夏空とアイスキャンディー

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 買い物袋をごそごそ探り取り出した一本をミソノに差し出しながら、トキは自分でもガリリとアイスバーにかじりついた。  近所のコンビニでばったり顔を合わせたミソノは、なぜか中学校の指定ジャージを着ていた。『なんでだよ!?』と思わず吹き出したおれは悪くないと思う。ミソノはむっとしていたが、アイスおごるから理由(わけ)を聞かせろと交渉すると、遠慮なく乗っかってきた。そうしておれは、片手にアイス、もう一方は自転車のハンドルを押して家路をたどっている。ミソノは歩きだ。  ジーワジーワと鳴く蝉も、夕方にはひぐらしが夏休みの終わりを告げる季節になった。吹く風が涼をはらむ。出会い頭に笑われたことにむかっ(ぱら)を立てていたミソノも、アイス一本食べおわる頃には機嫌を直し、話をする気になったようだ。 *  この日、ミソノは中学校への道を、テクテクと歩いていた。  昨夜の雨にぬれた草むらを、朝の日射しが白く照らす中、体操服にスポーツバッグをななめがけして、3年間通った道を行く。いや、小学校が隣接しているので九年か。いずれにしても通い慣れた道である。  この春、高校に進学したミソノは、通学のために大通り方面を自転車でスイーっと抜けて駅まで向かう。一方、小中学校の通学路は生活道路が中心で、車二台のすれ違いも厳しいルートは車通りが少ない。朝夕は歩行者とせいぜいバイクが古い宅地の曲がりくねった角々を低速で抜けていくくらいだ。唯一の大通りで「学童とびだし注意」の黄色い看板を横目に横断歩道を渡ると、目の前が小学校。左に折れて児童館。その敷地内の駐車場を抜け道に使うと、ほら、去年まで通っていた中学校に到着だ。 「おはようございます!」 「おお、おはようミソノ。わざわざ悪いな」  中肉中背のジャージ姿の男が振り返って破顔した。 「あの、今日はよろしくお願いします」  少々、緊張気味のミソノ。相手は、中学三間を担任として縁の深かったヤマダ先生だ。担当教科は数学。部活顧問で練習指導もしてくれた。母に指摘されて年賀状のやりとりだってした。  そういえば、高校でもクラス担任が数学教師で「ヤマ」かぶりだ。名前に「ヤマ」がつくと数学得意なのかな、などと(らち)もないことを思う。そうとも知らず、こっちこそヨロシクな、と変わらぬ笑顔のヤマダであった。   「よろしくお願いしゃーす!!」  ミソノのアップもそこそこに、現役の中学生チーム対保護者プラスOGの混成チームで、練習試合が始まった。折からの新型感染症。第ナン波だかの到来により、ミソノの出身中学もまた、他校との合同練習が制限されている。ふたチームに分けての紅白戦には、部員数が足りない。しかし今年こそは、ひと月後の予選を勝ち抜き、県大の決勝トーナメントに進みたい。選手は揃っている。足りないのは実戦というわけだ。 「ミソノ、今日は参加してくれて助かった。急にごめん」  先攻の混成チームのベンチで、ミソノは声をかけられた。 「いえ、リカ先輩。高校では運動部に入ってなくて。身体が(なま)ってたから、むしろ呼んでもらえてよかったです」    ギリギリでチームが組めなかった混成チームから、OGのグループチャットに助っ人募集が入ったのは、ほんの一時間前だ。今すぐ来てほしいというメッセージに「ゴメン」が並んだ画面を見て、ミソノが『それなら』と手をあげたのだった。ちなみに今年の主力プレイヤーのひとりがリカ先輩の妹だ。実戦相手の混成チーム立ち上げ時に、先輩は最初からメンバー登録されたらしい。じゃあ行ってくる、とミソノの肩をぽんとたたくと、リカ先輩はネクストバッターズサークルへ向かった。  秋の気配をはらんだ空は高く、うすいすじ状の雲が、上空へと白く尾を引いている。潮のかおりだけが、夏のなごりを感じさせた。  リカの打球が、力強く放物線を描いてとんだ。 *  カーン  よい音で打球をとばすのは、親父(おやじ)プレイヤーたちだ。  しかもリアル親父なものだから、ノリノリで、我が子(むすめ)の守備方向にバットを向け、打球予告までしている。  カコーン  今度はセンターの頭上を思いきりよく越えていく。ずいぶん奥まで守備位置を下げてはいたが、これは仕方ない。親父(ホゴシャ)たちが大人げないのだ。 