その心の行く先は。

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 この世界は、異形頭──  頭部が人間ではなく、肉体は人間の形をしている者たちが多く住む。  人口は多すぎず少なすぎず、異形頭が多く住む街──ハコベラ街の端の端にある町医者は今日も閑古鳥が鳴いている。 「せんせ、ちょっと、やばいよ!」 「ん、なに。どうした」  誰もいない待ち合い室で寛いでいたら電球頭の少年が入ってきた。  おんぼろな建物は祖父から受け継いだ、入院はできないが病室は最低限二部屋あり事務関連の部屋やら倉庫やらはある病院兼住宅。  父の代までは栄えていたが、自分の代では大きな総合病院もできて閑古鳥。まぁ、それだけの理由ではないだろう。 「病院の前に! 首の上がないヒトが倒れてんの!」  大声を張り上げている少年の言葉に重い腰をあげる。『首のないヒトが倒れている』状況に覚えがとてもある。放っておいても大丈夫な気はするが、初見の少年の心臓には悪い光景だろう。 「ほら、なにこのヒト、生きてる? 死んでる?」  興味半分、恐怖半分な少年の後ろから覗けば、病院の目の前の車道に横たわる男。  見覚えがあるのが残念だし、このまま寝かせていても問題はない。  この世界の住人は「頭」がなければ死ぬ。それ以外は適度に壊れても死にはしないし、胸を刺されてもケロッとしていることが多い。医者に言わせればすべて治療対象なので検査には来て欲しいところだが、この男は少しばかり違う。 「……坊主、コイツは死んじゃいない。頭部はないが生きているから、ひとまずはうちのベッドに転がしとく。声かけてくれてありがとうな」 「ほんと?」 「あぁ、ほんとだ。なにせコイツがうちの病院の前で倒れてるのは初めてじゃねぇからな」  電球頭の少年は心配そうに首なし男と医者を交互に見て、なにか納得したように頷いた。 「せんせ、知り合いみたいだし、お医者さんだし、よろしくお願いします」 「おう、任された。坊主も気を付けて帰れよ。今日のことは内緒にしといてくれ」 「……うん、内緒」  バイバイ、と電球頭の少年が駆けていくのを見送り、横たわったままの男を抱えて院内の処置用ベッドに転がす。脈は正常、呼吸もどうやってか正常、血圧も安定している。問題はない。 「……常連になるなつったろうが」  首なし男のハイネックを捲ると「木」があり、手足は人間と同じように見える。  本来人間の身体とさして変わらない見た目をしているはずの異形頭からすれば、異常な見た目であり、頭部が勝手に切り離されてどこかへ行くのはもっと異常なことだ。  病院の窓を開け、換気ついでに男の「頭」が戻ってくるのを待つだけの仕事だけなら開院している必要もない。 「さっさと時間外にしておこ」  そそくさとドアのタグを「本日の受診は終了しました」に切り替え、鍵を閉めれば自分の時間。なにをしていても、していなくても問題はない。使ってはいないが備品確認をしながら男の目覚めを待つことにした。  ひとり、ひとつ、命と共に。  その肉体には『魂』が宿る。  古くから言われている言葉。  暗唱できるほど言われ続ける。  その理にも似た言葉の重さは、どこにあるのだろう。 「瑞夜(みずや)さん、ベッドありがとうございました」  木の枝で編まれた鳥籠のなかに蝶が入った頭──先ほどまで首なしだった花菱(はなびし)の声で起きたことを知った。 「おはようさん。飯食う?」  驚くことはない。いつものパターンだ。 「いただきます」 「俺の飯と一緒だから、おにぎりと味噌汁だけど」 「一番美味しいやつですね」  手伝います。と手を洗う花菱のスペースを空けながら味噌汁の味を確認する。今日は菜の花を入れた。 「あ、季節ですねぇ」  パタリと蝶がはためく。 「……味噌汁にはなにを入れてもうまいからな」 「美味しいですね。知らないことを教えてもらうのは瑞夜さんがはじめてだなぁ」  はためく蝶は感情を表しているのか判らない。 「それは、よかった」  花菱は穏やかな声を荒げたことはなく、異形頭は感情が判りにくいが情緒も穏やかで安定している印象だ。だから、瑞夜は花菱が倒れているのを見かけると連れて帰るようにしている。  ──わぁ、ありがとうございます。僕なんてそこら辺に置いといてもよかったのに。  最初に拾ったときに言われた言葉が引っ掛かっているのだ。  ──この男は、本当に穏やかなのだろうか?  人口は多すぎず少なすぎず、異形頭が多く住む街──ハコベラ街の端の端にある町医者は、今日も閑古鳥が鳴いているのには、いくつか理由がある。  街一番の総合病院が中心部にできたのは父の代のとき。名医も多く、施設や医療機器も新しいからと多くの患者はそっちに移った。  もうひとつの理由は、瑞夜。  先にも述べたとおり、多くの異形頭は、頭部以外は人間の身体とさして変わらない見た目をしているはずだが、瑞夜も違っていた。手足以外はガラス。中身は重水という少し変わった水が入ってるらしい。 「見た目で呪いだなんだって言われちゃなぁ」  コポリと重水が動く。医者になった理由でもあるこの身体。  純度の高い透明な水とガラス。空気なのか気泡が沸き立ち、消えていく。  見ている分には美しいが、四肢以外全て異質な姿を知ると人々は離れていった。 「花菱の身体も、同様なのかねぇ」  最初に発見して、服を寛げたときには胸あたりまでは木でできていた。同族といってはなんだが、同じような状態の人に会ったのははじめてで興味があるのは事実だ。 「ねよねよ」  あれこれ考えても意味などない。思考の海では答えなどでないときは寝るに限る。自室のベッドに潜り込み、ベッドサイドの明かり魚が泳ぐ水槽をノックして眠りについた。  不思議なほど彼は穏やかで全てを諦めているような気がした。 「なぁ、花菱は好き嫌いある?」 「なんでも食べますけど、瑞夜さんが握るおにぎり好きです」  最初から決めていたように軽薄で。 「お前、なんで道路の真ん中でいつも倒れてんだよ!」 「はは、ほら大丈夫だったじゃないですか」 「俺が通りかからなかったら轢かれてたぞ」 「大丈夫ですよ、車は通らないので」  まるで未来を知っているようで。 「僕、瑞夜さん綺麗だなって思うんですよね」  こちらがほしい言葉を、くれる男。  ──なぜか、嘘くさいと思ってしまう。  こちらの言葉は聞いてもいなさそうなのに。 「暖簾に腕押しってこんな感じか?」 「なんの話です?」  普段は病院(職場)と家(同じ建物)を行き来するだけの瑞夜が珍しく居酒屋に来ていた。居酒屋の店主は酒瓶の頭を持つ大柄で人の良いオヤジで、父の代からの顔見知りでもある。 「いつか戻らなくなる帰蝶の話、ですかね」  とりとめのない話もできる唯一の年上で、瑞夜を恐れない存在だ。 「うーん、今は帰ってきているんでしょ?」 「まぁ、俺が拾うばかりです。それに、俺が欲しい言葉をくれるのに、どこか嘘くさいというか、こう、俺をみてないというか……。俺の言葉もアイツに届いてないというか……」 「恋でもしたのかと思ったけど、少し違うみたいだね」  おじさんには難しいなぁ。と呟きながらグラスを磨きながら考えてくれる。  瑞夜と一緒に、同じことを。 「ちょっと話はずれるんだけどさ。おじさんね、昔、大失恋したのよ」 「え? おやっさんが?」 「そーなんだよね! まぁ、今は良い思い出だけど」  あっはは! と豪快に笑う店主は磨き上げたグラスを丁寧に棚へ戻した。 「振られた原因は、俺の頭が酒瓶だったからなんだって。相手さんが、アルコールダメでね。それが理由で振られちゃった」 「えぇぇ、おやっさんいい人なのに……」 「で、今その人はワンカップ頭の人と結婚してる。当時、その人はアルコールと相性が最悪と言われてたんだけど、今はそうでもないって判ったらしくてね。ほんと、異形頭って不思議だよね。人間のような姿だけど、頭は違って、脳みそも心臓だってどこにあるかわからなくて、それでも生きてるんだよね。時間の流れと共に考えて、誰かと関わって、感情を動かして、日々忙しいんだ」  包丁がなにかを切る音、氷が作られては落ちる音。BGMに流れる音。全て記憶と共にある。 「そのさ、瑞夜くんの帰蝶さんは『今』を生きてるのかね? 異形頭って結構寿命長いじゃない。だから、その間に疲れちゃたのかもよ」  おじさんは疲れている暇なんてないけどね! とまた豪快に笑う店主の言葉に驚いた。 