7、北の大地

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7、北の大地

 雑木林での仮眠は終わった。その頃になると、太陽は西の方へ傾き始める。数羽のカラスが、日差しを求めるかのようにして、山の向こうへと消えていった。 「んん、よく寝たなぁ。もう夕方か。どうよお二人さん。元気チャージできたろ?」  ジアンが快活な笑みを見せるも、反応はすこぶる悪い。コウタもツムギも、どんよりとした曇り顔。いっそ、休憩を挟まないほうがマシという様子である。 「なんでだよ、たっぷり寝たんじゃないのか?」 「イテテ……腰が痛ぇ」 「私も。あちこち凄く痛いよぉ」 「お前らさぁ。このタイミングでサカり合うなよ。その若さで、恋の最終ラインをスイッと越えてどうすんだ」 「変な体勢で寝てたからだっ!」  ジアンは、冗談だと言いつつ、ペットボトルを2本差し出した。少しだけぬるい。封を切れば、まるで挨拶代わりのように、隙間から空気が吹き出した。  口をつけてみれば無味無臭。そのくせ、口内は炭酸の濃い刺激が駆け巡った。 「……クソまず」 「私も、あんま好きじゃないかな」 「それは治安部隊の倉庫を襲った時に、かっぱらったヤツだ。東京では流行ってるそうだが、ここでは大不評だな」 「シュワッとさせる意味が分かんねぇ」 「あれだろ、砂糖入りの飲み物より健康的だから」 「だったら水道水でも飲めば良いだろ」 「人間ってのは複雑なんだよ。合理的に生きる事だけが全てじゃないのさ」  不満はさておき水分補給が完了した。最低限のコンディションは整ったので、いつでも動き出せる。 「自転車はここに隠しておこう。乗ったままだと悪目立ちして、良い標的だ」  ジアンはそう言いながら、草藪から顔を覗かせた。周囲に敵の姿無し。そうして3人は徒歩のまま、北の大地「大子」へと足を踏み入れた。 「ここはかつて、リンゴ栽培と久慈川の恵みに支えられてきた。清流が育むアユの塩焼きなんかが絶品だった、そう聞いている」 「かつて? 今はどうなんだよ」 「済まんが、最新情報は得られてない。大子とは、ここしばらく音信が途絶えているんだ」 「なんつうか、不穏だな」 「理想を言えば、大子レジスタンスと連携をとりながら進めたいんだがな。連絡が取れない以上、仕方ないさ」  不吉な予感が漂う中、ツムギがふと足を止めた。まだ道半ばであり、目的地はまだ先である。 「どうしたツムギ、早く行くぞ」 「コウタ君。これって何だろ?」  ツムギがそっと指し示すのは、畑に植えられた木々だ。それらは一本の野太い幹に、数多の枝が分かれ、大きな葉を広げている。  見るべきは、枝から垂れ下がる無数の果実だ。小さな実が集まっては房を形成し、それが所々でぶら下がる。コウタは記憶を掘り返してみるも、首を傾げたままになる。 「リンゴでもブドウでも無い。こんな果物は初めて見たぞ」 「垂れ下がってる実だけど、色がたくさんあるの。黒い実は熟したからかな。それからピンクにブルーに、白に透明」 「オレは別に植物とか詳しく無いけどさ、珍しいってことくらいは分かる」 「それはタピオカの木だ」  そう告げたのはジアンだ。どこか、唾でも吐き捨てそうな声色である。 「タピオカ……ってなんだ?」 「東京では一般的な嗜好品だ。飲み物に入れる事で旨味が増すとか、食感が良いとか。後は、かさ増しできるとか、そういう物らしい」 「初耳だ。食ったことなんて無いな」 「そりゃそうさ。茨城人でいるうちは、生涯、無縁のままだろう。一等国民になって東京に移り住まない限りは」 「つうことは何だ。ここの農家の人は……?」 「オレたちは使役されるだけだ。口に出来ない食い物を作る為に、来る日も来る日も働く事になる」  ジアンはタピオカの木に歩み寄ると、黒い艷やかな果実に手を伸ばした。