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9、自由を我が手に
駅前のロータリーに金糸の旗が翻る。エンパイヤ東京の北方軍が、大挙して現れて陣取ったのだ。およそ100名の軍勢、1個学年師団もの大軍である。考えるまでもなく、真っ向勝負できる相手ではなかった。
軍が居座るのは駅舎前の広場だ。そこに対面する形で、詰めかけた群衆が顔を並べる。彼らはボンヤリとした眼差しで、はりつけにされたジアンを眺めた。
そのうち何人かは、顔をしかめて俯くものの、大半が呆然としている。さながら縁側で空を見つめる、老人のようだ。
「居たぞ、ジアンの奴……。完全に捕まってんじゃねぇかよ」
その光景を、コウタ達は崖の上から見ていた。皮肉にも、身を潜めるのは涸れた久慈瀑布の跡地である。
北方軍が縦隊で並ぶ中、板が十字型に立てられている。そこに縛り付けられるのは、泥に塗れたジアン。黒の革ジャンはさておき、下のジーンズは激しく汚れていた。
「ジアンさん、大丈夫かな……。何だか酷く消耗しているような」
ツムギが心配そうに見守るも、事態は進展する。集まった群衆に向かって、北方軍が大音声を響かせたのだ。
「お集まりの諸君! この男を見よ。不遜にも、偉大なるエンパイヤ東京に反旗を翻し、民草の忠誠心を惑わした張本人だ。我らが下賜した禄を食む身分でありながら、反乱を企てるとは言語道断! 忘恩の犬は、厳しく躾けなくてはならないッ!」
若い士官が猛々しく叫ぶ。それに対する群衆の反応は薄い。悲痛な声を漏らす事もなく、どよめくでもなく、ただ曇った瞳を晒すばかりだ。
それは想定内だったようで、士官は部下に何かを命じた。何人かの迷彩服が忙しなく駆け回りだす。
「どうしよう、コウタ君。このままじゃ大変な事になるよ」
「助けてやりたいが……。数が多すぎるぞ。オレ1人で倒せるとは……」
チラリとミキの方を見ると、否定の仕草が返された。
「期待されてるだろうけど、無茶だね。そりゃアタシも訓練は積んだけど、戦国武将じゃないんでね。こんな多勢相手にしたら、蹴散らされるだけだよ」
「クソッ。どこかに突破口は……。うん?」
コウタはその時、異質なものを見つけた。北方軍が為す列の中央付近。人垣で見えなかったのだが、今は動きがあるので、ようやく露わになった。
でっぷりと太った色白の男だ。半裸の格好で、自身の頭から頻繁に水をかけている。下にはビニールプールを完備しており、涼む気満々である。
「何だ、あのオッサン……。プールを持参してんのか?」
「ありゃあ北方軍司令官。ここいらの親分だよ」
「マジかよ。つうか今、11月だぞ!? セーター着込むくらいには冷え込んでるのに!」
「待ちな。今はそれよりもジアンだよ。奇癖に食いついてる場合じゃないだろうが」
「まぁ、そうなんだけどさ……」
それからも高所から見下ろすが、流石に隙は無かった。相手は正規軍である。一兵卒でさえ気迫十分で、士気は天を貫くほどに高い。司令官の目がある事も手伝い、全軍が張り詰めるような気配を見せた。
陣形のほころびを探すが、見つからず。救出のチャンス探り当てたいのだが、遂にその時が来る。
「これより、水戸レジスタンスの長、橋本事案に『脳幸(のうこう)の刑』を執行する!!」
すると、ジアンの俯く顔が力ずくで持ち上げられると、強引に開口させられた。続けて、チューブ伝いに口へ詰め込まれたのは、濃厚な生クリームである。
フワリとした口溶けに、濃いミルクの風味。舌先が甘みに震えつつも、後味はスッキリとして、しつこくない。いくらでも、何キロリットルでも堪能できてしまう。この魔法のごとき生クリームは、三ツ星シェフがこだわり抜いた一品なのだ。並大抵の代物ではない。
それを無防備に食わされたジアンは、夢見心地に苦しめられた。かつてない絶品に、意識が吹き飛ばされそうだ。それは、故郷愛をかなぐり捨て、東京に鞍替えするだけの魔力が備わっていた。