「疲れた、のか」 「瑞夜くんは考えすぎだけどさ、案外考えることをやめた人だっているかもよ? わからないけどね」  最後のビールを飲み干し、瑞夜は帰路についた。  少し遠回りをすると海が見える。  夜の海は全てを呑み込むような恐ろしさと、全てを許すような不思議な場所だ。  潮風に吹かれながら考え事をするのも悪くない。 「帰蝶っていっても、俺の家が帰る場所ではないんだけどさ」  名前以外知らない男だ。いつか別の借宿を見つければそちらに行くだろう。 「アイツのことなにも知らないな」  寂しさよりも、なにも知らない。 「知らないほうが幸せかもしれませんけどね」 「ひぃっ?!」  耳元で聞こえた声に驚いた。 「あは、こんばんは。こんなところでなにをしてるんですか? 瑞夜さん」 「花菱、驚くだろう!」 「あはは、珍しいところでお会いしたので声をかけただけですよ。海には近づかないじゃないですか」 「まぁ、そうだけど。むしろなんで花菱がいるんだ? こんな深夜に」 「僕大体海にいるんです」  ガラガラと音がする袋を持ち上げる。中身はゴミだ。 「ゴミ拾いか」 「はい。まぁ、海はどこにでも接してるんですけど。この海岸はなんとなく綺麗にしたくて」  多くはない街頭が逆行になり、花菱の籠の中がどうなっているのか判らない。  海は『果て』。ゴミが集まる場所であり、異形頭が生まれる場所と言われている。 「なぁ、俺の前でも作ってなきゃだめか?」 「え……」 「え?……あーあの、ほら、今日はちょっと酔ってるから帰るな。お前も、ほどほどにして帰るんだぞ」  思わず走り出した。かなり不審者だと自覚はあるが、瑞夜は自分の言葉で心臓が冷えた。言わずにいようと思っていた言葉を、酒を飲んでいたとはいえ吐露してしまったことに罪悪感と自責の念を持った。  ひとり、ひとつ、命と共に。  その肉体には『魂』が宿る。  古くから言われている言葉。  暗唱できるほど言われ続ける。  その理にも似た言葉の重さは、どこにあるのだろう。  きっと、異形頭に表情を作れる顔があったら今の彼の顔は「やっちまった」だろう。  深夜の海辺を走り去る後ろ姿を眺めながら、花菱は行き場を失った手をもて余していた。 「んんー、まいったなぁ」  蝶の入った籠を掻く。  瑞夜に言われた言葉に驚きはしたが、別に怒ってもいないし、彼はやらかしてもいない。ただの事実を述べただけだ。 「転けてなきゃいいけど」  近づいただけで酒の匂いがしたから、それ相応には飲んでいるはずだ。できたら今日のことも酒と一緒に忘れてくれるといいのだが……と思ってしまう。  ガラガラとうるさい袋を縛ってごみ捨て場に置けば、収集車が回収してくれる。 「……こまったなぁ」  今まで関わってきたなかでも一番といっていい程、瑞夜は丁度いい距離感だった。  名前のある関係を希望されない、家に住めとも言われない、ただそれだけで十分だった。いずれ消える相手など気にしない。感情など忘れてしまえばいい。  そうすれば、痛みも苦しみも感じなくていいから。そう思っていた。 「ままならないな」  海を掃除するのも、自分たちのような異形頭が増えるのは嫌だと誰かが言ったからで、自分で考えて行動するということは、ほぼしてこなかったが故に判らない。 「……、……よし、明日聞いてみよう」  判らないことは誰かに聞いてみるといいと教えてくれたのは誰だったか。  聞ける相手がいることは幸せだと教えてくれたのは誰だったか。 「魂とは、どこに宿るのか、なんて考えたこともないな」  いつも誰かが傍にいて、いつの間にかいなくなる。  それが普通で、一時の温もり以外を求めてはいけない気がしていた。  眠る場所も、生きていることも、最低限できていればいいと思っていた。 「はじめてなんだ、僕を僕として見てくれる人は」  この感情の名前はなんだろう。  ──きっと瑞夜のためなら僕はなんでもできる気がする。  気がつけば朝だった。 「……い、たい」  痛覚などほぼない花菱の首筋に激痛が走り、うまく動けないことに気がついたのは意識が戻ってすぐだ。 「……うーん?」  痛みを覚えるようなことをした記憶がなく、今いる場所に検討がつかなかった。 「あ、おはようございます。