それをつまみ取り、一口で頬張る。ニチャニチャとした、粘着質な音が鳴った。 「味気ない。みんな、赤々と膨らむリンゴを育てたいだろう。だが、それは決して許されない。東京が望まぬ限りな」 「そんな、酷いよ……。作りたいものを作れないだなんて……! 無理やり働かされるなんて、あんまりだよ!」 「ツムギちゃん、よく覚えておけ。オレ達は東京に忠誠を誓い、奉仕する事で、ようやく生きる事を許される。その結果がこれさ」 「一面の、タピオカ……」 「東京による支配は洗練されている。配給制度で飢える事はない。働き次第では現金が支給され、贅沢品を買う事も出来る。もし名誉東京人になれたなら、23区暮らしだって夢じゃない」 「だけど、何か足りない気がします。とても大切なものが抜け落ちてるような」 「そうだな。茨城の皆は、そう思ってるさ。でも反抗など出来ず、ただ歯を食いしばって堪え続けてるんだ」  夕日に染まる木々が、風で揺れた。サァサァと鳴る枝葉の音は、何を伝えようとしているのか。タピオカは黙して語らず。ただ揺れるばかりだ。  コウタは静かに拳を握りしめた。腹の奥底で、ミトッポの血が暴れるのを感じながら。 「取り戻すぞ、茨城を。東京の横暴から救うんだ!」 「コウタ君……」 「行くぞ2人とも。こんなクソみてぇな状況、一日だって許してやるもんか!」 「うん……私も頑張るよ! やれる事は何だってやる!」 「そうだな。先を急ごうか」  一行は北上を再開した。視界に映る山々にタピオカ畑。まばらな木造家屋。それらを通り過ぎるうち、やがて左手に『愛宕山』を認めた事で、ジアンは足を止めた。 「よし、ここいらで良いかな」 「良いって何が?」 「味方を募るんだ。幸いにも、敵兵どもの姿は見えないしな」 「もし、ここで敵が来たら?」 「そんときゃ一目散ってやつだ。足の筋肉は解しておけよ」 「いちいち無計画だな! 那珂川ん時もそうだし!」 「大丈夫だって心配性だな。周りを見てみろ、どこにも敵なんて居やしないぞ?」  確かに周囲に物々しさはない。道行く人々は、皆が一般人であり、家路を行く姿ばかりだった。  野良着姿で農具を担ぐ老婆、スーツ姿の中年男、ランドセルを背負う子供達。遠くから眺める分には平穏な光景だ。  今が好機。そう捉えたジアンは、すぐさま声を響かせた。 「さぁ聞け、大子の民よ! 堪えるべき時は既に過ぎた! 我らとともに、積年の恨みを晴らそうじゃないか!」  ジアンの声は高らかでたくましく、身振り手振りも大きなもので、やたらと目を引いた。  筋肉質な体格で、熱意に溢れた若者の言葉だ。辺りには、声量を超えたと錯覚する程に響き渡る。素肌に黒革ジャケットという装いも、粗暴さより頼もしさの方が際立った。  少なくともコウタには好感触だ。先程の心配事はどこへやら。胸には心踊るような快感さえあり、次の言葉を前のめりで待ちわびた。 「怯むことはないぞ。ここに居る少年は、かのミトッポ様の末裔だ。戦えば必ず勝てる。だから今ここで、反旗を翻せーーッ!」  高々と拳を突き上げたジアン。その勇ましい姿は、もはや1個の彫像である。茨城史の転換点として後世に残したくなる程だ。  隣のコウタには痛烈なまでに効いた。自然と彼も拳を握り、突き上げる。そして「オゥ!」と叫ぶのだ。  そんな熱意がほとばしる中、ツムギが小さく耳打ちした。 「ねぇお2人さん。忙しいとこ悪いんだけど」 「何だよツムギ。今すごく良い所じゃねぇか」 「今の話、誰も聞いてないよ?」  コウタが衝撃を覚えつつ付近を見れば、聴衆は1人として存在しなかった。足元を一羽の鳩が通り過ぎ、アスファルトをクチバシでついばむばかりだ。 「おいジアン。どうすんだよ。全力でスベッてんぞ」 「あぁ……今のオレ、最高。