ」
「だから壁紙まで剥がれちゃうんだって」
アホは半泣きでフレフレ坊主と格闘していた。まだ二十体は残っている。ようやく惨状に気付いた橋本が、何それ、と首を傾げた。
「フレフレ坊主」
「それはわかる。何でそんなものを壁いっぱいに貼っているのかって訊いているの」
説明しようとする綿貫に、お前は剥がせと手を振る。代わりに俺が橋本に顛末を説明した。綿貫が湖畔を散歩中に大量のカップルを見かけてムカついたこと。腹いせに雨を降らせてやろうと膨大な量のフレフレ坊主を作って貼り付けたこと。本当に土砂降りになってカップル達が逃げ惑う羽目になったこと。ついでに動画と写真を見せると橋本は綿貫に一発蹴りを入れた。
「痛ぇっ」
「ふざけんなバカ。風邪を引いたらどうしてくれる。俺も高橋さんもびっちょびちょになったんだぞ」
「橋本達がいるなんて知らなかったもん。本当に雨が降るとは思わなかったし」
「俺がいようがいまいが、そういうことをする根性が許せない」
珍しく橋本が語気を荒げた。何だよ、と綿貫もムキになる。
「いちゃつくお前らが悪いんだ。高校生の分際でチューなんかしやがって」
「チューくらいするわ」
「どうでもいいけど橋本、すぐそこに自分の彼女がいるのを忘れるなよ」
ドライヤーの音がするので聞こえていないとは思うが、一応念を押す。橋本は溜息をつき、とっとと剥がせとフレフレ坊主へ乱暴に手をかけた。慌てて止める。
「やめて、優しくしてあげて。壁材まで剥がれちゃうから」
「知るか、邪魔すんな田中」
「駄目だって。壁に傷が付いたら怒られるのは俺達だ」
舌打ちをして、橋本は再び洗面所へ消えた。情けなく俺を見上げる綿貫に、手を止めるなと言い放つ。すると俯いて、黙々と片付けを進めた。
気まずい空気に嫌気が差して部屋を出る。高橋さんは熱心に髪の毛へ温風を当てていた。ジャージは脱いでハンガーにかけられている。濡れた体操服が透けていて、更に気まずくなった。何となく廊下へ出る。まったく、修学旅行先で何をしているのやら。
ふとカトセンの声が聞こえて来た。ロビーで話しているらしい。暇なので赴いてみる。そこには水を滴らせた生徒達が集められていた。カトセンがバスタオルを渡しながら喋っている。
「僕だって注意するのは好きじゃないけどさ。一応、夜間の外出はしないように言ってあるよね。一人二人だったらしれっと見逃すけど、一体何人が出歩いているのさ。湖に落ちた人はいない? いや、いたら返事も出来ないか。ともかく、こうやって雨にも降られたわけだし、転んで怪我した人まで出ちゃった。君達ももう高校二年生なんだから、そういう分別はつけなきゃ駄目だと思わない?」
あーあ。カトセンは甘いけど、いざお説教が始まると長いんだよなぁ。でも先生、タオルを配り終わったらなるべく早く解散した方がいいと思います。それこそ風邪を引いてしまうから。
そっと部屋に戻る。橋本が自分のシャツを高橋さんに渡していた。修学旅行はあと三日もあるけど橋本は着るシャツが尽きやしないか。
「橋本、高橋さん。今、ロビーでカトセンが出歩いていた奴らに説教をしている。もしかしたら見回りにも来るかも知れない。高橋さんは取り敢えず隠れて」
「マジか。そんなに怒らなくてもいいのに」
「まあ夜間の出歩きは禁止だから。それにカトセンは乗り気じゃないけど、人数が多すぎて注意せざるを得なくなったみたいよ。隠れるならトイレか押し入れだな。高橋さん、どっちがいい?」
「押し入れ」
「だよね」
「その前にシャツを着替えさせて」
おっと失礼。橋本と揃って部屋に戻る。壁にはまだ十体以上のフレフレ坊主が付いていた。押し入れを開ける。何事、と鼻声で綿貫が問うた。
「ロビーでカトセンが出歩いた奴らに説教をしている。見回りに来るかも知れないから高橋さんには隠れてもらう」
え、と綿貫が言うや否や着替えた高橋さんが入って来た。アホは咄嗟に壁へ貼り付き体でフレフレ坊主を隠した。その様を見て高橋さんは目を丸くする。そりゃそうだ。
「どうしたの綿貫君。そんな窓際にへばりついて」
当然の疑問。さあ、何て返す?
