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室内は、完全に修羅場と化していた。何度も血が飛び、悲鳴と怒声が連続する。母はあまりの恐怖に失神し、ぐったりと力なく壁にもたれていた。
真琴も、だんだん自分の意識が薄れていくのを感じていた。見えなくなっていく目の前とは反対に、鼓膜だけが、しっかりと里歩の絶叫を捉えている。
封印されていた凶暴な人格が、上澄みの消滅によって再び表面化したのだ。その暴力は、もはや誰にも止めることはできない。
どろりとしたものが、後頭部から耳元を伝い続けていた。それが何かは考えずともわかる。死が近づいてきていることも、理解していた。
かつては、この時間が恐怖だった。新しくやってきた「姉」が、無差別に周囲へ暴力を振るう。それが堪らなく恐ろしくて、いつの間にか記憶から締め出していたのだ。
真琴の昔の記憶が薄いのも、これを飲ませなければいけないほどに荒れていた里歩を、忘れたいくらい恐れていたからだった。
心の底から安心できるような、安らぎの場所が奪われてから既に久しい。だからずっと、安らぎを求めていた。
──けれど、今は。
その恐怖さえも覆すほどの願望を、見つけてしまったのだ。その願いに、酔いしれてしまったのだ。
「ああ、姉さん・・・・・・」
罵声と静止の声、椅子が叩きつけられる音、物が散乱する音に騒がしい中で、真琴は吐息を言葉にした。
斎藤 利帆は死に、元の人格である柴燈 里歩が新たに息を吹き返した。復活とも言うのであろうそれは、まるで新しい命の誕生のようだ。
これを待ち望んでいた。だから──利帆の願いを、容易く受け入れたのだ。
あの薬で利帆を綺麗に殺して、まっさらの白紙にしてしまえば、再び柴燈里歩が生まれ、真琴の望む「綺麗な誕生」が実現する。
姉の願いを叶えることは、真琴自身の願望を現実のものとすることに等しかった。
「綺麗だ。利帆さんの死は、とても──」
最期の言葉をささやきながら目を閉じる真琴が最後に見たのは、割れた植木鉢と、細い根を虚しくさらして机に押しつぶされる、パイナップルセージの双葉だった。
(完)
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