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「すまん、真琴・・・・・・少し部屋に入ってもいいか。母さんの声が頭に響くんだ」
「別に構わないけど」
疲れ切った顔だ。真琴は、仕方なく部屋に入れることにする。ちらと見ると、仕事に使う鞄もまだ持ったままだ。しかしシャツには糊が効いておらず、ボタンもいくつかほつれかけていた。
務めている製薬会社では、重役についていると聞いた。仕事も山のようにあるらしく、数日の間帰ってこないことも稀にある。
だが、それを抜きにしても、父はいつにもまして濃い疲労を顔に浮かべていた。帰宅した後、玄関から直接この部屋まで来たのだろう。
階下からは、母の怒鳴り声が聞こえてくる。今日も姉への怒りは、途切れることがない。
家事の大半を担う母は、この頃ずっとあの調子だ。おかげで、利帆はもちろん、父や真琴の日常生活にまでも弊害が出ている。
ドアを閉めた父はようやく、安心したように大きく息を吐いた。
「利帆が大学に落ちてから、母さんはずっと機嫌が悪いままだ。利帆も意気消沈して、また頑張ろうという気持ちさえなくなってる。このままではだめだ・・・・・・放っておけば、あの子はダメになる」
「いやでも、そんなこと・・・・・・」
「ないわけがあるか。無理に決まってるだろ!俺だって辛いんだ・・・・・・これ以上負担を増やさないでくれ。頼むよ、利帆」
ネガティブな言葉に、真琴は驚いた。父はそのような人ではなかったはずだ。間違っても、息子の前で下を向き、弱音を吐くような人ではなかった。
相当まいっているのだろう。違う部屋にいる娘へ懇願するような響きに、さすがの真琴も、わずかばかりの同情を禁じ得なかった。
「・・・・・・姉さんも、今はまだ立ち直れていないだけなのかもしれない。何年も合格のために努力してきたのに、それが報われなかったんだからさ。また時間が経てば、自分で将来の道を切り開こうとするだろ」
姉さんはそういう人だ。真琴は小さくつぶやいた。だが、父はうつむいたまま顔をあげようとはしなかった。
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