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夏帆は買い物を終え帰宅すると、エプロンをまといキッチンに立った。
料理をするのには慣れているので、たとえお客さまにお出しする料理でも、小一時間もあれば仕上げることができる。これも小学生のころから包丁を握り料理を作ってきた賜物だろう。
あの頃は母親がいなくて、なぜ自分だけ?と悩んだこともあった。でも、食事は毎日のことで、空腹を満たすには作るしかないのだ。いつしか食事作りは当然のことだと思えるようになった。
今では、食材をみただけで栄養バランスを組み立てたり、父親のや嫌いなものを美味しく食べられる工夫までできるようになった。
(これも一種の能力なのかな?)
残念な点を挙げるとしたら、この腕前を他の男性に披露したことはなく、恋愛偏差値を上げる要素になっていなかったことだろう。
食事の準備をしていると玄関が開く音がした。
(成瀬さん⁉)
夏帆は思わず手を止めて、玄関までお迎いに行ってしまう。
「おかえり…――、お父さんか」
笑顔からの、明らかに夏帆のトーンが下がった。
「成瀬じゃなくて悪かったな。帰ったぞ」
ニコニコ顔の夏帆が出迎えたので、父親も少々面をくらったようだ。父親に痛いところをつかれ、夏帆は表情をいつも通りに作り直した。
「今日は早いね。ねぶたの準備は?」
「来週から参加するからな。帰りが遅くなるぞ」
「そう。今年のねぶたのテーマは決まったの?」
「酒呑童子だ。若造のねぶた作家だけどな、いいデザイン書くんだよな。今年は賞をとれるんじゃないか」
「へー楽しみ~。今年も見に行かないとね」
毎年八月に開催されるねぶた祭り。地元の人たちが作るねぶたがむつ市内を練り歩く恒例行事。夏帆も産まれた時から見ている祭りだ。
「いいですね。僕も見てみたいです。酒呑童子」
突然、後ろから成瀬の声がして夏帆の肩が上がってしまった。
頬をちょっぴり染めて振り返ると、そこには白制服の成瀬がにこりと微笑んでいた。
(ひゃ〜仕事終わりの成瀬さんもかっこいい)
夏帆はばれないように心の中で青い声を出した。
代わりに父親が答えてくれる。
「成瀬は今年赴任してきたから、ねぶたは見たことがないんだな」
「はい。こっちに赴任になって、実は楽しみにしてるんですよ」
「じゃあ、今年はみんなで見に行くか、なぁ、夏帆」
父親は少しわざとらしく夏帆に振って来た。それに戸惑いながら、夏帆は返事をする。
「えっ? う、うん。そうね」
「是非、よろしくお願いします」
成瀬はしっかり夏帆の顔を見ながら、優しく目を細めて答えた。そんな成瀬に夏帆ははにかむ笑顔でしか返せない。
(嘘でしょ? お祭り、一緒にいけることになった……)
父親の何気ない会話の流れのおかげで、すんなりとお祭りを一緒に行く約束が出来てしまった。あまりにもスムーズな流れに、夏帆はついてゆけず会話に相槌を打つことしかできなかった。
「では、着替えてきますね」
「は、はい。もうすぐ夕飯できますから」
夏帆は正直ほっとした。慣れない成瀬の制服姿であのまま微笑みかけられたら、きっとお地蔵さんみたいに動くことができない。
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