愛に一番近い感情

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 名刺に触れた指が止まった。 「……え?」  弾かれたように顔を上げて、彼の顔と表情を伺う。  京介さん。弟は景斗くん。何より……  できすぎた話。他人と偶然にしては、似すぎてる。  少し、間が空く。 「……あの、」 「ああ、どうかそれ以上は聞かないでくれますか」  穏やかに制され、口をつぐむ。  おじさまは改めて背筋を伸ばして私の方を向いた。 「素敵な作品を書いてくださり、ありがとうございます。私もおかげで、妻や息子たちとしっかり向き合える気がしてきました」  ゆっくり礼をされ、私も動揺を隠すように返した。 「そう言っていただけて、光栄です」 「では、私はここで失礼します」  そして彼はそっと背を向けエスカレーターに乗り、下の階へ降りていった。  姿が見えなくなって少しして、はっとしたように私も駆け寄った。  この建物はB1から二階までが吹き抜け空間になっていて、喫茶店のすぐ前あたりから一階にある施設のメイン入口付近が一望できる。ちょっと探すと、すぐその姿を見つけた。  見ると、彼は一階のフロアを凛とした姿勢で歩き、そのまま振り返ることなく建物の外へ出て行った。  ドアの向こうへ消える後ろ姿を見送った瞬間、さっと血の気が引くのを感じた。
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