お名前わかりますか?」  丸形のフラスコのような頭をした看護士が声をかける。 「名前は花菱ですけど、僕どうしたんですか?」 「花菱さんね、えーと実はあなたが早朝に海辺で倒れていたので救急搬送されました。なにか記憶にありますか?」 「いえ、全く。お酒は飲まないし、頭があるなら倒れている理由がわかりません」 「そうですか、わかりました。この後、警察の人が来ます。同じ質問をされるかもしれませんが、答えてください」 「え、はい。わかりました」  パタパタと早歩きで戻っていく看護士を見送った。  前日の記憶を思い出せば、瑞夜が帰ったあとそのまま仮住まいにしている小屋に戻ろうとしてからの記憶がない。痛覚というものはほぼ機能していないからなにがあったかは判らないが、今日になって首筋が痛むということは、なにか鈍器で殴られたのだろうかと推察して、やめた。  別に自分の命が消えようと関係ない。 「……です、緊急です! 頭部欠損の激しい患者が搬送されました!」  ざわつく院内でひときわ大きく聞こえた声。  頭部欠損は、多少でれば自己治癒で治るもしくは、頭部の付け替えによって生き長らえることができるが、仮に頭部が交換できず欠損が大きい場合死ぬ確率が高くなるのだ。  さざめくような患者の噂話が聞こえてくる。 「搬送されたの、もしかして忌み児じゃないか?」 「あぁ、街の端にある町医者くずれか。まだ生きていたんだね」 「あの見た目ではどこまで割れているかわからないよね……」  波のように声が大きくなって、消えていく。  焦燥感のような、喉元になにか詰まっているような嫌な感覚がする。  大切ななにかが、指の間からこぼれ落ちていくような感覚。 「……あの、今搬送された人、病室ってどこになりますか」  通りかかった看護士を捕まえて問いただした。 「あのね、花菱さん。自分も重症なんですから落ち着いてください」  赤いランプ頭の警察官に諭されながら、もぎ取った点滴のカテーテルを看護士に直してもらう。 「知り合いなんで、ちょっと気が動転しました」 「ちょっと気が動転した。で、点滴を外さないでください。それから、他の患者さまの情報は、個人情報なのでお教えできません!」  バサリ、バサリと籠のなかの蝶が羽ばたくが、外にでようとはしない。 「では、お伺いしますね」  実力行使しようとした花菱に苦笑いをしていた警察官が、気を取り直して話を進めた。  殴られる前に、瑞夜と会っていたこと。瑞夜は酒を飲んでいたこと。花菱は酒は飲まないし、犯人の顔を見ていないことを伝えて話は終わった。 「災難ですむ話じゃないですが、災難でしたね」 「あ、えーと。そうですね。瑞夜さんを襲ったヤツは絶対捕まえてください」  警察官のライトが一瞬光った。 「自分のことより、もう一人のことが大切なんですね。少し待っててください」  パタパタと走ってどこかへ行き、帰ってきた。 「もう一人の方ですが、一命は取り留めたそうです。病後の具合次第では一般病棟にはいるそうです。これ、オフレコでお願いしますね」  こっそりと瑞夜の病状を教えてくれた。 「ほんとですか」 「はい。また瑞夜さんが意識を取り戻したら事情聴取にきますので、その際はまたお話を伺うかもしれません。よろしくお願いします」 「はい、わかりました」  知らずのうちに入っていた力が抜けていく。 「……ここのお医者さんも、いい人ばかりですから大丈夫ですよ」  優しく光る赤いライトがくるくる回る。  信用してもいいのだろうと感じる自分に感情が追い付かない。 「はい、ありがとうございます」  身体の末端までじんじんと熱くなり、どこかわからない場所から水が漏れてくる。 「全力で事件解決しますので、お待ちください」  敬礼をして立ち去った警察官は、花菱のベッドのカーテンを閉めていった。  ひとり、ひとつ、命と共に。  その肉体には『魂』が宿る。    古くから言われている言葉。  暗唱できるほど言われ続ける。  意識が戻った瑞夜は、それまで大きな一人部屋となっていた花菱の隣のベッドになった。  まだ完全に頭部が修復されているわけではないため、中の水は少なく、空気の音も小さい。 「瑞夜さん……よかった」  生きている。  