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5、水戸レジスタンス
革張りのソファに腰掛けつつ、ジアンと向き合うコウタ達。今や状況は、単なる『お喋り』では済まない。それは、彼らを取り巻く周囲の様子が変貌したことからも、明らかである。
腹に響くダンスビートは止まり、無音で、静寂が耳に刺さる。そしてあらゆる客の視線も集まっている。この会談席はまさに、注目の的なのだ。
コウタは密かに背後を盗み見た。出入り口は左後方。それだけ頭に叩き込んでは、ジアンの顔と向き合った。
「わざわざオレに会いに来たらしいが……知り合いじゃないよな?」
ジアンは気さくに笑いながら、垂れ落ちた前髪をかき上げた。それから手にした焼酎入りグラスを、戯れるように揺さぶる。中の氷がカランと鳴る様を眺るばかりで、コウタやツムギの方は見ない。どこか独り言めいた振る舞いだった。
「もちろん初対面だ。アンタの存在なんて、今日初めて知ったよ」
「そうだろうな。学生さんの知り合いなんて、ほとんど居ないさ」
「オレたちはここまで、無我夢中で逃げてきた。治安部隊に狙われてるんだ。色々あって」
「追われてるから、見ず知らずのオレを頼ったと? おかしいな、慈善家やお人好しとして知られたつもりは無いんだが」
「そうじゃない。ここに行けと言われたから」
「それは誰に?」
「おばさん、宍戸美春って人に」
「ミハルさんだって!?」
ジアンは小さくむせて、眼を剥いた。何をそこまで驚くのか、コウタには理解できない。
「つうことは何かい。お前さんはミハルさんの親戚か?」
「いや違う。オレから見たら幼馴染の母親だよ」
コウタが隣の膝を軽く叩くと、過剰気味な反応があった。ツムギは飛び跳ねるほどのリアクションを見せて、制服のチェックスカートもヒラリと浮かせた。
「へぇぇ、嬢ちゃんがミハルさんの娘か。あんま似てねぇな。母親は面長でシュッとしてたけど、こっちは丸顔だ。そのうち似るのかな」
ジアンは半信半疑な口ぶりだったが、態度が目に見えて変化した。浮かべる笑みが、一層親しげなものになったのだ。
何がそこまでと、コウタは不審がる。それでも嫌な気配は感じ取れなかった。
「その名前を出されちゃあ粗末に扱えねぇわ。用があるんだろ、とりあえず話してみろや」
「じゃあ遠慮なく。まずはオレの親父からだけど……」
コウタが本題に入ろうとした所、背後から咳払いがした。そちらに眼をやれば、ブラックスーツに身を包む男が起立していた。
タイトなシルエットに加え、蒼色のストレートボブで、顔の半分が覆い隠されている。ジアンとは違い、他者を受け付けない雰囲気だ。実際に瞳も鋭く、気品と距離感を半々で感じさせた。
「ジアン。少し待て」
その男は、見た目だけでなく声の響きまで冷たかった。
コウタは無言のまま、心を固くした。ツムギも身じろぐのを、僅かな気配から察知する。おそらく、似たような気分なのだろうと思う。
間もなくジアンが答える。横槍が入った今も、苛立つ素振りも見せず、むしろおどけて見せた。
「どうしたよカッチャン。急ぎじゃないなら話は後にしてくれ。今は大事な大事な雑談の真っ最中だぞ」
「ジアン、お前はいつも簡単に人を信用する。用心しろと常々言っているだろう」
「何キレてんだよ。今回は平気だろ、ミハルさんの名前が出てきたんだぞ?」
「東京のスパイかもしれん。だとすれば、予めコア情報を把握しておく事も可能だ。名前を出す程度、連中にとっては容易い」
「何が言いたい。このまま追い返せってのか?」
「冗談。すんなりと帰す訳がなかろう」
その時、出入り口を屈強な男たちが塞いだ。そして腰に差した武器の柄を握りしめ、これみよがしに抜き放つ。
そうして露わになったのは、長い長い干し芋だ。電灯の下、黄土色の刀身がヘニャリと曲がるのが見えた。その先端が男の膝先で、音もなく揺れる。まるで雄々しく振るわれる瞬間を、今か今かと待ち望むようでもある。
店内は新たな気配で満ち満ちた。極限までに張り詰めた殺気と、香ばし甘い匂いによって。
「待てよカッチャン。相手は子供だぞ、ムキになるな」
