放課後猫又相談倶楽部

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***  その週末、カナコはジャージを着て体育館の前に来ていた。中からはボールが強く弾む振動とシューズと床が擦れる音。カナコは勇気を振り絞り、体育館のドアを開ける。 「カナコちゃん!」  すぐにチームメイトが自分の存在に気づいてくれた。すぐにカナコを取り囲むような輪が出来上がる。 「よかった、復帰してくれて」 「カナコちゃんがいないと寂しかったよ」 「部長―! カナコ来たよ、今日の練習試合出てもいいよね?」  その声にすぐに「待ってよ!」と誰かが止めようとする。カナコが声の方向へ視線を向けると、じっと睨むように顔を歪ませているチームメイト・ルリがいた。カナコはとっさに顔を伏せる。ルリがあの時、カナコを言葉で傷つけた張本人。体がわずかに震えそうになった時、バスケ部の部長が手を叩いた。みんなそちらを注目する。 「カナコが練習試合に出るかどうかは、試合の状況を見極めて、監督と相談して決めるから。カナコは準備できてるの?」 「……うん!」  ジャージを脱ぐ。その下にはユニフォームを着てきた。準備体操もボールを使った練習も、ここに来る前にミナトとネコに付き合ってもらった。荷物を更衣室に仕舞いに行こうとしたとき、部長がカナコを呼び止めた。 「ごめん、ルリのこと……私がしっかりしなきゃいけなかったのに」 「ううん。部長は悪くないよ」 「カナコ、休んでいる間も走ってたでしょ? 体がなまらない様に頑張ってたの、見たよ」  本当はダイエットが目的だったんだけど、と口を挟むことができなかった。カナコがごまかすように頷くと、部長は背筋を伸ばした。 「だから、いつか帰ってきてくれるって信じてた。私、カナコが試合出られるようにするから。ルリのこと見返してやろう!」  力強い励ましにカナコは感激してしまう。けれど、カナコはスタメンから落ちてしまった。肩を落とす。無理もない。ずっと練習に参加していなかったんだから。  そのがっくりとしているカナコの様子を、先ほどまで練習に付き合っていたミナトとネコが体育館の外から窓越しに見守っている。カナコは「一人でも大丈夫」と言っていたのでそのまま送り出したけれど、やっぱり心配になってついてきてしまった。カナコや他のバスケ部員にバレないように身をひそめる。 「練習試合、出られないみたい……」  ミナトの声が暗くなる。そんな彼を、ネコは二本の尻尾で強く叩く。あまりの痛みにミナトは叫んでしまいそうになったけれど、声を出すと覗き見していることがバレてしまうからグッと我慢する。 「シャキッとしろ、ミナト」 「そんなこと言っても……」 「見ろ。カナコは諦めていないみたいだぞ」  試合開始のホイッスルが鳴る。ミナトはネコの尻尾の先を見た。カナコは顔を上げて、試合を見つめている。周りの子達と同じように拍手や掛け声で応援だってしているみたいだった。スタメンに選ばれなかったけれど、カナコの目は曇っていない。ミナトはその目を見て、ほっと胸をなでおろす。大丈夫、カナコちゃんなら大丈夫と頭の中で何度も念じた。カナコに届きますように、と。  原っぱ中のベンチよりも相手チームのベンチの方が声も大きくて、それに負けじとカナコも声を張り上げた。第二クォーターに入ったあたりから、点差が徐々に離れていく。ボールも何度もパスカットされて、相手陣に攻める隙も無い。カナコが応援しながら、ぎゅっと手を握る。もし自分がコートに居たら、どんなプレイができるかな? そんな想像が止まらない。早くあのパスを受けて、ボールをシュートに投げ込みたい。願った瞬間、カナコは監督から呼ばれる。 「カナコ、試合出るか?」 「……はい!」  立ち上がって、コートからベンチに下がってくる部長と軽く手を握り合う。その手は弱弱しかった。劣勢が続いたことに、彼女は責任を感じているのかもしれない。カナコはコートに入る。心臓のリズムが秒針よりも小刻みになっていく。こんなに試合で緊張したことなんて今までなかった。チームが勝つことも大事だけど、自分の居場所を守るためにも頑張らなくては――そんなプレッシャーがずしんとカナコの体を重たくさせていく。  試合も久しぶりだったせいで、ボールが回ってきてもドリブルしようとする手が覚束ない。練習したのに! 悔しくてカナコは歯を食いしばる。ボールを守ることに必死で、反則を取られないように片腕で相手チームの妨害を避けながらボールをパスする。  素早く入れ替わるゲームの流れに追いつくのがやっとで、カナコがシュートを打つ機会はなかなか回ってこない。相手チームの選手も、もうカナコになんて気にも留めていないみたいだった。体育館の外で見守るミナトの手にはうっすらと汗がにじむ。ネコは激しい攻防を繰り返すボールの動きで目が回りそうになっていた。  チャンスはいずれ必ず巡ってくる。カナコだけじゃない、ミナトもネコも同じことを願ったその瞬間、ボールを持っていたチームメイトが「カナコ!」と名前を叫んで、気づけばカナコの手元にはボールが収まっていた。つま先は相手陣のスリーポイントラインを踏まないあたり。相手チームの選手はカナコのマークから離れていて、視界の外側にいた。  カナコの耳には、賑やかな応援も、シューズと体育館の床がこすれあう音も届かなくなっていた。でも、自分の心臓と呼吸の音だけはクリアに聞こえる。春先の柔らかな日差しが体育館に降り注ぐ。床を反射したその光はまばゆくて、目がくらみそうになってしまう。カナコの視線はまっすぐ高く上げて、ゴールリングだけを見つめる。まるでゴールだけ光で切り取られたみたいに明るくなっていく。他には何も見えない。ここにいるのは自分だけになったみたいだ。カナコは覚悟を決めるように大きく息を吸った。  膝を曲げて、腰を落とす。誰が当たってきても負けないように、下半身に力を込める。  ボールを持ち、おでこのあたりで構える。右手の指全体に乗せて、左手はふんわりと包み込むように支える。  そして一気にジャンプした。脚と膝がバネになったみたいに飛び上がって、手首のスナップをきかせて勢いよくボールを送り出す。  ボールは斜め上に飛び上がり、弧を描くように落ちてくる。ミナトもネコも、固唾をのんでそれの行方を目で追った。  ボールはリングに触れることなく、ストンッとネットの中に落ちていった。カナコの耳に飛び込んできたのは、原っぱ中のベンチがワッと盛り上がる歓声。それが聞こえた時、ミナトとネコの緊張が解けていく。 「カナコ、ナイス!」  誰かが、ぼんやりと宙に浮かぶカナコの手にハイタッチする。それでようやっと、カナコは自分だけの世界から戻ってくることができたような気がした。まだボーッとしていたけれど、手にはボールが離れた時の感覚がまだ残っている。プレイはとっくに再開していて、カナコは慌てて再びボールを追いかけていた。一度シュートを決めると、今度はすぐにボールが回ってきてカナコはドリブルしながら相手のゴールに突き進む。相手チームの選手が追いかけてきてカナコのシュートを邪魔するので、パスを出す『振り』をした。相手はそれに釣られて体勢を崩した隙を狙って、カナコは再びシュートを放った。  その放物線を見ながら、カナコはミナトの言葉を思い出す。自分が相手チームにとって【脅威】だったなんて、考えたこともなかった。そう考えると、マークされるのもシュートコースをブロックされるのもなんだか嬉しい。バスケを始めてから、こんな充実感で満たされるのは初めてだった。
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