Aの音が鳴り響いたら

11/13
20人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ
「あれ? 今日彼女は?」 「えっと……しばらく、お休みで」 「ふーん、そっか。じゃあまた来るね」  男性は去り際に「あ、そうだ」と申しわけなさそうに、空の缶に硬貨を投げ入れた。  あれからミドリは来ない。  露骨に客が減った。  しかし、弱音は吐いていられない。  自分で選んだことだ。  ギターを抱え、弦を押さえ、右手を振る。  奏でるのは、誰もが知るヒット曲だ。  聞けばテンションが上がり、生きる活力に繋がるような、アップテンポのメロディーが夜の街へ響き渡る。  明るい曲が好きになった。  楽しそうな客を、たくさん見てきた。  この街が、人々が、好きになった。  隣で、美しい歌声を響かせる姿を、何度も見てきた。  楽しそうな姿を、何度も見てきた。  その声が、明るい性格が──。  このまま、こんな日が続けばいいと、何度も何度も、夢に見た。    曲が終わり、空を見上げた。  目の前には誰もいない。  隣にも、誰もいない。  そんな現実から目を逸らすように、暗い夜空を見続けた。  これではスピーカーから音楽を垂れ流しているのと変わらない。  サラリーマンたちが、肩を組んで歩いて行く。  若い男女が、じゃれ合いながら通り過ぎる。  常連客が、そそくさと去って行く。  なにもなかった、そこには誰もいなかった。  そんな心の声が聞こえてくるようだった。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!