「さぁ許しを乞え! 我らに逆らったことを心から謝罪し、東京に永遠の忠義を捧げよ! それが出来たら、晴れて自由の身だ。ついでに残り半分をくれてやろう!」
「アガ……ァガガガ!!」
「粘るな。さすがは、その人有りと言われるだけの男。だが、いつまで保つかな?」
ジアンの窮地は、遠く離れたコウタ達にも良く見えた。断末魔の叫びなど、思わず拳を握りしめたくなるほどだ。
ミキは瞳を閉じて横を向く。ツムギも、両手で顔を覆っては泣き崩れた。
「チッ……なんて酷いことを。見てらんないよ」
「ジアンさん可哀想……あんなに苦しんで……!」
「クソッ、助けられなかった。すまねぇ、ジアン……!」
己の無力さが身にしみる。せめて戦う術さえ知っていたら。或いは、一発逆転の妙計を閃くことが出来たなら。
そのどちらもコウタ達に無かった。今はただ、いたぶられる戦友を、安全地帯から見守るしか出来ない。
「クックック。どうした橋本事案よ。無理をするな、ガマンは身体の毒だぞ、ンン?」
「あぁ、うぁ……。ジ……ジ……」
「ジ、だと? そうか慈悲を乞いたいと申すか! 東京にひれ伏す形となるが、気にするな事案。お前は良く戦った。もう何も心配する必要はないのだぞ。さぁ叫べ、心に浮かぶ赤裸々な想いを、高らかに!」
反乱の芽を潰すには、首謀者の陥落が一番である。リーダーが白旗を上げたなら、彼に従うものも離散し、レジスタンスも激しく勢いを落とす。それを目論むエンパイヤは、わざわざ衆人の前で発言を許可したのだ。
ジアンの、あえぐ口が天を向く。縛り付けられた両手も、動かそうとして、板が揺さぶられる。もし縛めが無かったなら、彼は両手を空に向けて伸ばしただろう。その姿を幻視する程に、意志の軌跡が伺い知れた。
そしてとうとう、彼の口から言葉が飛び出す。憔悴した者とは思えぬ、芯の通った声が。
「自由を我等に!」
その言葉が時を止めた。エンパイヤ軍も、大子の民も、コウタ達でさえ完全に虚を突かれてしまった。大子の諸勢力が集う駅前広場は、咳払いすら無い、完全な静寂に包まれたのだ。
やがて、時は動き出す。ジアンの魂が何かを動かしたのだ。虚ろ顔の群衆は、その場で身を震わせて刮目し始める。絶望に染まりきった瞳も、今や別の何かを宿そうとして、大きく大きく見開かれていた。
「生まれ育った故郷を当たり前のように愛し、育まれる権利を! 愛する物を汚されても、欠片も挫けぬ強さを! 古き良き伝統を、末代まで遺せる喜びを!」
「おい、貴様! 止めないか!」
「終わらぬ自由を! 自由を我等にーーッ!!」
その言葉はあまりにも重たく、そして温かだった。間近で浴びた群衆達は、声を上げて泣き始める。頬を伝う熱い涙が、絶望を溶かし、自由を渇望させた。大子の民を縛り付けた枷に、この土壇場において大きな亀裂が走ったのである。
ただしこの演説を、敵がむざむざと許すはずもない。士官は金切り声とともに号令をあげ、流れを引き戻そうとした。
「もはや慈悲もない! 射撃用意!」
部隊の何人かがジアンの方へ駆け寄り、一列縦隊を作った。そして構えて、発射の言葉を待つ。だがその動きは隙になった。司令官を取り巻く兵士が薄くなり、防備に綻びが生じたのだ。
今なら届く。干芋が、司令官の首元に。
コウタはそれを見て取ると、すかさず立ち上がった。
「やめろーーッ!!」
叫ぶとともに、急峻な崖を駆け下りてゆく。その様は山羊のようで、人間業を超えた速度であった。
そして崖を降りきった時、敵軍は混乱を見せていた。人間離れした動きに、ひどく動揺してしまったのだ。
活路は今。最悪の劣勢を覆すには、この瞬間しかなかった。
「行くぞ、東京人め! 食らいやがれ!」
干芋一閃。胴や腹を打たれた敵兵は、その香りが気になって仕方なく、その場で立ち尽くしてしまう。そして患部を鼻でクンクン嗅いでは、天然由来の甘味を想像してニヤけるのだ。
