放課後猫又相談倶楽部

8/14

5人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ
「やったな! カナコ」 「うん!」  明確な数字となって表れると、がぜんやる気も増してくる。   「まずは頑張って、標準体重まで痩せるように頑張ってみるね」 「あと五キロか。我々と一緒に頑張ろう、カナコ」  カナコは頷くよりも先に、そのネコの表情が気になってしまった。まるでお日様みたいに暖かく包み込むような、慈愛に満ちた顔。一緒に頑張ろうと応援してくれる言葉も頼もしい。 「ねえ、ネコちゃんはどうして私と一緒に喜んでくれるの?」  カナコが少し痩せただけなのに、まるで自分のことのように祝ってくれる。そんな人、今まで周りにいただろうか? 「だって、ネコちゃんにとって私は赤の他人? 他猫? じゃない。 それに、私調べたんだ、猫又のこと」  猫又相談倶楽部に初めて来た日の晩。家に帰ってからスマホで猫又について調べたと打ち明ける。検索すると、それがどんな妖怪なのかすぐに分かった。 「人を襲ったり、誑かしたりする妖怪だって。でも、ネコちゃんは相談倶楽部を作って私みたいな子の悩みを聞いているんでしょう? どうしてそんなことをするの?」  ネコは少し長めの息を吐いた。 「私は子どもが大好きなんだ。いや、襲ったりするのが好きというわけじゃないから安心してくれ。子どもたちが、自分らしく楽しく生きている様を見ているのが好きでね。それが生きがいとも言える」  自分のことを話し始めるネコ。背筋がすっと伸びているのを見て、カナコは椅子に座って姿勢を正した。 「カナコは【センソウ】のことを知っているか? 今から八十年ほど前なんだが」 「戦争? それなら授業で勉強したよ」 「私はその【センソウ】が起きている真っ最中に生まれたんだ」  昼夜構わず鳴り始める警報に、空から降ってくる火の玉。町は焼かれて、住みかだけではなく多くの命が失われる。人だけじゃない、猫たちだって同じように苦しい日々だった。 「生まれてきたのは良いが、とても貧しい生活だった。母は野良猫で、まともに食事できる日なんてほとんどなかったからね」  飢えた母から与えられる乳もわずか。その母猫も、ある日突然いなくなってしまった。いなくなった猫は母だけじゃなく、他の兄弟猫も、他の家で飼われていた猫たちも気づけば姿を消していた。ネコは猫又になってから当時のことを調べた。そして、猫や犬は兵隊の衣類の毛皮になるために軍に差し出されていたことを知った。もしかしたら母も兄弟も……ネコは言葉を濁らせる。カナコは口をつぐんだ。こんな時、どんな声をかけたらいいのだろう? 自分の言葉では何を言っても軽くなってしまうような気がする。カナコは何も言えないまま、ネコの話の続きを聞いた。 「人間だって食糧難の時代だった。野良猫に餌を分け与えている余裕なんてないし、やせっぽちの猫だって、人間に捕まれば肉にされてしまうかもしれない。瓦礫の下で怯えながら、雨水を舐めて飢えをしのいでいたんだ。けれど、あの日のことは今でもよく思い出すよ」  雨が止み、雲の切れ間から差し込む強い日差しに目がくらんだ。ぎゅっと目を閉じていると、なんだか甘い匂いが近づいてくる。ネコは、まだ自分が母猫と一緒に過ごしていたころのことを思い出した。母が迎えに来たんだと目を開けた時、目の前には痩せた手と、その手に握られていた蒸かしたサツマイモがあった。 「お食べ」  鈴を転がすようなかわいらしい声だった。ネコは顔を上げる。強い太陽の日差しが逆光となって、その声の持ち主がどんな顔をしているのかわからない。肩のあたりに下がる三つ編みが「ほら、食べていいんだよ」の言葉と一緒に揺れる。ネコは鼻をサツマイモに近づけた。甘い匂いに土の匂いが混じっていた。舌先で舐めて、本当に大丈夫なのか確認する。もしかしたら毒が混じっているかもしれない、目の前の少女は自分を捕まえに来たのかもしれない。けれどサツマイモに舌が触れた瞬間、体中が暖かいものに包み込まれるような感覚があった。おいしい! もっと食べたい! 強い衝動に突き動かされて、ネコはサツマイモを小さな口いっぱいに頬張っていく。 「喉、つまらせないでね」  少女はそう言ってネコの頭を撫でて立ち上がった。大事に噛みしめながら、ネコは瓦礫の下から這い出た。薄汚れた服を着た女の子が去っていく。その薄くなった背中、細い足首。彼女だって満足に食事なんてできていないはずなのに、こんな小さな猫にサツマイモを分けてくれた。 「生かされたのだと思った。あの子と、天から差し込む明かりが自分に生きろと言っているのだと思ったんだ。そして、その日からがむしゃらに生きて、生きて、生き続けて……老いぼれ猫になり、気づけばこの尻尾さ」  ネコが尻尾を二本とも揺らす。 「人の言葉も話せるようになった。あの女の子にありがとうと伝えたかったけれど、名前どころか顔もわからない」  瓦礫が積まれていたあの場所は更地になり、原っぱになった後中学校ができた。今カナコも通っている原っぱ中学校。 「彼女に恩を返す代わりに、自分に何かできることがないかと考えたんだ。妖怪となり、長く生きることができるなら……あの女の子くらいの子どもたちの成長を見守ることができて、少しでも安らぎを得ることの場所を作ろう、と」  ネコは住みかにしていた瓦礫がなくなったあともこの地で暮らし続けた。中学校に住み着いていると、悩みを誰にも打ち明けられずに苦しんでいる子どもたちの多さに気づく。カナコもそのうちの一人だ。 「彼らが気兼ねなく悩みを相談できる場所を作ろうと思って、この猫又相談倶楽部を立ち上げたんだ。もちろん私だけではできないことは多いから、生徒にも手伝ってもらってね。でも私はいつも、人間同士ではうまく話せないことでも、猫になら打ち明けられる話だってあると思っているよ。例えば、今とかね」  ネコの言葉にカナコは黙り込む。もしかしたら、人間のミナトがいない今なら……胸の奥底に沈めっぱなしになっている【本当の悩み】を話せるかもしれない。顔をほんの少しだけあげてチラリとネコを見ると、口元のあたりが柔らかく微笑んでいる。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加