梅雨と紫陽花

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梅雨と紫陽花

何年ぶりだろうかこんなまだ明るいうちに夕食を摂るのは 六月も終わりといえば日が暮れるのも随分と遅くなり夕の七時すぎてもまだ幾分か明るい。以前、網戸すらない団地の四階に住んだ頃はいつも明るいうちに夕飯は済ませるようにしていたものだ。なにぶん網戸がない為に部屋の灯りをつけると虫が入り込むことを恐れそうしていたのだ。冷房どころか網戸もないような所へ住むのは生まれて初めてのことであった。たまたま裕福な家庭に生まれ甘やかされ放題で育ったせいなのか、私は飽きやすくそのうえ他人を無意識に敵視するようであったものだから仕事も長続きしたためしがなくいつも家計は火の車でとうとう女房子どもから家を追い出されてしまったのだ。追い出された始めは行く宛てもなかった己(おれ)は実父の居る実家へ救いを求め身をよせたのだが、そこの後妻と連れ子にまた追い出されたのだ。己の母というのはまだ己が小学生の小さいうちに他所の知らない男と出て行ってしまいそれきり会ったことすらなかった。母が出て行って間もなくして後妻が弟という人を連れてやって来て我が家を我が物顔で乗っ取られたような気がしていた。だから己は早いうちに家を出て所帯を持ったのだがそれがそもそもの災いの始まりであった。己は温かな家庭というものに強い憧れというか幻想を抱いていた。己は幼い頃から母親に異常ともいえる折檻を毎日何度も加えられて育った。父親はといえば仕事人間で家庭や子どもの教育というものには全く頓着がなかった。そんなだから母親は男を作り出て行ったのだろう。間もなくやって来た継母とはまるで反りが合わず些細なことで何度も言い合いになった。己は腹いせに随分と歳の違うその弟という奴を散々に虐めた。そのせいもあって妻から離縁され追い出されても実家には居る場所がなかったのだ。自業自得ではあるが半分は父親のせいだろうとも思っていた。人間どこで間違えたか突き詰めれば突き詰めるほどひとつの答えにぶつかる。有名な小説の一節にある生まれてすみませんということだ。この世に生まれさえしなければこんな苦しむこともなかったであろうし、あなたにも誰にも迷惑ひとつかけなかったのは火を見るより明らかなのだ。おかしなものでそう考える前に誰の事を怨むでもなかった。全ては身から出た錆そう考えていた。そう考えるとたちまち昔のことがあらこれ蘇る不思議。あわな悪さをした、こんな酷いことを他人にした等思い起こせば思い起こすほど自分が恐ろしくなった。あんな酷いことばかりしてきたというのによくこれまで殺されもせず天罰も受けずに生きてこられたものだと。実母に虐待をされ育ったせいか、振り返ってみれば己は暴力的で大変に自己中心的な人間であることを思い知らされた。父親が名のある会社の取締役であり家が裕福であったものだからいい気になっていたことも今は恥じている。今となっては安長家でその日暮らし。おまけに借金まで背負っている。裕福であった頃の暮らしぶりが捨てられなかったのだ。惨めなものだろう世間からみれば。しかし存外己はこんな暮らしぶりを気にもしていなかった。いい加減な人間故か明日は明日でどうにかなると安易に考えていた。本当のところは明日どうなるか知れたものではないのだろう。普通の人間ならばこんな暮らしをしていたら明日のことが心配でならないに違いない。それがないのだから己は知恵遅れか白痴に近いのであろう。いや知恵遅れか白痴であることに気づかず今まで生きてきただけかもしれぬ。自分のことは誰しも一番わかっていないものだ。音痴ほど自分は歌が上手いと思い込むものだとよく父が言っていた。己も自分というものがよくわからずに大人になりそのまま初老とよばれる齢になるまで生きてきた。こんな明るいうちに夕飯にしたときふとあの日のことが思い出された。別れた妻がちょうど晩飯時に例の団地の四階へと突然にやって来て、生活保護の申請をしているから呉々も邪魔などせぬようにとわざわざ言いに来たのだ。あの日も今日のように即席のライスカレーであった。なんの邪魔もするはずがないのにおかしな女だと思った。きっとあれも今にして思えば白痴か知恵遅れだったに違いない。嘘の精神病の診断書を取りつけて生活保護の申請をしている風だとどこからとなく聞こえていた。早いものであれから十余年。あれもこんな紫陽花の時期であった。
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