「俺、雨音が好きなんだ。心が落ち着くから」
「雨でびっちょびちょになった人に言う事じゃない」
橋本がぴしゃりと叱った。お怒りはごもっとも。まあまあ、と宥めて高橋さんは押し入れに潜りこんだ。橋本に、お前も入れば、と提案する。赤くなった顔を左右に振った。初心ですわね。
綿貫は片付けを再開した。俺は濡れた窓辺を拭き、橋本はスマホを弄る。三人揃っているのに珍しく沈黙が訪れた。
不意に扉がノックされる。はい、と応えるとカトセンが入って来た。
「お前ら、全員いるか」
「三人とも揃っていますよ。何ですか」
白々しく応じる。それならいいけど、とカトセンは肩を竦めた。
「聞いてくれよ田中。今日は出歩く奴が多くてさぁ、どうにも皆、浮わついているの。だから念の為、見回りをしてんのよ。それに、さっき柄にもなくお説教をしちゃった」
「先生が説教なんて珍しいですね。よっぽどひどかったんですか」
「修学旅行で浮かれる気持ちもわかるけど、高校生なんだし自粛して欲しいよ。まったく」
その時、カトセンは綿貫の周りに散らかるフレフレ坊主に目を留めた。
「何やってんの」
「バカやってんです」
俺の即答に溜息をつく。ほどほどにしておけよと言い残してカトセンは出て行った。綿貫の奇行は先生方の間でも周知の事実なのかも知れない。
部屋に戻る。相も変わらず気まずい空気。俺は何のために吉野君と部屋を交換したのか。溜息が漏れる。あのさぁ、と言い掛けた瞬間。
「ごめん」
綿貫が呟いた。片付ける手を止め、橋本を見詰めている。橋本はスマホから顔を上げない。でも操作する手もまた止まっていた。
「ごめん、橋本。俺のひどい僻みだった。根性の捻じ曲がった行為だ。お前が怒るのも無理はない。だけど、本当に橋本と高橋さんを狙ったわけではなかった。カップル達にムカついて、むしゃくしゃして、それで雨よ降れって思って。こんな風にフレフレ坊主を作っちゃった。結果、お前と高橋さんをずぶ濡れにした。悪かった。本当に、ごめん」
そうして綿貫は頭を下げた。橋本はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと綿貫へ向き直った。
「わかったよ。お前はそういうところがあるもんな。俺は許す。ただ、後で高橋さんにもちゃんと謝ってくれ」
綿貫の元へ橋本が歩み寄る。ありがとう、とアホは抱き着いた。橋本は強めに綿貫の背中を叩いた。やれやれ、一件落着。ようやく楽しい修学旅行の再開だ。
橋本は、まだ壁にくっついているフレフレ坊主を指さした。
「それにしても凄い数を作ったな」
「ティッシュ一箱、空にしたからな」
「そりゃあ雨も降るわ。本当にひどい天気だったぞ」
「ごめんって。でも凄くない? フレフレ坊主の力」
二人の後ろから、だけど鼻がかめないな、と割り込む。おう、と親友達が振り返った。
「田中もごめんな。折角同じ部屋にしてもらったのに、喧嘩しちゃって」
綿貫が俺にも謝った。首を振る。
「いいよ、仲直りしてくれたから。さっさと片付けてトランプでもやろうぜ」
「そうだね。三人でやればすぐに終わるよ」
「ありがとう、田中。橋本」
仲良く片付けに取り掛かろうとしたら、押し入れの襖が開いた。高橋さんが四つん這いで出て来る。
「何の話をしているの?」
そう訊かれて背筋が寒くなった。まずい。口元は笑っているけど目に全く感情が乗っていない。絶対怒っている。だけど誤魔化しようがない。証拠となるフレフレ坊主は壁に貼り付けられ、ゴミ箱の周りにも転がっている。そして今の話はきっと聞こえていた。綿貫の被害者として怒っているに違いない。
しかし橋本と綿貫は楽しそうに説明をした。綿貫が大量のフレフレ坊主を作ったから雨が降った、と。
「馬鹿。お前らな、高橋さんもびっちょびちょになったんだぞ。ニコニコ報告しちゃ駄目だ。まずはごめんなさいだろ。特に綿貫。お前、本当に反省したのか」
慌ててフォローを入れる。そこでようやく二人は、しまった、と口を押さえた。遅いわ。しかし高橋さんは意外な言葉を口にした。
「心配しないで、田中君。雨に降られて機嫌は悪いけど、君達に怒ってはいないから」
「いや、でもこんなに大量のフレフレ坊主を作って雨を降らせたんだよ?」
そう言うと、小さく笑いを漏らした。ようやく目に光が宿る。どうやら本当に雨で機嫌が悪かっただけらしい。
「三人とも、本気でフレフレ坊主が雨を降らせたって思っているんだね。たまたまゲリラ豪雨と重なった、とかじゃなくて、フレフレ坊主が原因だって信じて疑わないんだ」
確かに、俺も綿貫も橋本も、フレフレ坊主のせいだと信じ込んでいた。指摘されてようやく気付く。子供かよ。
可愛いね、と言い残し高橋さんは部屋を出て行った。残された俺達は、顔を見合わせ赤面した。
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