「スパイに大人も子供もあるか。もちろん、無実であれば手荒な真似はしない」
「どうやって少年たちの潔白を確かめるってんだ?」
「知れたこと。東京人には決して出来ぬ事を、今ここで試すのだ」
カッチャン、もとい勝元(かつもと)は片手を挙げた。同時に、カウンターの店員に『例のアレを』と告げる。
するとしばらくして、コウタ達の前に陶器の小鉢が置かれた。腐敗臭を撒き散らす豆。それが何かは確かめるまでもなかった。
「済まんな少年。カッチャンの手前、今からコイツを食って貰う。踏み絵をさせるようで悪いが、一番穏便な方法だ」
「食うのは良いけどよ。この細い輪っかは何だ。色紙か? それともプラスチック?」
コウタは、輪切りにされた白と緑の添え物が気になった。初めて眼にするもので、食品であるかすら分からない。
「これは長ネギという食い物だ。納豆には欠かせない薬味だぞ」
「そんな食い方があるのか!? 知らなかったぞ」
「さてと、前置きはこの辺で十分だろ。それじゃあ少年、美味しく食べて、潔白を証明してみせろ!」
食えと言われてもコウタは作法を知らない。そのため、教えられるがままに手を動かした。
小瓶の液体を振りかけ、納豆を混ぜに混ぜる。右に10、左に10、最後に右に50ほど。強い粘り気が出たところで輪切りネギをまぶす。
すると小鉢の中は、粘性の強いツヤで満ちた。まるで宝石を積み上げたかのような、美しい輝きに溢れている。コウタは堪えが利かず食らいついた。小鉢の縁に口をつけて、一気にズルズルと豪快に。
すると、咀嚼するコウタの身体に異変が起きた。
「グッ……ゴホッゴホ!」
「コウタ君! 大丈夫!?」
「見たかジアン! 私が睨んだとおりだぞ。納豆を拒絶するとは、やはりスパイだった――」
「うんめぇーーーッ!!」
コウタは上を仰ぎつつ、腹の底から叫んだ。
すると辺りは、予期せぬ暴風に晒された。以前の蔵で吹いた風とは比較にもならない、強烈なものだ。さながら、台風がこの場に生まれて猛威を振るったかのようである。
夢や幻ではない。風は本物だ。実際、男たちは壁に叩きつけられてしまい、膝を屈した。カウンターの男も、酒瓶が落下しそうになるのを、どうにか押さえてホッと一息つく有様だ。
「こ、小僧! 一体何をした!」
カツモトは冷静さを失っている。完全に気が動転しており、ソファの背を掴まなくては、自身の足で立てない。
「何って。美味いと思ったから言葉にしたんじゃねぇか」
「ありえん! こんな事、いまだかつて見たことがない! ジアン、お前もそう思うだろう!?」
問いかけにジアンは答えない。全身を震えるに任せ、ハラリと垂れた前髪すら直せずにいる。
そうして、ようやく掠れた声をひり出した。
「ミトッポだ……伝説の、ミトッポ様の力じゃねぇか……。てっきりおとぎ話だと思ってたら実在すんのか! これで東京に勝てるぞ、カッチャン!」
「待てジアン、少し落ち着け。こんな子供にだいそれた力なんて……」
「うるさい! 英雄に大人も子供もあるもんか! さっさと地図を持って来い!」
こうして状況は一変した。周囲は期待の眼差しに染まり、温かなものになる。少なくとも、明確な敵意はどこにも無かった。
やがてガラステーブルに一枚の紙が広げられた。茨城全域が描かれた、巨大な地図である。
「レジスタンス……?」
コウタ達の呟きに、ジアンが頷いた。自信の現れか、大きく、鷹揚に。
「そうだ。エンパイヤ東京どもの横暴を懲らしめるため、オレたちは反東京組織を結成した。と言っても、まだまだ弱い。せいぜい物資を掠め取るくらいしか出来てないがな」
ジアンにカツモト、そして店員と客の全てがレジスタンスの賛同者である。目に見える10数名は、半数が裏方だと言う。もう残り半数は兵士で、腰の干し芋が目印だ。
「ところで少年、コウタと言ったか。お前の親父さんと、ミハルさんや旦那さんも捕まったんだよな?」
「あぁそうだ。ほんの数時間前のことだ。今すぐにでも助けてやりたい」
「既に数時間も経過……。だとしたら、今頃はここだ」
ジアンが地図を指先で叩いた。水戸から少し離れた施設で、茨城収容所と書かれている。
