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叔母は立ち上がると、開け放されたベランダから庭に出て、サッと杖を振り上げた。月桂樹からなる希少な彼女の銀色の杖は、宙に四角い枠を描いた。枠内を白い光ががサラサラと対流し、半透明の薄い幕を張る。
『……ザ……ザザッ……』
幕の中に映像が浮かび上がる。真っ青な空に突然灰色の雲が湧き、渇いた砂の大地にボタボタと水滴が落ちてくる。大きな雨粒は地表の形を変えるほど激しく降り続いたが、程なくパタリと降り止んだ。再び日射しが強く照りつけ、濡れたはずの地面はすぐに元の枯草色に戻る。水溜まりのひとつも残らなかった。
「砂漠の真ん中で、500年に一度の記録的なスコールが起きた――って、大ニュース。でも実害はなかったから、これは大丈夫」
ザザッ……と一瞬乱れたのち、幕は新たな映像を写し出す。
赤茶色の大きな岩の塊を、黒い影が覆っていく。ポツリポツリと降り出した雨は、岩肌を濡らし、小さな滝を作って流れ落ちた。岩の麓に即席の池が出来、やがて雨上がりの空にカラフルな色の帯が現れた。帯は一重二重とアーチを重ね、最終的に3つの半円が大岩の上に橋を架けた。
「これは、信仰の岩。本来降るはずのない季節に虹が出たのは、天変地異……洪水が起きる兆候だろうと、人々は戦々恐々としている」
それは杞憂だ。だって、この予兆はフェイク。あたしが飛ばした魔法が原因だから。
「まぁ、本当の雨季が来たら、この伝承も忘れられるでしょうけど」
ザザッ……と映像が切り替わる。
次に映った風景に、あたしは息を飲んだ。
「異世界には、高い塔があるの。魔法が使えない分、異世界人は技術の力を手に入れたのよ」
高い塔の間を、大勢の人々が駆けている。ある者は笑顔で、ある者は苦しそうに顔を歪めて――それでも走る、走る。
「この人達、なにをしているの? なにかに追いかけられているのかしら?」
あたしは首を捻った。道の両側にいる人々は動かず、歓声を上げ、大きく旗を振っている。
「これは、『マラソン』という運動らしいわね。速さを競っているのよ」
叔母が解説した途端、満遍なく雨が降ってきて、容赦なく全てを濡らしていった。
旗を振っていた人々は、三々五々その場を離れたが、中には丸いものを広げて手にする人もいる。あれは――。
「傘、だわ。そうでしょ、師匠?」
色とりどり、綺麗で可愛い。模様があったりなかったり。いつか絵本で見た異世界の文化に、ワクワクしちゃう。
「そうね。彼らは“天候操作”が出来ないから、濡れないように道具を作り出したのよ」
「これも、技術の力なのね」
それから、師匠の幕は、見渡す限り緑の森の上にシトシトと長く降る雨を、どこまでも広がる灰色の海に溶け込む霧雨を、真っ白な雪に覆われた山頂に落ちる凍った水の塊を、次々に写し出した。
そして、最後に現れた映像は、なんだか訳の分からない場所だった。
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