2:斎藤 真琴

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 例の「冒険」の日についての記憶は、それだけだった。数日後に父から聞いたことも含まれており、やはり正確なことはほとんど記憶していない。  真琴は、幼い頃のことをあまり覚えていない。人は大人になると、幼児だった頃のことを忘れると言うが、幼児期健忘という言葉だけには収まらない理由が、何かあったかのようだ。  小さい時に、姉と何を話し、どこへ行ったか。真琴の頭からは、そういった記憶がところどころで抜け落ちている。  真琴が学校で周囲の人間に避けられているのも、それを不気味に思われているからだった。当然だ。数年前のことすらほとんど覚えていないという同級生など、気味悪がられるだけでしかない。  そもそも、過去のことに関する記憶のほとんどが、靄に包まれたようにあやふやなのだ。はっきりと覚えていることは、一度だけ両親の目をくぐり抜けて、姉とともに行ったあの小さな冒険だけ。  その記憶でさえも、確証のないままぼんやりとしているのだ。自分は、高校に入学する以前の記憶をすべてなくしているのではないか。  たまにそんなことを想像してしまう。  おまけに、自分が昔のことについて忘れすぎていると感じるたびに、いつも脳裏をよぎる風景があった。  中学生のときだっただろうか。細く開いたドアの隙間に覗き見た台所。床の下から漏れ出る、薄ら明かりのそばに置かれた、小さなガラス瓶。  両親は身を隠すように背を丸めて、ひそひそと小声で話していた。会話の内容は聞こえなかったが、なぜかそのガラス瓶だけは、強く印象に残っていた。
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