「通称、茨収。政治犯なんかが閉じ込められてる。オレ達の仲間もワンサカな」
「じゃあ、そこを襲おう。力を貸してくれるよな? アンタらにもメリットあるだろ?」
「良いぞ、と言いたい所だが、流石のオレもそこまで無謀じゃない。明らかに兵力が足りないんだ」
「兵力?」
「カッチャン。これから招集をかけたとして、何人集まる?」
「水戸全域に声をかけても、兵力は総勢で50人という所だろう。一方で収容所には、300人は常駐している」
さすがに東京は物量が凄まじい。高校1つ分、いわゆる1個高校もの大軍を、苦もなく配置出来るのだ。もし仮に、茨城全土に散らばる東京軍が集結したなら、マンモス校を超える兵数になる。カツモトが付け加えた。
敵はあまりにも強大だった。コウタ達は、あまりにも厳しい現実に言葉を失ってしまう。しかし話にはまだ続きがあった。
「それだけではない。収容所の解放に手間取れば、背後を水戸駐留軍に突かれてしまう。そちらはもっと多い、2個高校の兵力だ」
「2個高校って事は、600人!? そんなにも敵は多いのかよ……!」
「これでは挟撃が成立してしまう。そうなれば一網打尽。我らレジスタンスは、一夜にして殲滅されられるだろう」
「だったらどうすんだ! 今頃親父たちは、どんな責め苦を受けてるか分からねぇのに、指咥えて見てろってのか!」
立ち上がって怒鳴るコウタを、やんわりと制する声が飛ぶ。ジアンの、力強くも優しい声色だった。
「まぁ落ち着けよ。オレ達も別に、見捨てるとは言わんさ」
「でも、収容所を襲わないんだろ」
「今はやらない。今はな」
ジアンは地図を再び、指先で小突いた。そこは水戸から遥か北の地で、山間部だった。
「そこは……?」
「大子という街だ。まずは茨城県北を東京から解放して、現地で兵を募る。そうして軍勢を整えたら、南下して収容所を攻め落とすんだ」
「それで上手くいくのか?」
「他にやりようがない、と言うべきかな。県央は敵軍が多く、県南だと東京軍本隊の圧力が大きすぎる。だから北に賭けるしかない。そうだろカッチャン?」
「その通りだ。現状では最善の策と言える。そして、早いほど我らが有利だ」
「おっ、乗ってきたな。説明頼む」
「敵軍はまだ、ミトッポの力に対処できまい。よって為すべきは速攻だ。敵の準備が整う前に、可及的速やかに敵を各個撃破、そして解放する」
カツモトは、県北の要所を指で指し示した。大子から始まり、高萩、日立へと続く。
「ジアン、策を具申する。県北エリアを解放して回れ。そして各地で軍備を整えたなら、収容所を襲え。私はここの残留組を率いて、水戸近辺のエンパイヤ軍を撹乱してみせる」
「おっ、そうか。これで成功の道筋が見えてきたな! だが、まだ問題はある」
ジアンは垂れた前髪を後ろになでつけては、肩をすくめた。浮かべる笑みは、どこか皮肉めいている。
「移動手段が無い。どうやって大子まで行くかだ」
「移動なら、常磐線の電車とか、路線バスで行けば良いだろ」
「いやいやコウタ、そりゃ無理ってもんだ。その辺はもう東京の手が回ってる。乗り込んだ途端に車掌あたりが通報して、速やかに御用。仲良く収容所送りになっちまうさ」
「でも、歩いて行くには遠いんだろ?」
「およそ10時間ってところだ。さて、この距離をどうしたもんか」
「私に任せろジアン。それならば解決している」
カツモトは不敵な笑みで一望。そして壁のスイッチを押した。
するとコンクリートの壁がせり上がり、アスファルトに覆われた一室へと繋がった。
「カッチャン、これはまさか……!」
「先日、水戸の備蓄庫を襲撃した際に鹵獲(ろかく)した。見てくれ」
アスファルトには、シーツに包まれた何かが佇む。それを払い除けると、カツモトの秘策が露わになった。
「最新式のシティバイクだ。これがあれば移動も楽になるたろう」
「おぉーーッ! こんなの持ってたなら、早く教えろよカッチャン!」
「敢えて黙っていた。お前に口を滑らせたら最後。思いつきで前橋だの小山だのに走らせかねない」
「ごもっとも」
