第7話「性という概念」

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第7話「性という概念」

 私は鰯雲の揺蕩(たゆた)う、晴天の澄んだ青空を見上げながら、整然としている墓地の中を、歩いていた。  彼女が亡くなってから、七カ月が経っていた。 ***  私は彼女の名前が刻まれた、墓石の前まで来ると、手に持っていた百合の花束を、そっと供えて、合掌した。  彼女には薔薇が似合うと、勝手に思っていたが、葬儀の時に供えられた百合の花も、彼女に大変似合ってると思ったからだ。彼女に対する新たな発見だ。心が躍る。 「……また来るね」  そんな訳はないのに、彼女が微笑んだように感じた。自惚れも良いところだ。だが、それで良いのだ。人間関係なんて、そんなものだ。 ***  沢山の墓標を眺めながら、私は墓地の出口に向かった。途中で銀杏の並木道があり、黄色く鮮やかに色付いている。 (……キレイ)  桜の並木道とは、また違う美しさがあった。緑だった葉っぱが、若さを失い黄色くなって、その生を終えようとしている。  もう終えるだけなのに、何と美しいことだろう。  私は、彼女のようには生きられない。きっと、どんどんみっともなくなって、汚らしく老いていくだろう。  でもこの銀杏の葉のように、せめて最後は、命のともしびを輝かせ、終わっていきたい。  彼女のような、花の美しさとは違うし、それは「女」の美しさとは違うだろう。  その「枯葉」はまさしく「人生」だ。人の生なのだ。  そう分かった時、私は「女」の性から解放されて、すうっと心が軽くなった。  思えば美しかった彼女は、美しいが故に「女」という性に、誰よりも縛られている、不自由で可哀想で、でも女という性を誰よりも楽しめた、幸せな人だったのかもしれない。  ジェンダーレス――正直、人が雄と雌で子孫を残すシステムから、解放されない限り、決して「性」からは逃れられないだろう。  どんなに人間の理性と思想が発達しようが、二十万年構築して来た、遺伝子の記憶が、意識だけで変わると思えない。  ただ人が、「肉体」や「老い」から解放された時、本当の意味で「性」からも解放され、彼女の言う「美しさ」から「女」は解き放たれるのだろう。  恐らくと言うか、決して私が生きてる間には「性」から、「女」から、自分が解放されることはないだろうが、せめて――  私は石畳に落ちていた、鮮やかな黄色の銀杏の葉っぱを一枚拾い上げた。  せめて、この銀杏の葉のように――  きっと彼女がここにいたら、「それが貴方にはお似合いね」と何も悪びれることなく、私に(のたま)うのだろう。  中途半端な美貌の持ち主に言われたら、イラッとして、喰ってかかったかもしれない。  だが、そうな気にさせない程、私にとって彼女の美しさは完璧だった。  私はもう決して、会うことの出来ない彼女を思い浮かべて、ふふっと自然に笑みが溢れ、同時に瞳から涙が一雫、頬を伝うのを感じた。  哀れなど思っていない。彼女の死は必然だった。美しいままで、この世界から消えていくことが、きっと彼女の唯一の望みだった。  だが、どうしても老いて醜くなっていく彼女を、私は想像出来なかった。  だって、彼女は老いてもきっと美しかった。  瑞々しい薔薇ではなくなるかもしれないけど、「男」が求める美しさとは、違うものになったかもしれないけど、私にとってはきっと、永遠に美しかったに違いないのだ。 「女は美しくなければ生きている価値がない――ではなく、美しい女は、存在しているだけで価値があるのだ」と、彼女に伝えたかった。 ***  もしこの生が終わり、生まれ変わることがあったなら、遠い先の未来の、もしかしたら来るかもしれない「性」のない世界で、全く価値のなくなった「女の美しさ」を携える彼女に、こう伝えたい。 「それでも貴方は、誰よりも美しく、永遠に私の特別な人――」 終わり
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