ここ数年で一番、キラッキラに輝いてやがる」 「話を聞けよオラァ!」 「痛ぇ!? 何すんだコウタ! いきなりビンタされたら、泣いちゃうくらい痛いだろ!」 「だから周りを見ろって。大失敗なんだよ」 「あれ……おかしいな。水戸とか、土浦でやった時はもう、大盛況だったんだが」 「知らねぇし。つうか問題は、これからどうすんのって話だろ」  ジアンは腕組みをして悩みだす。時間にしてわずか数秒。打ち出されたのは、酷く雑なプランだった。 「よし。手当たり次第に声をかけて、仲間を募ろう!」 「ハァ!?」 「ちなみに、話は少しくらい大きめに言って良いぞ。今ならオトクな支給品有りとか、お友達は参加されてますとか、彼女が出来ましたなんて」 「勧誘セールスかよ!?」 「ホラホラ急げ。東京の奴らに見つかったら面倒だぞ」  コウタは仕方なく、ツムギと共に道行く人々を呼び止めた。そしてレジスタンスの参加を誘うのだが、結果は芳しくない。 「れ、レジスタンスを始めました!」 「明るくて、アットホームな集まりですよぉ〜〜」 「実力次第では、若くして幹部になれます。ぜひこの機会をお見逃し無く!」  無反応の空振りだ。そもそも皆が皆、俯きながら歩くので、呼び止める事すら一苦労だ。  彼らは立ち止まる事もなく、コウタ達を押しのけるようにして歩き続けてゆく。投げかけた言葉がどれほど届いたか、傍目には分からなかった。 「全然話にならねぇ。どうなってんだ」 「なんだか皆、生気がないよね。心ここに在らずというか……」  コウタは改めて周囲を見渡した。人の姿は今も途切れない。特に、部活帰りの集団とも遭遇し、声を掛けるチャンスはいくらでもあった。  しかし言葉が響かない。老いも若きも、示し合わせたように俯きながら歩くのだ。その覇気の無さ、生気の失せた様子は、よそ者のコウタの背筋を凍らせた。 「無理だ。これは勧誘する以前の問題じゃ――」  コウタが切り上げようとした、まさにその時だ。辺りに怒号が鳴り響いた。声色からして、悲痛な叫びと言うべきか。出処はジアンの方向であった。 「フザけんなよ! 何がレジスタンスだ、茨城独立だバカ野郎ッ!」  そちらを見れば、詰め襟タイプの学ランを着た少年が、憤慨するのが見えた。詰め寄られたジアンは、宥める仕草で両掌を向けている。それでも、若々しい憤激を抑えることは出来なかった。  見かねたコウタ達は、救援のつもりで駆けつけた。 「どうしたジアン。またテキトーな事をホザいて怒らせたのか?」 「待ってくれコウタ、オレの評価が低すぎないか? そうじゃなくて、この少年がいきなりキレだしたんだ」 「いきなりって、そんな訳が……!」  コウタは少年の顔を合わせると、今にも噛みつきそうな表情が見えた。見開いた瞳に熱い涙も浮かべつつ。そして湿り気味な声を、過剰に尖らせてまで、叫び続けた。 「お前たち余所者だろ。訳の分かんねぇ事はやめて、とっとと消えろよ!」 「待て、落ち着け。オレ達は大子の民を救おうと思ってる。このコウタって少年が、鍵を握っていて」 「東京を倒すだなんて出来るわけ無いだろ! あいつら、何千何万って軍隊を持ってんだぞ。たった3人でどうする気だよ!」 「だから、それは、皆で力を合わせてだな……」 「誰が口車に乗るもんか。絶対に協力してやんねぇ」 「本当にそれで良いのか? この先死ぬまで、故郷を愛する事が禁じられてしまうぞ」 「……それがどうしたよ」 「腰の曲がったジジイならいざ知らず、君のような若者が、未来に希望を抱かなくてどうするんだ」 「黙れよ」 「ちょっと想像してみろ、郷土愛ってのは素晴らしいもんだぞ。真っ赤なリンゴを育み、アユの塩焼きに舌鼓を打って、久慈瀑布の雄大さに酔いしれる暮らしを――」 「黙れって言っただろうがッ!」  