それらは銀のボディが美しい二輪自転車であった。ハンドルは持ちやすい湾曲式。大きなカゴと荷台、更には暗闇を照らすライトも完備している。頑丈な一方で車体は軽く、非力な者でも扱いは容易とあって、実用性も申し分なかった。
結局は東京の文明力に頼る事になったが、致し方ない。使える物は使うべし。劣勢に立つ側の鉄則である。
「ところでコウタ。自転車に乗れるよな?」
「オレは平気だ。体育の授業でマスターしてる」
「頼もしいね。ツムギちゃんは?」
「あの、えっと、少し練習しても良いですか?」
不安げなツムギに、少しくらいならと自転車を貸した。そこで試走させてみたのだが、割と酷い。2回漕いでは足を着く有様で、一向にスピードを出す事が出来ずにいる。
「参ったな。ツムギが乗れねぇんじゃ……オレの後ろに乗せるか?」
「コウタ、ダメだぞ。こいつは二人乗り出来る仕様じゃない。1人用なんだ」
「だったらもう、ツムギをここに置いていくか。自転車に乗れないなら仕方ない――」
「待ってコウタ君。私も連れて行って!」
「そう言われてもな。どうやって?」
「私ね、何だか分からないけど、強い予感があるの。絶対にコウタ君から離れちゃいけないって。必ず私が必要になるからって。だからお願い、私も一緒に連れて行って!」
ツムギの瞳は真っ直ぐであった。普段の締まらない顔つきとは異なり、意志の明確の宿る面持ちだった。
コウタは眼を逸らさずに、正面から受け止めた。しばらくして、頬を綻ばせて笑う。
「連れてくなら自転車に乗れるようになれよ。もう少し練習してみろ」
「ありがとうコウタ君!」
「礼なら、乗りこなせてから言えって」
それからは時間の許される限り、自転車の練習が続いた。気迫みなぎるツムギは、片時も休まず鍛錬に明け暮れた。それだけ必死なのである。
キイッ、コテン。キィ、コテン。
キイッコテン。キィコテン。キイコテン、キィコテン、キィコテン、キィコテン、キィコテンテンテン。
「よし、ツムギは居残り。オレはジアンと2人で行く」
「待ってぇぇ! あとちょっとで何か掴めるからぁ! もう少しだけで良いからぁ!」
「それ何回目? 良いからマジでお留守番してろよ」
「そんな事言って、実はこっそり茨城中のお姉さんと仲良くしたいんでしょ! 酷い幼馴染! 浮気まで伝説級! 全知全能並の節操ナシ!」
「何でオレがキレられてんだよ! 仕方ねぇだろ諦めろ!」
「連ーれーてーけ! 私も一緒に連ーれーてーけ!」
「だったら、今すぐ乗れるようになれよ」
「それは出来ない」
「偉そうに言うな。お前の為に時間割いてんだぞ」
こうしてコウタ達が、痴話喧嘩とイチャつきの狭間で言い争いを続けると、見かねたジアンが側に寄った。
彼はスパナを手にしており、ツムギの足元で作業を開始した。それは、ものの数分で完了。
「これでヨシ。後輪にサポートリングを付けたから、もう平気だぞ。試してみろ」
ガラガラガラッ
「乗れた! コウタ君、乗れたよ!」
ガラガラガラッ
「全く、一時はどうなるかと……」
「さてと。これで心置きなく出発できるな。コウタも彼女と一緒で嬉しいだろ?」
「そういうんじゃねぇし。ただの幼馴染」
「ともかく出発だ! 夜陰に紛れて進軍するぞ!」
ジアンが号令を出すと、店とは反対側のドアが自動的に開いた。その先はスロープで、外へと繋がっている。
「じゃあ行ってくるぜカッチャン。後は宜しくな」
「くれぐれも気をつけろ。水戸の諸々については任されよう」
「よし行くか。コウタ、気合い入れろよ!」
「もちろんだ。ツムギも遅れるな」
「うん。ちゃんと走れるから心配しないで!」
キィッ、キイッ、ガラララッ。
夜道にペダルを漕ぐ音が響く。やたらと悪目立ちしたが、深夜である。人の眼など気にする必要は無かった。
意気揚々と大街道を行く。目指すは大子。現地を解放し、兵を募る。そして転戦を重ね、収容所を攻め落とすのだ。コウタはまだ見ぬ大兵を想像しては、胸を熱くした。それだけの事で、絶望的な未来に光が差した気分になる。
しかし旅はまだ始まったばかり。今は3騎ばかりの自転車部隊でしか無かった。
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