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12、蘇る地方色
大子の公民館は、かつてない興奮に包まれていた。何せ、10年以上の空白期間を経て、アユが食えると言うのだ。これには喪失感に苛まれた人々は一転、狂喜乱舞しながら、ここに集結する。
老若男女が揃う長蛇の列。しかし、そこに年齢の壁を感じさせない。年甲斐もなく声をあげて笑う老人も、飛び跳ねて待つ少年少女も、顔つきは全く同じだ。違うのは、せいぜいシワの深さくらいである。
「早うしてくれぃ! もう待ちきれなくて堪らんわい!」
「ママァ! アユって美味しいんだよね? おばあちゃんが言ってたもん! じゅわっとして美味いぞって!」
しかし、いかに列が伸びようと、急かされようとも供出が早まることはない。列を誘導する面々の負担が増えるだけだった。
「ちゃんと列に並んでくれ! 人数分あるから心配するな!」
ジアンが拡声器を片手に叫ぶ。それでも期待満面の顔は堪えが利かない。結果、最前列付近はツメツメという有様である。頻繁に声をかける事で、将棋倒しだけは防いでいた。
だから、一品でも早く仕上がる事が望まれた。
「良いかい皆、気張るべよ。腹すかせた小僧共が、今か今かと待ってんべ」
調理場で激励するのはタネである。失伝したレシピを知る、数少ない人物だ。厨房に料理好きの街人を集め、フル稼働で作らせている。それでも追いつかない。やがて熱気と疲労でダウンする者が出始める。
そんなイベントを敢行するために、コウタやツムギまでも調理に駆り出された。担当はしたごしらえ。ツムギがウロコを剥ぎ、コウタがアユを洗うと、次の作業者に渡す。
作業そのものは難しくない。途方もない量が問題であった。
「ヌメりって単語を考えた奴は天才だよな。だって他に喩えようがねぇもん」
「ああっ! コウタ君が疲れのあまり『語源』について考えだした! お願いだから集中して?」
「いや、こんなん無理だし、無理。ちょっとくらい待たせりゃいいじゃん。こちとら矢面で戦ったんだぞ」
「そうだけどさ、皆喜んでくれるもん。だったら少しくらい頑張ろうって――」
「思わん。別に」
「だよねぇ……。はぁ、私の腕が8本くらいあったらなぁ。いろんな調理がズバババーーンって出来るのになぁ」
ツムギが、割と古風な願いを口にした。もちろん戯言、ぼやきの類である。
しかしコウタは真っ向から受け止めた。戯言を真剣に聞く程度には、脳が暇を持て余しているのだ。
「腕8本? それは、むしろ遅くなるだろ。他の手と同じ作業してぶつかったり。卓上塩を4本の手で取ろうとして倒しちゃったり」
「そうかなぁ。そこは練習次第じゃない? 指だってホラ、一本ずつ動かせる――」
「ホレそこぉ! 無駄口叩いてねぇで、早う下ごしらえすんべよ!」
「はい、ごめんなさぁいッ!」
「う〜〜っす。やっときま〜〜すァ」
タネの叱咤で、2人は作業に戻った。それからは延々と単調作業である。ウロコを剥ぐ、洗う。ウロコを剥ぐ、洗う。剥ぐ剥ぐ剥ぐ、洗う洗う洗う。
どれだけ調理しただろう。あと何度繰り返すのだろう。そもそも人はなぜ生まれ、苦しむのか。この命はどこへ行く。何を欲し何を尊ぶ。いつしか心の中は禅問答に染まっていった。
やがて苦痛が苦痛でなくなり、愛すべき隣人と変わり果てた頃。ツムギの左手が虚空を掴んでしまう。そちらをふと見れば、あるべき物が無い。
「あれ、からっぽだ……」
続けてコウタも、洗うべき物が無いと気付く。
「おいタネばあさん。アユを切らしてんぞ。追加を持ってきてくれ」
「いや、もうお終いだよ。アンタらも良く最後までやってくれたね、お疲れさん」
「お終いって、終わりって事か?」
「当たり前だろうよぉ」
「お終いってことは、もうやらなくて良いのか?」
「だから、そう言ってンべよ」
「クァァァーー! マジかよぉ! 一生このままかと思ってたけど終わったぁーーッ!」
「大げさだべ。まだ2時間も経ってねぇのによ」
コウタは話の途中で、大きくノビをした。腰は怠く、足裏も熱を持っており、あちこちで小さな痛みを感じた。
「とっとと休もうぜツムギ。もうヘトヘトだ」
「ごめん、指が強張っちゃって。包丁が離せないんだ」
「しょうがねぇな。ほぐしてやるから、ジッとしてろ」
「いたたっ。もうちょっと優しく、ゆっくり」
