放課後猫又相談倶楽部

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「カナコは、どうしてバスケ部に行かなくなってしまったんだ?」  カナコの言葉をうまく引っ張り出すために、ゆっくりとした口調でネコがそう尋ねた。カナコは大きく息を吐きだす。まるで初めて猫又相談倶楽部に来た時のように緊張している。 「……デブって言われたの、同じ学年のチームメイトに」  忘れもしない、冬休み明けの練習試合。 「私って長い時間走ることはできるけれど、早く走れないんだ。だからドリブルで相手ゴールに迫っても、相手がすぐに追いついてきてボールが取られちゃう」  そんなプレーが続いた。相手チームもきっとカナコがチームの穴だと思ったらしく、徹底的にマークされる。ボールに触れても、走るのが遅くてもう相手が待ち構えている。きっとそのせいで、チームは負けてしまった。ベンチで汗をぬぐっているときに、ぼそっとした声が聞こえてきた。 「デブのせいだからね、うちらが負けたの」  悪意に満ちた、まるで槍のように鋭い言葉はカナコのつむじのあたりに突き刺さった。カナコはずっと俯いていたけれど、誰がそんなことを言ったのか声だけで分かる。その意地悪な言い方に他のチームメイトが真っ先に怒ってくれたけれど、カナコは顔を上げて反論することができなかった。 「だってその通りだもん。私、小さい時からずっと太ってて、バスケだって痩せるかもしれないって小学生の時から始めたけど全然変わんなかったし。走るのだって、頑張っても早くならないし!」  いくら練習を積み重ねても、その二つの欠点がなくなることはなかった。 「私だって、それくらい分かってるよ! 私のせいでチームが負けたんだってことぐらい」  唯一得意だったスリーポイントシュートも、マークされ続けたせいであまり決めることができなかった。カナコは膝の上でぎゅっと手を握って下を向いた。スカートに涙が落ち、濃紺のシミが増えていく。ネコはピョンとカナコの膝に乗ってそこで丸くなった。せめて自分の体温が彼女を慰めることができるように、と祈りながら。 「私がいても迷惑だから、バスケ部やめようとしたんだけど……他の子にダメって言われて。それで、しばらく休むことにしたの」  ネコは顔を上げる。深い海に沈めたようなカナコの黒い瞳。しゃくりあげるように泣く彼女の言葉をネコはじっと待つ。ゆっくりと本当の心が浮き上がってくるまで、それにどれだけ時間がかかっても構わない。  待っているのはネコだけじゃない。体育館から帰ってきたばかりのミナトも、理科実験室の戸の前でカナコの言葉に耳を傾けていた。今入ってしまえば、彼女はきっと話すのをやめてしまうに違いない。ネコにすべてを任せようと、彼女の本当の【悩み】と、そして【願い】を聞き洩らさないように集中する。 「でも、私、部活しかしてこなかったからやることがなくって……私の部屋にね、姿見があるんだ」  中学生になったときに、身だしなみを自分でチェックできるようにと両親が買ったもの。カナコは大嫌いだった。だって、全身が、見たくなかった自分の姿が写し出されるから。でも、部屋で過ごす時間が増えるとそれは嫌でも目に飛び込んでくる。丸い顔、太い指。胴体から伸びる脚はずんぐりとしている。これじゃ早く走れるわけがない。そして体は、デブと言われても否定できないくらい太っている。こんな姿を好きになれるはずがない。 「もう自分の姿なんて見たくない。少しでもマシになりたくて【キレイ】になりたくて。その時、猫又相談倶楽部の噂を聞いて……」  カナコの言葉が途切れた。その隙を狙っていたミナトは、ゆっくりと戸を開ける。驚いたカナコと目が合った。 「ごめん、全部聞いた」  ネコだけだと思っていたのに! 人間の、先輩の、男の子にこんな話を聞かれていたなんて。顔は青ざめた後に、赤くなっていく。恥ずかしすぎて、体は炎を帯びているみたいに熱くなった。穴に入りたいけれどここにはそんなものはないから、カナコは顔を伏せるだけにとどめた。 「カナコちゃん、僕はさっきまで体育館にいたんだ」  ハッと顔を上げた。体育館でバスケ部が練習しているのは、先ほどカナコも行ったばかりだからよく知っている。 「部員から話を聞いてきたんだけど、週末に練習試合があるんだって。それで、僕考えたんだけど、その練習試合で部活に復帰するのはどうかな?」  再び、カナコの顔が青くなっていく。間近でそれを見ていたネコはすぐに気づいたけれど、ミナトは気づかない。ネコには、彼の『カナコの悩みを何とかしたい』という善良の気持ちが先走っているように見えた。 「君のことをひどく言ったチームメイトを、試合で見返してやればいいんだよ!」 「嫌だ!」  金切り声でカナコが叫んだ。 「あの子に、ルリに会いたくない!」  顔を合わせたら、きっとまた馬鹿にされるに違いない。一キロ痩せただけでいい気になってるデブって言われる想像が頭を駆け巡っていく。 「私は絶対に、バスケ部に戻らないから!」  カナコは勢いよく立ち上がり、リュックを抱えて、ドアをふさぐように立つミナトを強く押しのけた。ほんの少ししか力を入れていないのに、ミナトは尻餅をついてしまう。カナコはミナトに視線を向ける、謝りたいけれどここから逃げ出したい気持ちの方がずっと強かった。  カナコがいなくなった理科実験室。ミナトはため息をついて座り込む。カナコの膝という居場所から追いやられたネコも長く息を吐く。その中に怒りが混じっている、ミナトにはすぐに分かった。それは自分も同じだったから。ぎゅっと手を握って下を向いた。自分の気持ちが先走りすぎてカナコのことを少しも考えていなかったことを反省する。 「どうしてカナコに、バスケ部に戻れなんて言うんだ?」
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