少年は肩掛けバッグを地面に叩きつけた。開いた口からは、泥だらけのユニフォームとグローブが覗く。 「下手に夢見させるような戯言をほざきやがって! お前らレジスタンスはいつもそうだ、口先だけが立派で、簡単に負けちまうだろ!」 「何を言ってるんだ。少なくとも水戸のレジスタンスは健在だぞ。もしかして大子の方は――」 「とにかく、今すぐこの街から出ていけよ。さもないと通報するからな」 「おい少年。そこまで目の敵にしなくたって良いだろ。オレ達は味方なの。助けに来た救世主なの。オーケー?」 「ジアンやめとけって、下手に食い下がるな」  コウタはジアンを引きずるようにして、大街道から逃げ出した。そして雑木林を見つけるなり、すかさず飛び込んでは身を隠す。 「何やってんだよジアン。間一髪だったじゃねぇか」  木の幹を背にして通りを見てみれば、5人組の迷彩服が駆けつけていた。そして先程の少年と話し込んでいる。 「アチャ〜〜、マジで通報されちまうとか。ちょっと想定外だったぞ。ああいうのは脅しっつうか、売り言葉に買い言葉ってヤツだろうがよ」 「どうすんだ。エンパイヤの奴ら、警戒モードに入ったみたいだぞ」 「まぁ、ミトッポ様の力を使えば、5人くらい秒で撃退できると思うが」 「結局オレに押し付けんのか。いっその事、敵より先にお前から血祭りにあげてやる」 「待て待て冗談。ここは一旦ほとぼりが冷めるまで待とう」  草藪から状況を見守る。しかし警戒モードは長く、敵兵が立ち去る気配は無い。それどころか、徐々に敵兵は増えていき、探索の手を広げようとしていた。 「ジアン。本当に潜み続けるのが正解か? 追い詰められてるっぽいが?」 「いやぁ、アッハッハ。敵さんもなかなか、要所を上手く押さえてくるな。茹でガエルってヤツ?」 「ニコヤカに笑ってる場合かよ」 「分かった分かった。これから向こうの様子を見てくる。確か、ちょうど良い抜け道があったと思う」 「気をつけろよ」  ジアンが1人、身をかがめながら斜面を登っていった。付近は林に茂みと、身を隠せるだけの環境だったのだが。 「おい! あそこに誰か居るぞ!」  突如として敵兵が叫んだ。不運にも発見されてしまい、数名の兵士がジアンの後を追った。  何やってんだアイツは。コウタは苛立ちを覚えつつも、救援に向かおうとした。しかしその足は止まる。彼の周囲にも敵兵が殺到したからだ。 「他の連中も近辺に潜んでいるかもしれん。徹底的に探せ!」  敵は山狩りのフェーズへと移行。等間隔で列を成しつつ、茂みを乗り越えて雑木林の中へ突入した。 「コウタ君、どうしよう……」 「クソッ。やるしかないのか」  付近を覗き込めば、敵兵が斜面を登り来るのを見た。前列には少なくとも3人、その背後に何人控えているかは分からない。  自然と腰の干芋に手が伸びる。そして抜き放とうとした瞬間、あらぬ方から声が聴こえた。敵兵とは反対側からだ。 「アンタ達、こっちだよ」  茂みの向こうから、何者かが手招きする。  誰だ。ジアンでない事は、声色で分かる。明らかに女性のものであった。 「ボヤボヤすんじゃないよ。捕まりたくないだろ」  茂みから白い手が伸びると、ツムギの腕を掴んだ。そしてそのまま向こう側へと引き込んでしまう。 「キャア! コウタ君!」 「何しやがる、ツムギを離せ!」  コウタはすかさず後を追った。しかし遠ざかる女は俊敏で、ツムギを連れながらも驚異的な速度で逃げてゆく。見失わないようにするのが精一杯だった。  それからも深い茂みを掻き分けつつ、急峻な坂道を転がるようにして降りながら、その背中を追い続けた。  やがてコウタの足がアスファルトを踏んだ頃。謎の女は逃げもせず、道の上で待ち受けていた。隣にはツムギの姿もある。 「コウタ君!」  