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愛の形
今でこそミニマリスト、と言うのだろうけれど。
祖父母の持ち物は驚くほど少なかった。
祖父と駆け落ち同然で結婚し、田舎の小さな家を持って質素に暮らしていた。
元々は良家の子女だったらしい祖父母の持ち物は、数が少なくても品物は良いものだったらしい。
数年前に祖父が亡くなり、祖母が亡くなった今、
葬儀を済ませ、親族で遺品整理をしている。
祖母が嫁入り道具として持参した、数枚の着物。鏡台は一番上の叔父に。祖父が愛用していた桐の箪笥は二番目の叔父に。小さなお家は叔母に。と順番に相続権利を主張した。
「二束三文だけどな、僅かでも金になるだろ」
という叔父たちの会話は、堅実に生きてきた祖父母の生き方を否定するようで、とても悲しかった。
「良二はどうするんだ?」
一番上の叔父が、父に聞いた。価値の有りそうな物を年齢順に取っていったので、家財はもう、殆ど何も残っていなかった。
二束三文とは言ったが、貰えるものは貰っておきたい叔父たちは、自分の取った物を父が欲しがるのではないかと、内心ひやひやしている様子が見て取れた。
心配そうに見ている私の頭をに手を置き、父は母と微笑みあった。
「僕は、これを頂きます。父さんたち、何もないところからちゃぶ台一つで生活したってよく言ってたし、思い出があるから」
父が指さしたのは、小学生だった私でも抱えられる程の小さな折り畳み式の丸いちゃぶ台。
建具屋だった祖父母の友人が、祖父母のために拵えてくれた、と祖母が嬉しそうに話し、大事に使っていたものだ。
叔父たちは、ニコニコと満面の笑みを浮かべた。
自分たちの取り分が減らなかった事に加えて、父が選んだ物に価値が無いと判断したからだった。
「萌々ちゃんも気に入ったみたいだしな。それにするといい。気に入った物を貰うのが一番の供養になるだろうしな」
そう言って叔父たちはガハハと笑った。
普段から両親が親族付き合いを疎遠にしている理由がこの時に分かった気がした。
父は小さな折り畳みちゃぶ台を持ち帰り、文机として使っていた。
書道のお稽古の練習は、必ずその折り畳みちゃぶ台で行った。
小さなちゃぶ台で父と膝を突き合わせるのはとても楽しかった。
トントントン、部屋で荷造りしているとノックが響いた。
「はぁい。なぁに?」
ドアを開けると両親
が立っている。
「忙しいところ、ごめんよ」
「いいよ、もうすぐ終わるから」
涙脆い母の目は、既に潤んでいる。
やめて、お母さん。泣かないで出ようと思っているのに、私まで泣いちゃうから。
この春、高校を卒業して大学進学することになった。実家から通えない他県の大学であるため、四月からは、一人暮らし。
私は祖父母、両親を見習って、自分の力で堅実に生きていきたい気持ちがあったので、学費と最初の家賃は払ってもらうけれど、日々の生活費は自分で賄う、と決めた。
幸い、住むところはすぐに決まった。
大家さんは二世帯住宅に住む年配の女性。
息子夫婦と暮らそうと一階と二階を分けて、二世帯住宅に改造したけれど、古い家だったので二階の部屋は二部屋しか取れなかった。息子夫婦に子どもが出来て二部屋では手狭になり、家を買って出て行ってしまったので、使わなくなった部屋を貸したいのだと言っていた。
玄関、お風呂、キッチンは別々なのでプライバシーは保たれる。
木造住宅なので、多少の生活音はお互いに響くかも知れないと、大家さんが心配そうに言う。
六畳くらいのお部屋と四畳半くらいの和室。それに二畳くらいのキッチン。トイレと、小さなお風呂場。
何人かで住むには狭いかも知れないけれど、私は一人だし。丁度いい落ち着く広さだ。
クローゼットはないけれど、押し入れがあった。部屋は狭いけれど、綺麗に掃除されていた。午前中の日当たりも良さそうだ。
大家さんがきれい好きな方なのだろう。
祖父母の家に来たような懐かしい感覚。一緒に内見に来ていた両親も、大家さんとお家を気に入ったようだった。
親子で感覚が似るのかも知れない。
知らない土地に行くのだから、自分の気に入った場所に住むのが一番だ、という理由でそこに決めた。
家賃は驚くほど安かった。ずっと借り手が居なかったから、と笑うふくよかで大らかな大家さんは、
「生活に困っているわけではないから、そんなにいらないのよ。ここは狭いしね。それに、完全防音ではないから、夜中に物音を立てないでねとか、ルールがあるので、若い人には窮屈でしょう?だから、そのお家賃で十分なんですよ」と話してくれた。
冷蔵庫、洗濯機、エアコンは新品取り付けだったし、何より大家さんが「楽しみにしているわね」と言ってくださるので、この物件以外には考えられなかった。
一つの物を長く使うと言う祖父母や両親の性質を受け継いだせいか、私の持ち物も少なかった。
抱えられるほどの箱が二箱。服の収納用と勉強道具収納用のカラーボックスが二個。
ベッドを使わないと言う私の言葉を受けて、大家さんが入居祝いに寝具類を贈ってくれた。
真新しい打ち立ての敷布団や羽毛布団が押入れに入れてあると聞いた時は嬉しくなった。
だから、使っていたベッドはそのまま、ここに置いていく。
「ガランとしちゃったな」
父が、部屋を見回す。
「ベッドや机は持っていけないから、残して行っちゃうけど、クローゼットの中とかは空っぽにして、掃除したよ」
私の言葉に、父は母が持っていた箱を受け取り、私に差し出した。
「父さんと母さんから、萌々にプレゼントだよ」
「開けてもいい?」
「勿論」
箱を開けると、文机としてずっと使っていた折り畳みの丸いちゃぶ台。
でも、以前と少しだけ違うような……。
じっとちゃぶ台を見つめる私に、父が笑って教えてくれた。
「職人さんのところに持っていって、脚の部分を、少しだけ加工してもらったんだ。おんなじ木材探すのが大変だったらしいぞ」
「脚を伸縮できるよう細工してもらったのよ。伸ばせばテーブルにもなるし、短ければちゃぶ台として萌々が自由に使えるように」
母が優しく言い添える。
私はちゃぶ台を撫でた。
祖父母の駆け落ち同然で始めた生活を支えたちゃぶ台。
父が文机として使ってきたちゃぶ台。
私がお習字の練習をしたちゃぶ台。
三代の思い出が詰まったちゃぶ台が、私の新生活を見守ってくれる。
それだけで、知らない土地での一人暮らしに対する不安も心強くなる。
私は両親にひとしきり、抱きついた。
それから、照れ笑い泣きををして、ちゃぶ台を撫でた。
これからもよろしくね、ちゃぶ台さん。
あなたは、祖父母の愛の形だよ。私はそれを受け継いで生きていく。
ちゃぶ台は磨かれて鈍い光沢を放っていた。
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