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 別に来る義理も無ければ、特段期待していた訳でもないはずだったが、俺はしっかりと15時にカウンセラー室の前に到着した。ぴったりに到着した為、10秒と経たずに大戸がドアから出てきて「行くぞ」と歩き出した。こうして隣に立ってみると、大戸は中肉中背で特別威圧感がある体躯では無いが、顔面に貼り付けられた笑みが逆に普通体型を不気味な物へと昇華させている。  俺は何が何だか分からずに着いていくだけだったが、しばらく歩いた後目的地に到着すると、絶句せざるを得なかった。  そこは前に俺が働いていた、ファミリーレストランだったからだ。 「そうだそうだ、薬を飲んどかねえとな。これから笑ってられるかはわかんねえし」  そう言って薬を飲む大戸を見て、俺はどうしようもなく不安になった。  大戸がドアを開け、店内に入る。アルバイトを辞めてから、この店に近付くたびに動悸がするようになっていたのだが、入るとその症状は一層と強くやった。 「何ビビってんだお前。今は客なんだから堂々としとけ」  二名だ、と店員に言い放ち席にずんずんと歩いて行く彼を見て、本当に資格を持ったカウンセラーなのか改めて疑わしくなった。 「何でこの店に来るんだよ」  声を潜めて、大戸に問いかける。さっき応対した店員は知り合いじゃなかったが、ここではいつ誰に会うか分からない。 「何でって、お前が昨日バイト先の場所言ってただろうが。だから、今日見本を見せてやるんだよ」 「見本って何の」 「見ときゃ分かるから見とけ。後、お前の言ってた先輩って誰だ」 「何故そんなことを」 「良いから教えろって。姿は探さなくて良いから名前教えろ。後そいつは何だ?大学生か?」 「・・・石井さん。二個上のフリーターだった。」 「何だ、下らねえ。そんな奴の言う事まともに聞く必要も無かっただろ」  俺はその言葉には答えられなかった。聞くも聞かないも、人間の立ち位置はその場の雰囲気で決まる。俺の発言権は無いに等しい事が当たり前だったし、悪口に対して言い返す気力も無かった。と言うか、そもそも選択肢が無かった。 「取り敢えずボタン押したから、もう直ぐ来るぜ」  いつの間に。誰が来るのだろうか。いや、その前にトイレに逃げるべきか様々な思考が記憶のフラッシュバックと共に浮かんできて脳内をマドラーでかき混ぜられた様になる。気付けば身体を屈め、誰が来ても気付かれない様に下を向いていた。 「ご注文は如何なさいますか」  その声を聞いて、俺の動悸はいっそう強くなった。このテーブルに一番きて欲しく無かった人物が来てしまったからだ。 「えーっとな、このAセットと・・・」  そんな俺をお構いなしに、大戸は注文をしている。俺にこんな仕打ちをして、こいつは何をしたいのだ。と怒りと困惑の感情が混濁する。注文をさっさと取って石井は後に消えていき、大戸は何事もなくタバコを吹かしている。だが、この店は全席禁煙だったはずだった。   「この店は注文を取りに来てる奴が料理も渡しに来んのか?」  しばらく喋らないと思っていたら、大戸はそう問いかけてきた。意図が分からなかったが、取り敢えずそうだ、と答えた。 「そうかそうか、じゃあちょうど良いな。もう直ぐ来るだろうし、見てろよ」 「だから何を」 「お待たせ致しました」  大戸の意図を理解できずに困惑していると、石井が料理を運んできた。咄嗟に下を向く。石井は気付いて居るのだろうか。とにかく時間が過ぎ去ってほしかった。 「おい、この料理ちげえぞ?俺はチキンステーキのAセットを頼んだんだよ」 急に、大戸が石井に向かって文句を言い始めた。何をいきなり言うんだ?理解が出来ずに顔を上げると、石井も同様の表情をしていた。 「しかしお客様、先程ハンバーグステーキのセットの方を頼んでましたよね?」 「おいおい、このメニュー表見ろよ。俺はさっきこのチキンステーキを指差したんだぜ。お前が横のハンバーグと勘違いしたんだろうが。言い訳する前に何か言う事はねえのか?」  とんでもない言い分の様に聞こえるが、俺は大戸が頼んでいる時下を向いていたので真相は分からない。 「でも・・・」 「おいおいおい、何回も言わせんなよ?俺はチキンステーキを頼んだんだ。間違えた事に対して何も無いのはまだ良いとして、交換対応もしねえのか?」 大戸は表情を険しくして、石井に詰め寄っていた。笑っている以外の表情を今、初めて見た気がする。 「お前、使えねえな」  大戸が極め付けにそう言い放つと、石井は苦虫を噛み潰したような表情になり、裏へと消えていった。そして数分後、ちょうど用意していた物があったのか比較的早く持ってきた。 「お待たせしました」 「おいおいおいおい、間違えておいてそれだけかよ!せめて文頭に「大変」を付けるべきだろ。本当使えねえなお前」 相変わらず大戸は更にそう捲し立てると、石井は眉間に皺を寄せ、露骨に不機嫌そうにした。 「お前みてえな使えねえ奴が、人に使えねえなんて言う資格ねえんだよ。どんぐりの背比べって知ってるか?分かったらさっさと裏に消えろ」  お構いなしに大戸はそう言い放つと、石井は黙って裏へと消えて行った。どんぐりの背比べと言う事は、あまり俺の事はフォロー出来ていないでは無いか。そう思ったが、悪い気分では無かった。  フロアの裏から何か大きな音が聞こえたが、気のせいかもしれない。
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