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雨が降っている。
「あっつう……」
湿気で服が貼り付き、靴の隙間に雨が滑り込んでビチャビチャになってしまう。
梅雨の雨は本来だったら涼しいはずなのに、中途半端に気温が高いせいで、雨が降るとアスファルトに閉じ込められた熱がむわりと漂い、暑苦しいことこの上ない。
本当だったら扇風機をかけた部屋で、コーラでも飲みながらゴロゴロしていたかったものの、今日はあいにくアルバイトの日だった。
俺は百均で買った傘頑張れと思いながら歩いていると。
シャン
シャン
シャン
シャン
「ん-……?」
住宅街にそぐわぬ、荘厳な鈴の音が聞こえたことに、思わず傘と一緒に首を傾げた。
そういえば。雨は降っているにもかかわらず、光が燦燦と降り注いでいる。天気雨という奴だった。
その中で、向こうから赤い蛇腹傘を差している集団が目に留まった。
全員着物を着ている。一張羅の黒い紋付き袴。黒い留袖。そして。皆に傘を差されてしずしずと歩いているのは、赤い派手な引き振袖を着た女性だった。
前に祖父の付き合いで一緒に見た、時代劇の花嫁行列のようだ。
この雨の中、和服で結婚式なんて珍しいなんてものじゃなく、むしろ「この時期に着物着て大丈夫か? 動きにくくないか?」と思ってしまう。
その中、傘の向こうから花嫁の顔が見えた。
白い顔は妙に鼻が高く、目が異様に尖がっている。というより。
どう見てもそれは、狐が花嫁衣裳を着ているようにしか見えなかった。
「……ひっ」
思わず声を上げたら、花嫁行列が一斉にこちらを向いた。
──見たな
──おひいさんはやっと嫁入りできるというのに
──まさかひとに見つかるなんて
──よし、やろうか
なにがだとは聞けなかった。
気付けば俺は、走りにくいのを無視して走り出していた。傘が邪魔で、どこかに打ち捨ているしかなかった。
狐たちは追いかけてくる。
──コォーン
──ケローン
──ケェーン
──コォーン
獣の鳴き声を聞いて、必死に走る。
だんだんアルバイト先のコンビニが見えてきた。俺は必死に走って、中につんのめった。
正社員さんは、キョトンとしていた。
「どうしたの。こんな雨の中、傘も忘れて」
「は、花嫁……」
「花嫁? なに、六月だからって結婚を意識して?」
「違……」
頭がぐちゃぐちゃだった。もう鈴の音も、追いかけてきた獣の鳴き声も聞こえなくなり、少しだけほっとした。
正社員さんは、「ほら、交代前に綺麗にしてきて」とタオルをくれつつ、自動ドアの向こうを見た。
「あー……狐の嫁入りだねえ」
「狐の嫁入り? 天気雨じゃ」
「天気雨だよ、狐の嫁入りは。なんでもねえ、狐の嫁入りは人間に見られてはいけないって言われてるんだよ。だから雨を降らせて人間を建物の中に追いやり、その間に結婚を済ませるって言われてるんだよ」
「はあ……」
なるほど。だから狐の嫁入りを見た途端に襲い掛かって来たのか……うん?
「仮に狐の嫁入りを見た場合ってどうなるんですかねえ?」
「ふーん? 見た人を知らないけど、人間に見られちゃいけないってルールがあるんだったら考えるんじゃないかい? たとえば、いなかったことにしちゃうとか」
だんだん、正社員さんの声が、獣じみた声に変わってきた。
「……え?」
「見られちゃ駄目なら、見た人がいなくなればいいんだよ」
正社員さんの顔はやけに白く、目はつり上がって鋭く、鼻は高くなっていた。
<了>
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