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第一章 緑の瞳の少女
一
昨夜の雨のおかげで朝の空気は澄んで心地良かったのに、その部屋だけよどんでいた。クロウは継ぎの目立つ下げ渡しの軍服や急所だけ覆っている傷だらけの革鎧をごまかすようにして座っていた。
「……なるほど、戦後すぐ軍を辞めた、と。引きとめられなかったのかい?」
クロウの正面には歴戦を戦い抜いたかのような机があり、その向こうにはその机の上官のような老婦人が巻かれた布を開いて目を通している。巻布にはクロウの経歴が模様として縫い取られているがきらびやかとは言い難い。
老婦人は巻布から目を上げ、クロウを見る。一目で軍にいたと分かる短い黒髪は若々しいが、黒い目の周りのしわや細かい傷痕だらけの浅黒い顔からすると若者とは言えなさそうだった。しっかりと結ばれた薄い唇は意志の固さなのか、軍で歯を食いしばれと言われ続けていたのが癖になったのかは分からない。
「ええ、どうせ軍は縮小されますし、せっかく使えるようになった魔法をもっと生かしたくて」
引きとめられなかったのかい、というところは聞こえなかったふりをして答えた。なるべく快活に、それが面談のこつだ。クロウはここを教えてくれた宿の主人の助言を思い出した。明るく、若々しく、自信にあふれた様子で。そうでなくてもそう見えるようにする。少しくらいならごまかしをしてもいい。うまく行けば当分の飯と寝床に困らない仕事につけるし、行かなきゃ空きっ腹を抱えて馬小屋の隅だ。
「火球の投射には自信があります。五連発ですよ」
「そのようだね。けど五発撃ちつくすと次まで指一本かかっちまうのか」
魔力の再充填には日が指一本分の幅動くだけかかるが仕方ない。クロウは大魔法使いではない。
「実戦では不足ありませんでした。感状も授与されています」
経歴巻布を指した。老婦人はうなずく。
「そりゃ大したもんだ。なのに、引きとめられなかった?」
「マダム・マリー、仕事をいただけませんか。力をふるいたいんです」
嫌味な言い方に腹が立ち、あせりもあって怒鳴るような強い言い方をした。落ち着け、と前のめりになった体を引き戻すように座りなおした。頬が熱くなっていく。
「クロウさんとやら、今回の任務はローテンブレード家の依頼なんでね。下水を掘るのとはわけが違うんだ」
白髪をなでると装身具がゆれ、体型を隠すようにひだがたっぷりとってあるあざやかな服にこすれた。
クロウは腹を決めた。宿の主人の助言は無視する。
「軍を追い出され、食うや食わずで困っています。日銭を稼いでしのいできましたがもういけません。まとまった金がいるんです。お願いします」
マダム・マリーは経歴巻布を置き、たるんだ顎をなでながらクロウを値踏みするように見た。そして低い声で笑った。
「そう。それ、そういうのを聞きたかった。合格だよ。じゃあ仕事の話だ」
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