第九章 トリストゥルム

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九  夕日をあびながら馬車で境界を越えた。王室と貴族の領域。ここはすべてが別世界だった。貴族の屋敷が連なる道は片方の車線だけで馬車が三台並んで通れた。  しかしどの館にもよろうとしない。ただまっすぐに奥へ奥へと進んでいった。 「どこへ行くんですか。ケストリュリュム家を越してしまいましたが」  森のような木々の間にちらりと旗と石造りの邸宅が見えたが、馬車は速度を落とさなかった。 「まだです。家に帰るのではありませんので」  塔が、その付け根の建物と共に見えてきた。貴族議会だった。 「まさか」 「まさかは突然起きます。だから人生は面白い。これから帝王に拝謁します。緊張しないで。いつも通りでいいのです。どっちにせよあなたに王城での礼法は無理ですし、向こうも咎めたりしません。開き直ってください」  開き直れ、と言われてそうできるほど図太くはなかったが、そうであるならそうするしかない。クロウは腹を決めた。 「会ってなにを話すのです?」 「話題を決めるのは帝王です。そこは間違えないでください。会いたいとのご要望だから連れて行くのです」 「帝王がわたしを指名したのですか」 「そうですよ。それ以外王城に行く理由などありません」  ため息をつく。 「生きて帰れますか」 「保証はいたしかねます」  謁見の間は思ったより狭かった。床は静かな水面のように磨きこまれ、天井画は王室の歴史を描いたものだった。ほぼ円形の部屋の周囲には飾りの柱や壁龕が多数あり、目立たぬように警備兵が潜んでいた。  クロウと大魔法使いは中央の待機円の中で立っていた。待たされるかと思っていたが指一本もたたないうちに侍従があらわれ、帝王の出御を告げた。  とは言ってもクロウはどうすればいいのか分からないので大魔法使いと同じく突っ立ったまま待った。多分、すでに恐ろしいまでの無礼を働いているのだろうなと思っていた。  現れた帝王は想像と異なり、あっさりした街着のような服装だった。見える部分には紋もない。帝王においては身分を表すような印は不要なのだという理屈は、その時のクロウには思いつきもしなかった。  卵型の頭に髪はなく、大きな目と鼻、その下の幅広の口には年齢と意志の強さを示すような深くはっきりしたしわが彫り込まれたように走っていた。クロウより背は高く、すぐにでも闘えるような体格だった。すくなくとも惰眠をむさぼっているのではなさそうだった。  帝王はさっと腰掛けたが、クロウはまだ立ったままだった。大魔法使いもそうだったのでひざまづくのをためらっていた。  侍従が手信号をしている。なんと軍の信号で、休め、と言っていた。クロウだけが膝をつく。  帝王がほほ笑んだ。侍従に向かって、よい、かまわぬ、と小声で言い、侍従は深く礼をして壁龕に下がった。 「そなたがクロウか。よく参られた」  言葉を切った。返事を待っているようだったが口をきいていいのか迷う。大魔法使いが、返事をなさい、とささやいて教えてくれる。 「はい。わたくしがクロウです。御用とお伺いしました」  さすがに帝王は驚いた顔をした。この者は御用だと言い、帝王の行動を指定するという無礼を犯したが、これも一興だと面白そうに微笑んだ。 「そうだ。用があって呼んだ。確かめたいことがある。いくつか問うので正直に、簡潔に答えよ。良いな」 「はい。どうぞ」  侍従は驚き、また、笑いを堪えていた。帝王にどうぞ、か。 「さて、おまえはここにいるケストリュリュム家の大魔法使いの後援の下、自動演算呪文と規制条約について調査を行い、興味深い結果を得たと聞いている。説明せよ」  顔を上げ、クロウは説明を始めた。ところどころで質問が入ったが、要を得ていて話の腰を折るようなものではなかった。 「つまり、魔王は自動演算呪文であり、規制条約を作った者たちはその出現をある程度予期していたということになるな」 「その通りと考えますが、どの国や家がどの程度まで予期していたかは不明です。一律に足並みをそろえていたとは考えられません」  帝王は大魔法使いを見た。 「ケストリュリュム家はどうだ? 予期していたのか」 「あくまで可能性の一つとして、自動演算の暴走は考えられておりました」 「貴族議会での報告はずっと後であったな」 「単なる推測を議会に提出するわけにはまいりません」 「ふん、どの家も責任逃れをしおって。小癪な」  またクロウの方を見る。 「話を変えるが、そなた、エップネン家や他の家の子弟を三名殺害し、一名を脅迫したと聞いておるが確かか」 「間違いございません」 「お、声が震えておるぞ。心配するな。それはもうけりのついたこと。王とは言えど罪を重複させるような無法はせぬ。しかしな、家名を持たぬそなたの活躍、調べはついておるが、大したものだな」 「滅相もない。ただ生き延びたかっただけでございます」 「生き延びたかっただけ、か。そうだ。そういう誠を聞きたい。どうだ、かしこまっていないでその腹をさらけ出してみよ」  興がっているような口調だったが、斬りつけるような問いかけだった。クロウは迷ったが、口を開いた。 「さきほど、どの家も責任逃れをする、とおっしゃいましたが、御身の責任はいかに考えておられますか。自動演算呪文の暴走で被害を被ったのは貴族だけではございません。家名を持たぬ民草もです。魔王の出現がもっと早く分かっていたのなら、なぜその時に手を打たれなかったのですか。まさか規制条約を誘導されたかったのですか」 「クロウ、おまえは余にも責任はあると言いたいのか」  声が冷たくなった。侍従や警備兵はいつでも割って入れるように構えた。 「もちろんです。大図書館で参照した書類が語っております。貴族議会だけの責任ではありません」  心が熱くなってきた。いつまで敬意を保てるだろう。 「かといって、ヨウハー・エップネンの言うがごとく、自動演算呪文の開発中止などできまい。あれが生み出す富は復興を一段と早めるだろう」 「それに、中央に権力を集中できます。それも狙いでしょう?」 「余に問うのか。無礼者め。だが、その通りだ。情報は力であり、統治を完全なものに近づける。自動演算呪文は必要なのだ」 「いつまた魔王と化すのかも、という棘を残したままですか。あのような大戦を経験しながら、そこからなにも学んでおられないのですか」  帝王は腰を浮かせかけたが留まった。 「誠を聞きたいとは言ったが、それは愚弄であろう」 「かも知れません。わたくしは無責任さを愚弄し、軽蔑します。そのために失われた命や傷ついた心をお考えください」 「そのような……、おまえに言われるまでもない」 「ではなぜお呼びになったのですか。このわたくしが調査報告と称して追従をするとでもお考えですか。家名のない紋無しと言えども誇りはございます。無責任を無責任と糾弾して非難されるいわれはございません」  さすがに割って入ろうとした侍従を、帝王は止めた。顎をなで、儀礼用の短剣の柄をいじりながらじいっとクロウを睨む。 「大魔法使いよ。とんでもない男を連れてきたな。この者を候補としたおまえの判断、間違ってはいないようだ。よろしい。認めよう。組織の立ち上げはおまえ自身で行え。報告は随時。頼んだぞ」  合図すると立ち上がった。謁見の間を出る前に振り返る。 「クロウとやら、おまえの忠言、胸に留めよう。もう会うことはないであろうが、言葉は楔だ。わたしとおまえは繋がった。そう思っておけ」
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