「マジかよ。じゃあ、こんな感じで」
「痛い痛い。第一関節からにして、一気にやるとキツイの」
「お前さんらよぉ。若ぇから多少は仕方ねぇけども、人前でイヤラシイ事すんでねぇよ」
「指をほぐしてんだ! 見りゃ分かるだろ!」
それからツムギの介護を終えると、2人並んで公民館の中庭へ。そこには、串焼きのアユを頬張る人々で埋め尽くされていた。
「これだよぉ! この味だよぉ! ずっと待ち焦がれてたーーッ!」
「ママ、これすんごく美味しい! これだったら毎日食べたい!」
歓喜の渦。そう呼ぶしか無い、膨大なまでの喜びで満ちていた。誰もが顔を綻ばせて、塩焼を存分に愉しんでいる。その光景を眺めつつ、コウタは小さく鼻息を漏らした。たまには悪くないなと。
そうしてツムギと佇んでいると、後ろから声をかけられた。タネである。
「アンタらもホレ。出来立てを食いな」
「えっ。貰って良いのか?」
「当然だべ。人が足りなくって仕事させちまったけどよ、本当は一番に食ってもらいたかったんだ。倅どもが、やれギックリ腰だの、関節痛だの言って逃げなきゃよぉ」
「ハハッ。もう良いよ。これは有り難くいただくぞ」
手渡された2本の塩焼きを、ツムギと1本ずつ分ける。それだけで香ばしさが鼻孔を魅了する。熱のこもる木串も、出来立ての保証のようなもので、気持ちを高ぶらせた。
何と言っても、焼けた皮にまぶされた塩の塊がたまらない。さながら、春の大地に芽生える若葉のよう。命の躍動すら彷彿とさせるフォルムが、不味い訳が無かった。
コウタは限界である。椅子を探す手間も惜しんで食らいつこうとした。
「じゃあ、いただきま――」
「待ってコウタ君、食べちゃダメ!」
「はぁ? 何でだよ」
「コウタ君って、こういうの食べるとスフォアッてねるでしょ」
「スフォア? 何の事だよ」
「風かなんかがこう、スフォアッて」
「擬音がおかしいだろ、ブシャーーとか、ブオーーッて言えよ」
「とにかく、皆に迷惑かけちゃうから。あっちに行こ?」
ツムギが手招きして誘う。そこは道路向かいの空き地で、かすかに雑草の生えるスペースだった。人影はない。ここならば、誰かに迷惑をかける心配は不要だった。
「じゃあ、コウタ君からどうぞ」
「分かった。じゃあいただく」
いよいよだ。大子の名産であるアユの塩焼に、コウタの震える歯が迫り、触れた。
カジリコッ。
様々な旨味が渾然一体となって口中を駆け巡る。苦味と香ばしさの溢れる皮にガツンと利く塩っ気。身はホロホロで舌に熱いほどの脂も、濃厚で風味豊か。それらを噛めば噛むほど、脳髄が痺れるほどのハーモニーを生み出してくれた。
一言で現すとしたら、こうだ。
「うんめぇーーッ!」
「キャアッ! やっぱり吹いた、スフォアッて!」
その拍子でツムギのスカートが激しくめくれた。幸いにも、背後に人の姿は無かったため、魅惑の布地を目撃される事は回避した。貞操は守られた。
「美味い、マジで美味い。ツムギも食ってみろって」
「じゃあ失礼して……。ンンっ! 美味しっ! 何これぇ!?」
「すげぇ感動した。いやもう、ここまでとは思わなくって……ッ!?」
「コウタ君、どうしたの? 急にボンヤリして」
「これは、この感覚は、もしかして……!」
コウタは微かな目眩とともに、現実とは別の光景を見た。それはミトッポの記憶が、名産品を食した事をトリガーに蘇ったのだ。
◆
あれは土砂降りの晩。微かな鳴き声を聞いて向かうと、ズブ濡れの子犬を見つけた。体毛は白。弱っている。とりあえず抱えて家の中へ。囲炉裏の側で温めてやる。数日もすれば元気を取り戻した。モチワタと、名付け、飼う事に決める。
モチワタはモチモチしている。丸くなって寝転ぶ時など、それが前なのか後ろなのかも判別つかぬほど。毛はやや硬め、羊に似ている。しかし温かで、触れると心地よい――。
◆
「いやいや、おかしいだろ。記憶違いじゃねぇか」
「だから、どうしたのってば?」
「待ってリテイク。やり直すから」
「さっきから何の事?」
◆
眼前に敵、後方にも敵。完全な挟み撃ちで、味方は絶体絶命。この窮地を抜けるために、前方に打って出た。最前列で技を放つ。すると前面の敵は総崩れとなり、背後から迫る脅威から逃れることに成功した。
◆
「そうか、そうやるのか。始めからそっちを出せよ」
「疲れ過ぎじゃない、コウタ君?」
「そうでもない。つうか技を閃いたっぽい」
「えっ、本当に!?」
