2:斎藤 真琴

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2:斎藤 真琴

 真琴が部屋に戻ろうとすると、母に呼び止められた。 「真琴、ちょっと皿洗いお願い」 「わかった」  母は、まだ言葉の端々に刺々しさが残る口調でそう言った。気だるげにその頼みを了承すると、真琴は一旦引き返し、キッチンのドアをくぐった。  真ん中に据え置かれたテーブルと、それを取り囲む4脚の椅子。ひとつだけ形の違う低めの椅子に、母はぐったりとした様子で座っていた。両手で顔を覆い、嘆き悲しむように背を丸めている。  かすかなため息が、手のひら越しにも聞こえてくる。  流しの前に立つと、真琴はシンクに溜まった皿の汚れを一旦洗い流すため、手近にあったキッチンペーパーを破った。落とすのが難しい油汚れやソースのシミを拭き取ると、丸めて三角コーナーに捨てる。  蛇口を捻った。水が勢いよく吹き出し、水圧で汚れが落ちていく。少し水の勢いを弱めてから、真琴はスポンジと洗剤を手に取った。  シンクに放り込まれた皿の量から、必要と思われる洗剤の量を目分量で計る。ここ最近は、必要なものの買い足しに行かされるのも自分だ。余分な消耗は控えたかった。  スポンジを泡立ててコップ、茶碗、平皿と洗っていく。昼に食べたカレーの皿は、最後の方に回した。下の方に埋もれていた鍋も、後回し。目先のものから片付けていく。  そう、目先のものから片付けていくというのは、他のどんなことにおいても大切だ。  なにか問題があったときには、まず何よりも、応急処置が一番である。適切な対処を怠って遠過ぎる未来のことを心配したり、問題を引き起こした人を延々と責め続けたりすることは、なんの解決にも繋がらない。  ──それを、分かっているはずなのに。  ちらりと背後に視線をやりながら、真琴は、再び心中に暗雲が垂れこめていくのを感じた。  母は、もう姉のことを諦めてしまっているのかもしれない。  いい高校に行くために必死に勉強させたのも、難関大学に合格させようと家計に無理をしてまで塾に通わせたのも、姉を立派な人間に育てるためだっただ。  両親は、もう姉の「立派な人間」という偶像への道は、閉ざされてしまったようにでも思っているのだろう。 「そんなこと、ないと思うんだけどな・・・・・・」  またもや背後で母が大きく息を吐いた。ため息をつきたいのはこっちの方だ、真琴はそう思った。  
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