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「俺には聞こえないよ、『血みどろの闇深き死に別れ』なんて誰がほしがるってんだ。俺は御免蒙るさ。『末永く幸せに暮らしました』のどこが悪いんだ」
店主は言いつつ、綺麗にととのえられた顎髭をいじる。そして手にした六冊子をパラパラとめくりながら眉をつり上げた。
「だめ、駄目だよ。なんだって爺さん、この国の初代皇帝陛下の皇后様を『じつは男でした、ついでに神でした』なんて展開にしちまってるんだよ。一体全体、なんだってあの『盛国の美女』、『月も恥じらう天女』、『一目みれば狂わんばかりの美貌』とたたえられたお方をそんな……男でしたなんて!」
「『事実は小説よりも奇なり』と言うではないか。実際これよりもひどい有様だったのを、わしが絶妙な筆致で美しくおさめたのではないか」
「なにを知ってるってんだ、これが美しくおさまってるって? バカバカしい。ダメだったらダメ。何度言わせるんだ、今の皇帝陛下が許すわけないだろう? 最近はどんどん検閲が厳しくなってるんだよ。出そうったって発禁処分まちがいなし。もう終いにしよう、こっちまで頭がおかしくなっちまう」
店主が冊子をつみかさね返そうとすると、老人は首を横に振った。
「いかん、いかんよ店主。あまりにも見る目がなさすぎる。だからこの書店は看板が傾いているのだ」
「馬鹿いうんじゃないよ、さっき見たけど砂粒ひとつ分たりとも傾いちゃあいねぇ」
「店主、冗談いう余裕があるなら」
「さっきから冗談ばかりなのは爺さんのほうだがね」
「悪いことは言わん。売るのだよ」
老人は冊子を店主のほうへ押し返し、その上に何かを放って立ち上がる。そして素早い身のこなしで店内をよこぎると、戸口をくぐって消えた。
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