目の前で。  それだけで、花菱は呼吸がしやすくなる。 「……はなびし、ずっっっっとそれじゃねぇか」  頭部のガラスが完全に修復されるまでは頭部を動かすことを禁じられている瑞夜は、前を向いたままため息を吐き出す。 「だって、生きた心地しなくて」 「……俺もだ。俺も、集中治療室でお前の名前を聞いた瞬間、心臓が冷えた。自分が死んだんじゃないかと思うくらいには体温が下がった気がした。だから、俺は生きてる」  ふん。と鼻息荒く言いきった瑞夜に、思わず失笑した。 「泣きそうだったり、笑ったり、忙しいヤツだな」 「知ってました? 僕、生きてきたなかで一番安心しました」 「そうか」 「はい」  蝶が羽ばたく。 「蝶、いなくなってないんだな」 「そうなんですよね。まぁ、病院で頭なくなるの嫌なんでありがたいです」  突然消えた頭部と生きたままの患者。なんて医者泣かせだろう。 「まぁ、お互い怪我治そうぜ」  時間はある。お互いを知るにはいい機会だと思う。 「そうですね。治ったらまた、おにぎりとお味噌汁食べたいです」 「いいぞ。作り方教えるから手伝えよ」 「はい」  明日の、未来の約束ができる喜びを知った。  少しの気恥ずかしさと、嬉しさで胸が一杯になっていた。  瑞夜の頭が再生し、花菱の首の傷が落ち着いてきた頃。  二人を襲った犯人が見つかった。 「犯行理由は、異端を殺せ。という神のお告げ……らしいです。現在調べているんですが、薬物などの使用経歴はないので、思想的な話なのかわからなくてですね」  うーん。と頭を悩ませる赤いライト頭の警察官が言うことには──  今回捕まった犯人は、とある思想を崇拝する集団の一人である場合がある。  その場合、今回捕まった犯人以外にも同じ犯行を犯す人物が現れるかもしれない。  ──ということだった。 「……思想って、身体まで人間ではない素材の人物を殺す。というような物騒なものですか」 「はい、なにかご存知でしたら教えて頂きたいと思いまして」  ゆっくりと話す花菱の声が、普段と違う気がした。警察官には分からない些細な違和感は瑞夜の心を重くする。 「花菱?」 「いえ、僕は海の近くで借り住まいをしているんですが、どうも海とは逆の山のほうからよく煙がでているのを見たことはありますが、そういう集団に関わったことはないですね」 「そうですか、山からの煙も気になりますので調べてみます。ご協力ありがとうございます」  会釈をして帰っていった警察官が見えなくなり、看護士が検温に来るまでの間無言が続いた。 「花菱さ、魂ってどこに宿ると思う?」  瑞夜の問いに、花菱は無言で答える。 「俺さ、医者じゃん。これでも内科医なの。外科ほどじゃないけど、体内のことはわかんのよ。それでもさ、普通は心臓にあるとかいわれるけど、自分のことはわからないんだ。頭と同じガラスで、中身は水で。透明じゃん。だけど、あるはずの心臓とか肺とか、そういうものが見えないのに、普通に生きてるんだよね」  いつ退院できるかね。退院したらどこか行こうか。と話していたときと同じ声。 「さっきの話。異端だって、いわれてたの俺だし。お前はちょっと頭の蝶がどっかいくけど、最近行かないし、俺に関わってたから狙われたんじゃないかっておもったら、なんか、さ」  瑞夜の声がだんだん小さくなり、途絶えた。 「……瑞夜さんがやったわけじゃないので、僕は貴方にどうこう思うことはないです。それに、僕だって、樹木みたいなのが肺あたりまではありますし、なにか問題なんですかね。その他大勢の『普通』以外を排除するのも、特別視して祀りあげるのも、僕は好きじゃないんです。だから、瑞夜さんは気にしなくていいことです。警察がどうにかしてくれるはずですから」  大丈夫です。と繰り返す花菱の声に、瑞夜は少しだけ落ち着いた。  ひとり、ひとつ、命と共に。  その肉体には『魂』が宿る。  古くから言われている言葉。  まだ退院許可はでていない深夜。  花菱は同室の瑞夜が寝静まったのを確認して、こっそりと病院を抜け出した。 「久しぶりの外の空気だな」  病院の消毒の匂いも嫌いじゃないが、ずっといたいとは思わない。 「ふふ、瑞夜さんの病院ならいいんだけどな」  警察のサイレンが鳴り響いて近づいてくる。 