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夏帆と詩織は炊事場に移動していた。
ここで食材を洗い切っていた。
「旦那から話は聞いてるよ。成瀬さんとは付き合ってどれくらいなの?」
さっそく詩織が切り込んできた。
夏帆は顔を赤らめて困る。
「あ、あの。私たち、付き合っていないんです…」
多分、お互いに気持ちは通じ合ってはいる。しかし、それだけで交際しているわけではないのだ。
「あ、なんだ。まだ付き合ってないの? てっきり今日、プロポーズするのかと思ってた」
詩織がざっくばらんで正直な性格なのがよくわかる。
「情報があの、だいぶ、前のめりというか…」
夏帆もどう答えていいのやら、しどろもどろになる。
「でも成瀬さんなら安心してパートナーにできるね。夏帆さんとお似合いだよ」
詩織はそう言いながら器用にピーマンを切り分けてゆく。
「私になにか聞きたいことある?」
「え?」
「ああいう仕事している人と付き合うと、予想外なことたくさん起こるでしょう?」
「ああ…」
先日の突然の出航のことだろかと夏帆の頭をかすめた。
夏帆は遠くではしゃいでいる子供たちに目をやった。
「お子さんはもう小学生なんですね。旦那さんがパイロットの仕事で、子育てで苦労することってありましたか?」
「んー、実際、そんなにないんだよね」
急な仕事で困ることはあるだろうと夏帆は思っていた。しかし、意外に詩織はあっけらかんとしていた。
「パパが仕事で不在になって困ったことはないんですか?」
夏帆は不思議そうに訊ねた。
「たしかに、仕事でパパとの約束が実行できなかったこともあるわ。でも、子供も私も、『予定は未定』って受け入れてる感じかな。そういう人と一緒になったんだからってね」
「……」
(諦め、みたいな感じなのかな)
黙り込む夏帆。
不安を隠す夏帆に詩織は気が付く。
「夏帆さん、大丈夫よ。私たちだって、この生活と理想をすり合わせるのに喧嘩もしたし、たくさん話し合ってきた。それで今があるんだから」
「それで乗り越えることが出来たんですか?」
夏帆の瞳には動揺が映っていた。
詩織は小さく微笑んだ。
「では、ここで一つ、私の体験談をお話ししましょう」
夏帆も手を止め詩織を見た。
「初めての妊娠の時、旦那が半年間の海外派遣に行くことになったの。旦那が出産に立ち会えないなんて辛すぎるって大泣きしたけど、旦那は仕事にいっちゃった」
その話は亮介から聞いたことがあった。夏帆の表情も神妙になる。
「出産も一人でして、旦那を一生恨んでやるって思っていた。でもね、旦那と一緒の船に乗っていた同僚からの話を聞いてね、考えが180度変わったの」
「何があったんですか?」
「旦那が私の出産報告を受けたのは、アデン湾の五十度近い甲板の上で作業している時。報告を聞いた旦那がね、涙か汗かわからない大粒の水を垂らして『男の子なら妻に似ているかな』って泣いていたって。その話を聞いて思ったの」
「本当に辛いのは、どっちなのかなって」
「あ…」
「旦那も十分辛いんだよね。でも、気持ちを整理して国のために仕事をする旦那を見直した。今は私も旦那の仕事に誇りを持っている。だから、急な仕事の要請でも気持ちよく送り出せるの」
「すごい。詩織さん、逞しいです」
詩織の気概はそんな体験の積み重ねからくるのだと理解できた。
「夏帆ちゃんも細くて可愛いけど、私みたいに逞しくなるって」
「私…なれますかね?」
「平気平気。艦艇勤務の奥さんたちは結束力が強いのよ。旦那をあてにできないから、妻同士で支え合う文化があってね。だから、自分一人で子育てしなきゃ、なんて肩肘はらなくて大丈夫」
詩織さんは常に前向きだった。
後ろ向きな考えがバカバカしく思えてくる清々しさがあった。
夏帆の心も軽くなってくる。
こうやって実際に自衛官と結婚している詩織の話を聞いていると、普通に生活しているんだとわかって安心につながった。
「詩織さん。私、少し自信がもてました」
「そう? よかったわ。よし、ラストのトウモロコシねっ」
詩織は両手でトウモロコシを持つと、見事にパキッっと真っ二つに割るのだった。
そんな詩織が夏帆は頼もしかった。
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