「あーあ。また大量得点だね。この回でコールドじゃない?」  リカが呆れ気味にいった。  休憩をはさんで、二試合目がはじまる。  開始直前にヤマダ先生が、さっと混成チーム側にやってきて、このあとの予定を詰める体で『ホームラン少なめで、打球は落とす方向でお願いします!』とだけ、小声で言い残していったが、ミソノにはその気持がよく分かる。大会前にヘコませすぎても良くないのだ。  それにしても、とミソノは青空を見上げた。いつになく、ホームラン級の放物線をたくさん見た。部活中に、こんなに景気よく連なるホームランを眺めることって、そうそうない。守備中の当事者でなく、必死に声を出す必要もないオブザーバー目線だからこそ。  あ、ナイスキャッチ!  力のぬき加減を少々あやまったか、ショートフライに討ちとられた親父が頭をかいたところで、攻守交代した。  見る。  走る。落下予想のちょい後ろ辺りへ。  構える。ホーム方向に視線を向ければ、ボールがまっすぐ向かってくる。  捕る。数歩前進してキャッチ。バシンと重みが掌にしみるのが心地いい。  見る、走る、構えて捕る。このリズムが良い。ミソノは無心にボールを追った。打球がぽっかりと浮かぶ青空に魅せられたようだった。  守備範囲は身体が覚えている。落下位置は、ミート直前のバットの角度でおおよその予測がつく。ビュンとはね返されたライナーをひとつ取りこぼしたほかは、現役中にはできなかった動きを今日のミソノは披露したのだった。 *  そして今、ミソノは部活のヘルプあがりだ。なんだかやりきった感で足元がふわふわしている気がする。そんな気持のまま、少し遠回りしてコンビニで冷たいドリンクを買おうとしていた。 「・・・・・・中学ジャージで歩いてたのはそういうことだよ」  ミソノは話を締めくくった。  ふうん。  トキはなにやら納得がいかず、曖昧に相槌を返す。  ・・・・・・なにが引っかかるんだろうな、おれは。ミソノの歩みに合わせて自転車を押しながら、釈然としないトキは考える。  喜々としてホームランをかっ飛ばす親父(おやじ)チーム? 予告してその通り打球がとぶこと? リカ先輩がクールキャラになってること、は・・・・・・特に興味ないな。ヤマダ先生は、相変わらず。すると、やはり・・・・・・  トキはミソノの横顔に問いかける。 「なあ、ミソノ本人だよな?」  ミソノは一度ぱちくりと瞬きをすると、ぐるりと丸い目をさらに丸くして首を傾げている。あー、とトキは言いよどむ。 「打てば響くタイプじゃなかっただろ? だから、なんかヘンな――おもしろいことが起きてんじゃないかなぁ、とかさ」  途端、ミソノは不本意そうに唇をとがらせた。 「それ、わたしが活躍したら、超常現象レベルでおかしいってこと? 中学時代に二年半プレイしてたんだから、まあまあ動けてもそんなにおかしくなくナイ? ・・・・・・ま、まあ、自分でも、ちょっとデキすぎかなとは思ったけど」  熟成したことで、知識と動きがつながったかなにかしたのだ、必死に理由付けをしようとする隣を歩く女子がおもしろい。 「っていうか、トキが思う『わたし』の基準って、どうなってるの。運動音痴ってこと?」  最後には真っ赤になってにらみつけてきた。ヤバし。思わず吹き出しそうなところをなんとかこらえる。エホン、ゴホン。 「んんっ。そ、そうだよな、たまたま出来がよかったかもな。特大のアイスバーを超速(ちょっぱや)で食えるだけが特技じゃないってことだな、うん」  ミソノがじとりと目線をよこす。トキは涙のにじんだ目尻をすばやく拭った。 「よかったじゃん。憧れのリカ先輩に良いところ見せられてさ」  ニヤッと笑ってみせると、ミソノは小さくうなずいた。ちょっとほおが緩んでいる。これは、すごくうれしいけど真正直に言えない顔だ。 「ま、長い付き合いだからな」  ポンとひとつ、頭に手をおいた。  ミソノの特技が氷菓を食べて頭痛をもよおさないことだとか、キリリとカッコいいリカ先輩にほめられて喜んでいるとか。すっかりお見通しなことは複雑ではあるが、ミソノは失礼なトキを流してあげることにした。 ・・・・・・長い付き合いだからね  季節は秋へと移ろおうとしている。
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