駆け寄るなり飛びついてきたツムギを絶妙に躱し、すかさず自分の背後に立たせた。そして謎の女を睨み据える。 「オレ達に何の用だ、どうしてツムギを攫った!」  強烈な闘気を孕む声が出た。しかし女は涼し気な顔のままだ。変化といえば、切れ長の瞳の目尻が僅かに上がった程度。そして、背中まで伸びる長い黒髪を手ぐしで一撫でした後、ようやく答えた。 「どうしてって、ちっと考えりゃ分かんだろ。アンタらを助けてやったんだ」 「そりゃ結果的には助かったけどよ」  コウタ達は既に包囲網から抜け出ていた。背後で、今も山狩りを続ける声が聞こえるが、もはや遠い。 「どうして、見ず知らずのオレ達を?」 「業と言うか、浮世の縁と言うか、そんな所だよ」 「答えになってねぇな……。ところで、もう一人、革ジャン野郎を見なかったか? アイツも味方なんだが」 「疾風のジアンだろ。アイツなら手助けなんて要らないさ。こんな所で捕まるようなマヌケじゃない。上手いこと突破できるハズさ」 「ジアンを知ってるのか? アンタは一体……」 「立ち話でする話題じゃないよ。ついてきな、安全な場所に案内してやるから」  女は指先で手招きすると、返事も聞かず先を歩き出した。コウタはツムギと目配せしてみる。お互いに不安顔だが、頼る伝手など他にない。結局は申し出を受ける事に決めた。 (この女は何者だ。ジアンを知ってる。それに包囲を軽々と抜け出した手腕と言い、一般人じゃなさそうだ)  コウタは無言のままで観察した。背丈は女性にしては高く、コウタと並ぶ程。ベージュのセーターにジーンズ姿。腰に干芋(ぶき)は無い。ただし、体つきは引き締まっており、何かしらの訓練の跡を感じさせた。 「ねぇコウタ君」 「何だよツムギ。今は考え事してんだよ」 「さっきからお姉さんのお尻をずっと見つめてるけど、どういうつもりかな?」 「ハァ!? 違うからな!」 「さすがに失礼だよ。親切にしてくれた人を、そんな目でみるなんて。そこは幼馴染ちゃんにしておきなさい」 「だから違うっつうの!」  移動は平穏そのものだ。日が暮れた事で、闇夜に紛れる事が出来たのも好材料だった。しばらくは路地裏をさすらう。口数はめっきり減った。そうして無言のままで、見知らぬ道を歩く事しばし。やがて一軒の民家を前にして立ち止まった。  外から見るに、空き家のように思える。窓という窓の全てが板戸で締め切られており、正面玄関も板を釘打ちされていた。もちろん人の気配などどこにもない。  そこで女は家屋の裏側へと回り込んだ。そして勝手口をノックする。それは複雑で、どこか暗号めいていた。  コン。コココン、コン。  すると内側から、小さな声で問いかけがあった。 「イバラ」  女は扉に顔を寄せて、やはり小さく答えた。 「キ」  間もなく扉が薄く開いた。そして女は身を捩らせて中へ入る。コウタも意を決して、ツムギの手を引きながら続いた。  中は白色光の煌めく民家だった。シンクの台所にダイニングテーブル。襖戸(ふすまど)で仕切られた畳の間にはコタツがある。  女はスニーカーを気だるげに脱いでは、テーブルの椅子にドカリと座った。そして首と肩を解しながら言った。 「何を突っ立ってんだい。早くあがんな」 「あがれと言われても、何が何だか分からねぇ」 「警戒すんなよ。ここはアンタらにとって、一番寛げる場所なんだからさ」 「どういう事だ?」  女は湯呑の水を一息で飲むと、こう告げた。 「アタシは清川美樹(きよかわみき)ってんだ。そんでここは、大子レジスタンスの本拠。と言っても、壊滅寸前だけどさ」  ミキが渇いた声で笑う。しかし、瞳の奥は寂しさで包まれている。それは離れていても分かる程に、明瞭だった。
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