コウタの突撃は止まらない。4人、5人、6人と素早く打ち倒していく。やがてビニールプールが見え、でっぷりとした腹まで視界に収めた。間もなく、司令官に切っ先が届く。
「これで終わりだ、この野郎!!」
ペチーン。
渾身の振り下ろしだ。それは司令官の肩口に叩きつけられた。素肌である。それなりに痛いだろうが、倒す事は叶わなかった。
むしろ、ニタリとした粘質の笑みを向けられてしまう。
「クックック。ネズミがむざむざと飛び込んでくるとは。探す手間が省けるというもの」
「こいつ……干芋が効かねぇ!?」
「残念だったな小僧ッ! これでも食らうが良いわ!」
司令官はプールから得物を取り出した。水鉄砲である。それをコウタ目掛けて発砲。左胸を鋭く打った。
「グワァァーーッ!」
コウタは痛みではなく、冷えに驚き、大きく後退した。猛り狂う闘志を冷やすに十分である。11月に水遊びなど、子供でも中々やらない。そんなものを浴びせられては、もはや戦いどころではなくなる。
「クソッ、寒い! 身体が凍える……! 家に帰ってシャワーを浴びたい!」
「どうだ。久慈川の水を浴びた気分は?」
「テメェ……よりにもよって、あの水を!?」
「ワシは慈悲深いからな。せめて茨城の水で追い詰めてやるのよ。素晴らしい趣向と思わんか? グワーーッハッハ!」
「この、外道め!!」
司令官は、水鉄砲からボトルを外し、プールの中に沈めた。ニタリ、ニタリと汚い笑みをこぼしつつ。そして充填させては装着し、ポンプで圧力をかける。
「覚悟は良いか、小僧? このまま低体温症になるが良い!」
コウタを遮るものは無い。周囲に集まった群衆達も、水鉄砲を出されては四散するしかなかった。今や、北方軍と向き合うのは、コウタ1人きりである。
しかしそこへ、横から声が割り込んだ。ツムギ達がようやく降りてきたのだ。
「コウタ君! 今助けるから!」
「バカ、お前は来るな! ブラウスが濡れたら透けるだろうが!」
「あっ、言われてみれば……」
ギクリとして立ち止まるツムギ。その背中を、ミキが颯爽と追い越していった。
「アタシはセーターだからね、濡れ透けとか無いよ!」
そしてコウタに駆け寄り、肩を貸す。そして、すかさず撤退の姿勢に入った。
「無茶すんなって。とにかくここは逃げるよ」
「やめろよ、敵は鉄砲を持ってんだぞ。逃げ切れるわけが……」
「安心しな。アンタ、だいぶ転がったからね。こんだけ離れりゃ、さすがの水鉄砲も射程外……」
しかし、ミキは言い終える事もできず、ガラ空きの背中を濡らされてしまう。背骨が、腰が凍てつくようだ。
「なんてこった……。こんだけ距離が離れてんのに、届くのかよ……!」
司令官の持つ水鉄砲は、最新鋭のポンプ式である。手元でカシュカシュするだけで、水を遠くまで飛ばすことを可能とする。
東京の技術力は想定を遥かに超えていた。予測の甘さから、ミキはセーターを激しく濡らし、その場で膝を突いた。続けて、寒さから震えが止まらなくなる。
「うぅ、さみい。夏場でもないのに濡れるとか、ガキでもやらねぇぞ!」
「早く逃げろミキさん、オレの事なんて放っておけよ!」
「ダメだ、身体を動かすだけの、やる気が出ねぇ……。へへっ。どうやらアタシの悪運も、ここまでらしいね」
もはや自分の命運が尽きたと、ミキは悟る。
それを証左するかのように、彼らの前面に敵兵が集結。またもや一列縦隊を作っては銃を構えた。小型で、圧力に欠けるものの、動かない的を射つには十分である。
「これ以上閣下のお手を煩わせるな! 総員、射撃用意!」
一斉に銃口が並び、号令を待つ。あとは、全身が濡れそぼる程の冷水が、慈悲もなく浴びせられるばかり。身動きの取れないコウタ達は、もはや絶体絶命であった。
その窮地を、離れた位置でツムギは眺めていた。右往左往するものの、何ら名案は浮かんでこない。
