35人が本棚に入れています
本棚に追加
/40ページ
ようやく、利帆は落ち着き始めた。喘息に近かった呼吸も一定のリズムを取り戻し、手足の震えも収まってくる。
何度かまばたきを繰り返すと、彼女は、真琴の腕の中からゆっくりと顔を上げた。
助けを求めるような視線がきょろきょろと周囲をさまよい、やがてぴたりと真琴を見据えて止まった。
「・・・・・・な、なに・・・・・・だれなの。あんた」
弱々しい声で、利帆は問うた。真琴のことを忘れているのだ。真琴がそっと手を離すと、利帆は怯えた顔で素早く後ずさった。
こわばる背筋にも、緊張した面持ちにも、既に利帆は宿っていない。
「こんにちは、サイトウ リホ。僕の名前は真琴。君の弟だ」
大仰な仕草で、真琴はお辞儀をした。安心させるような微笑みを浮かべて、彼女の恐怖をとこうとするように。
「まこ、と」
ぼんやりとした視線が真琴を捉えると、幼子のようにつたない言葉が、口から漏れ出た。
「おとうと・・・・・・わたしの、弟」
瞬時の恐怖が少しずつ消え去り、やがて表情が抜け落ちていく。気づいたときには、警戒心に満ちた目がこちらを睨んでいた。
真琴の知る利帆は、もういない。そう悟った。
──彼女を殺すことに成功したのだ。
しばらく真琴のことを睨んでいた彼女は、まだ眉間にしわを浮かべながら、そろりそろりと横にずれていった。足が本棚の隅にぶつかった途端、ぎょっとした様子で飛び退く。
一方で真琴は、彼女にどう声をかけるべきか考えあぐねていた。
今の彼女は、何もわからない状態だ。へたに情報を与えすぎては混乱するだろうし、危険性を感じれば言うことを聞かない可能性もある。
何をどう話すか、逡巡していた。
不意に、彼女は一点を見つめたまま静止した。視線の先にあるのは、倒された一脚の椅子だ。しばらく椅子を凝視した後、彼女は感情の読めない瞳を真琴に向けた。
彼女は、奪われることを恐れるかのように、素早く椅子に手を伸ばした。
「待っ──」
瞬時に脳内を駆け巡った予感に、真琴はとっさに叫んだ。
しかし真琴が利帆を止めるより早く、彼女は、勉強机の傍らに倒れた椅子の背を掴んだ。
最初のコメントを投稿しよう!