コウタはその場で構えた。軽く開いた掌を掲げ、力を溜める。そして気が充足した時、真横一文字に振り抜いた。
「ソルティランス!」
掛け声とともに5本の白い筋が飛んだ。それは凄まじい速度で駆け抜け、木の幹にぶつかって止まる。新たな必殺技を会得したのだ。
コウタは納得したように頷くが、ツムギは置いてきぼりだ。まん丸な瞳を大きく見開いては驚いた。
「えっ、何今の!?」
「ソルティランスだ。聞いてなかったのか?」
「そうじゃなくって、これは何事? 急にすごい事起きたけども!?」
「新しい技を覚えたんだ。これは範囲攻撃で、一度に複数の敵に攻撃できる。今の技を食らったやつは――」
「く、食らったやつは……?」
「何となく喉が渇いた気分になり、水休憩を欲しくなる。それで戦線離脱を余儀なくされるんだ」
「そうなんだね。良く分かんないけど、凄そう!」
「だろ? 今後の活躍に期待してくれ」
恭しく頭を下げるコウタと、飛び跳ねてまで称賛するツムギ。そんなイチャつきを挟むうち、遠くから歓喜の声がするのを聞いた。
「おい、滝が! 滝が元に戻ったぞ!」
コウタはツムギと頷きあい、そちらへと急いだ。
すでに人垣が出来ていたが、彼らは確かに見た。段々の岩場から溢れ落ちる、久慈瀑布の勇姿を。
「キレイ……」
「本当にな」
絶え間なく流れ行く清水が、岩肌に純白の軌跡を描く。留まる事のない流れは、悠久さと共に雄大さまで感じさせる。繊細な美しさに反して、響く音は重厚だ。耳だけでなく肌にまで突き刺さるようである。
清水が岩肌で跳ねて、飛沫を巻き上げる。濡れるには肌寒い季節だ。しかし、水の豊かな香りが心を震わせ、魅了してしまう。立ち去ろうなどという気持ちになれない
初めは騒ぎ続けた大子の民も、今では無言になって眺めている。
「色々怖い目にあったけど、頑張って良かったね、コウタ君」
コウタは問いかけに答えなかった。ただただ、神秘な滝を見つめては、微笑むばかりである。
それから迎えた次の日。レジスタンス本拠の前に、大勢の若者が集結していた。その数45名。緊張顔に真っ直ぐな瞳を持つ青年達は、正式な茨城軍である。今後はコウタ達と運命を共にする、戦士たちなのだ。
「コウタ、いつでも行けるぜ」
整列した部隊の前で、ジアンが微笑んだ。彼は既に身支度を終えている。コウタやツムギも同様だ。自転車も回収済みで、3台とも敷地内に置かれている。
「分かった。ちなみに、皆の食料とかはどうするんだ?」
「砦に配給品が山のように積んであった。大半は大子の人たちに残して、余りはオレたちが貰う。輜重隊(しちょうたい)を組織しておいたんだ」
ジアンが指差すのは、数名の自転車乗りだ。彼らの自転車には大きな荷台があり、そこに軍需物資を積み込んだ。しばらくは兵糧や燃料に困る事はない。
以後、輜重隊は生命線となる。彼らを守れなければ、耐え難い飢餓とも戦わねばならない。
「よし、じゃあ行くか! 名残惜しいけどな」
「お次は東方面だ。高萩の方へ行くぞ」
「山道らしいけど頑張るよ、足を引っ張りたくないもん」
「それじゃあ出発!」
キィッ、キィッ、ガララッ。
コウタ達を先頭にして、総勢48人の茨城軍は動き出した。期待と不安の入り交じる行軍だが、彼らには大きな希望で満ち溢れていた。
これからは東京と戦える。各地の名産品を味わえる。茨城という故郷を恥じる事無く、心から愛する事が出来る。その想いが、彼らの足取りを軽くするのだ。山道であるにも関わらず、歩兵たちの足並みは軽やかである。
やがて街の郊外に差し掛かった頃。前方の空き地に人だかりを見た。そこのはミキやタネを先頭に、大子の人々が集まり、出立を見送ってくれた。
「ありがとうよ! アンタ達のお陰で、アタシらは救われたよ!」
「後の事は任せとけぇ。どんだけ東京の奴らが攻めてきても、砦に立てこもって追い返してやんべよ!」
「茨城バンザイ! レジスタンスに栄光あれ!」
歓声が大地を揺らす。コウタは眼が熱くなるのを感じつつも、言葉は返さなかった。ただ、自転車を漕ぎながら、握りこぶしを高らかに掲げたのみだ。
こうして、大子の解放戦は終わりを告げた。出だしは好調と言えるが、油断大敵である。まだまだ、一地方を解放したに過ぎないのだから。
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