Aの音が鳴り響いたら

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 ミドリとの日々は、裕也を大きく成長させた。  それなりに知名度もあがり、 「知り合いにレコード会社の人がいるけど」  そんな声もあった。 「今度、アマチュアのステージがあるけど」  そんな誘いもあった。  ミドリはその度に、頬を膨らませた。 「なんで断るのよ」 「今はまだ、ここでやりたいから」  裕也はいつも、この一点張りだった。  演奏後、弦をクロスで拭き上げる。  もっと大きな舞台でギターを奏でたい気持ちはある。  しかし、わかっていることがある。  ミドリの夢はミュージカル女優だ。  自分の夢に付き合わせるわけにはいかない。  そしてなにより、徐々に胸を締め付けられてきた現実がある。  客はいつも、ミドリばかりを見ているのだ。  人が増えれば増えるだけ、それに気付かされる。  誰かが笑顔になればなるほど、心の中では泣いていた。   「どうしたの?」 「いや……なんでもないよ」 「わかりやすいにもほどがあるよ。どうしたの?」 「ミドリはさ、いつ女優になるの?」 「え?」 「だから、いつまでこんな所にいるの?」 「……なにが言いたいの?」  裕也は深く息をつくと、ミドリに明るく笑いかけた。 「あのさ、ミドリ。こないだスカウトされたんだ」  ミドリはいつもの膨れっ面で口を尖らせる。 「どうせ断るんでしょ?」 「いや……受けたよ」  ミドリの顔が途端に明るく、綻んだ。 「それじゃあ、やっと私達」 「いや、違うんだ……俺だけ、スカウトされた」 「え?」 「大手の事務所の、専属ギタリストにならないかって。いろんなアーティストと、いろんな場所で演奏できるって」 「……そ、そうなんだ。よかった……よかったね」 「お客さんの紹介で。俺の親父がやってたことと、同じことをすることになった」 「……うん」 「だから俺、夢が叶ったよ。だから、ミドリも──」  ミドリは出会ったあの日と同じように、裕也を直視できないとでも言うように、夜の街を見つめて言った。 「ご、ごめんね……うれしくて、涙が出ちゃった」
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