Aの音が鳴り響いたら

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 数日後、あぐらをかいてギターのチューニングをしていた裕也の視線の先に、ジーンズと白いスニーカーが近づいてきた。  顔を上げると、大人と呼ぶにはあどけなく、子どもと呼ぶには意志の強そうな目が裕也を覗き込む。 「やぁ、夢を買ったお兄さん」 「あの……どちらさまですか?」 「なに、もう忘れたの? 私よ、私」 「まさかその声、こないだの」 「そうよ、ミドリって呼んで。お姉さんは、もうやめたから」 「え?」 「さぁ、はじめるわよ」 「は?」  ポカンとする裕也をよそに、女性は発声練習を始めた。  美しい声に、数日前の記憶が押し寄せる。 「あの、なんでまた」  動揺する裕也に、女性は腕組みをして言った。 「あなた言ったじゃないの、私にも夢が買えるかって、聞いたとき」 「あぁ……」  確かに言った。  いろいろあり過ぎて頭が混乱気味だったが、言ったのだ。  思ったままのことを。  きっと、いつでも誰でも買えますよ──。   「じゃあ、やろっか。そういえば、名前は?」 「あ、はい、僕の名前は──」  簡単な自己紹介を済ませ、あの日を思い出し、Aのメジャーコードから鳴らしてみると、美しい声が応えてくれた。  歌声はあの日と変わらず素晴らしかった。  しかし、違和感もあった。  前回よりも、垢抜けていない。  透き通る声ではあったが、ロングトーンや高音では掠れる、大人びた声だった。    一曲終えた裕也は、ミドリにたずねた。  それに対して、ミドリは膨れっ面でぶっきらぼうに応えた。 「失礼ね。今年で二十一歳よ」  お姉さんは、もうやめたとミドリは言っていた。  今は夜の明かりが似合わない容姿と、どこまでも透き通る声に、言葉の意味を理解した。  
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