「まだここがあると思ってなかったんですけど、気にかけていてよかったと今日はじめて思いました」  海に近い森のなか。コンクリートで作られた倉庫のような施設の祭壇にある写真は瑞夜のもの。 「相変わらずの趣味だな」  施設にいる者たちは地に伏せて動かない。司祭と呼ばれている金属の鳥籠の異形頭男以外は全員気絶させられている。  殺意はない。殺しもしない。ただ、確認がしたかった。 「オレの次は、この人だったんだ。でも残念。アンタは警察にいくのさ。この写真の人と、オレを殺しかけた罪でね」  余罪もある。しばらくは牢獄から出てこれないだろう。 「……あのときの、子ども。なんで生きてるんだ」 「そう、アンタたちに心酔した両親に殺されかけた子ども。ちゃんと覚えてたんだ? えらいね」  花菱の子どもをあやすような言葉に司祭が呻く。  蝶がゆっくりと翅を広げて、閉じる。 「ねぇ、オレの頭。どこにやったの」  蝶がするりと木でできた鳥籠から抜け出すと同時に頭部が消えた。 「ひぃっ!」 「ね、オレの頭。どこ?」  司祭は化け物を見たように叫び、気絶した。 「……あーあ」  これで、瑞夜のそばにいれば彼を守ることはできるだろう。  頭部がない花菱は、そのまま病院へと戻ることにした。別に頭部がなくても支障はない。いつも倒れていたのは主に空腹と疲労のせいだ。 「さっさと戻ろ。首痛いし」  蝶も二、三時間すれば戻ってくる。それまで隠れていればいい。 「瑞夜さんのために」  彼の平穏のために、なんでもできそうだ。  ひとり、ひとつ、命と共に。  その肉体には『魂』が宿る。  青空と海。  退院して最初に来たのは花菱の借り住まいだった。 「うわ、なんもないな」 「早く病院のドア直るといいですね」  簡素なワンルーム。  カーテンも家具も、食器も家電も、寝具すらない。借りたままの部屋だ。 「お前、よく生きてるな」 「よく行き倒れてた理由です」  さすがに恥ずかしいなと考えながら椅子のひとつでも拾っておけばよかったと思う。 「……まぁ、いいだろ。うん。二、三日で直るらしいし。本来睡眠は必要ないんだから」 「え、僕はいいですけど、瑞夜さんはダメです。毛布くらいならどっかにあった気がするんで、それを下に敷いて寝て貰うしかないんですけど」  木でできた鳥籠の中で蝶が翅を開く。 「大丈夫だって、むしろお前もまだ安静にしてなきゃいけないんだから落ち着け。コンロあるし、ガス通ってるし、うちから鍋持ってくればどうにかなる。案外、生きていけるんだな」  コポリ、コポリと気泡が浮かんで消えていく。 「あの、色々考えたんですけど。僕は、魂は、心と肉体に宿ると思います」 「え」 「だって、心臓も、考える脳ミソも、どこかにあってそれがあるから僕らは生きているんです。だったら、臓器だったりに宿る『なにか』が魂なんじゃないかなって、思いました」  ガシャンと音がして、瑞夜の目の前を蝶が飛んでいく。 「え、お前、頭!」  花菱の頭部だった木でできた鳥籠のようなものは地に落ち、首からぐんぐん伸びる枝に瑞夜は目を瞪った。 「お前、本当は木蓮だったのか」  ぐんぐん伸びた枝から咲く、白い花が瑞夜の頭部に映る。 「……わぁ、すごいですね」 「ふは、他人事みたいにいうんじゃねぇよ! 本物の頭部があったなんてはじめて見るし、聞いたこともないんだからな」  女性が腕を空に伸ばしたようにも見えるその花は美しい。 「瑞夜さんのほうが似合いそう」  枝先に最初に咲いた花が、ガクから落ちて瑞夜の頭部に触れ、中に入った。 「え」 「え?」  花菱の言葉を示すように入った花を見て瞠目してしまう。 「なに、なにがあったの。この家鏡ないからわかんないんだけど」 「あー、いえ、うん……瑞夜さんに似合います」 「は?!」  しゃがみこむ花菱を介抱しながら理解できない瑞夜はなにか鏡のようなものはないかと探すが見当たらない。 「瑞夜さん、僕は思っていた以上に貴方のことを好ましく思っているようです」 「……っはぁああ?!」  なにも知らない瑞夜の声だけが、海に響いた。
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