「アワワ……どうしよう! このままじゃコウタ君達、風邪をひいて寝込んじゃうよ!」
しかしツムギは無力である。干芋(ぶき)は無く、戦闘経験も無い。座して待つのみだ。
「何か無いかな。どうにかして助けを……。ンン〜〜?」
その時ツムギは、視界の端に何かを見つけた。それはワラの束で、空き地の隅に積み上げられている。
これだ、これしかない。そう思うなり、ツムギは走った。この状況を打開できるか否かは、もはや賭けである。
そしてワラ山の中に頭から突っ込むと、手探りでまさぐった。
「お願い、お願いだから……神様!」
祈りを呟きながら潜る。そこで確かな手応え。歓喜の声と共に、ワラ山からそれを引き出した。
「あった! これさえあれば!」
乾坤一擲の賭けにツムギは勝ちを収めた。しかしまだ終わりではない。コウタ達は依然として、銃口を向けられたままなのだ。
「受け取って、コウタ君ッ!」
力いっぱいに投げた。それは美しい孤を描き、コウタの掌に収まった。
「これって……ワラ納豆!? どうしてこんなものが」
「細かいことは後! 良いから早く!」
「そ、そうだな」
コウタはすかさずワラを解き、中の豆を一気に貪り食った。それと同時に、敵の号令も鳴り響く。
「撃てーーッ!」
一斉射撃。数多の銃口から冷水を浴びせられる。
しかし、それは最早手遅れであった。
「うんめぇーーーッッ!」
コウタの生み出した衝撃波は、これまで以上に凄まじかった。射出された水は空気の壁で打ち砕かれて霧のようになる。そして屈強な兵士たちまでもが、尻もちを着いて呆けてしまう。自然と陣形も激しく乱れた。
再び、チャンス到来。コウタはうろたえる兵士には目もくれず、一気に駆け抜けた。狙うは大将首だ。
「今度こそブッ倒してやるぞオラァーーッ!」
「来るか小僧! そんなに撃って欲しいのか、そら!」
コウタの額に冷たい水が当てられる。しかし、彼の猛る情熱は冷めやらず、今も赤々と燃え続けている。
「馬鹿な!? 効かんだと!?」
「今度はコッチの番だ!」
「ふん、何度来ようが同じだ! ワシに干芋なぞ通用せんわ!」
この時、コウタの脳裏に閃くものがある。そのイメージは、彼が生涯において経験したものではない。しかし、何もかも理解している。手順も、動きも、心構えでさえも。
必殺技を発動させる、その全てを手にしていた。
コウタは神速の動きで掌を擦り合わせた。納豆をかき混ぜる動作にも似た仕草で。そして、掌に宿った摩擦熱を利用して、痛烈な攻撃を浴びせかけるのだ。
「食らえ! ヒートブレイクッ!」
熱々の掌を、司令官の背中に叩きつけた。繰り返すが、半裸である。素肌に真っ赤な「紅葉」を刻まれた事で、堪えきれず、その場で狂ったようにのたうち回った。
「ギャアアアーーッ! 熱い痛い、熱い痛い熱い痛いぃぃーー!!」
司令官は激しく悶絶、気絶した。プールの上で仰向けになり、泡を吹くという醜態である。でっぷりと肥えた腕も、ビニールの縁で力なく垂れ下がった。
彼を取り巻く兵士達は、瞬く間に恐慌状態へと陥った。方々から水鉄砲を落とす音が聴こえだす。
「司令官が、負けた……!?」
「うわぁぁ! こんな化物に勝てる訳がない、助けてくれーーッ!」
こうして北方軍は潰走していった。ある者は折り畳み傘すら置いて駆け去り、またある者は、司令官をプールごと担いで逃走した。
すると、駅前には立ち尽くすコウタ達だけが残された。
「勝った……。オレ達は、東京に勝ったんだ……!」
コウタは雄叫びをあげようとしたが、不意に膝から崩れた。唐突な睡魔が原因だ。抗えず、強烈で意識が遠のく。そして、そこで世界は途切れた。
オレはどうなっちまったんだ、そう困惑する言葉も、睡魔に飲み込まれていく。彼の目覚めは、翌日まで待つ必要があった。
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