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05-01:闇夜の訪問者
登校初日の夜にして、すでにメグルとモグラは新校舎一階にある校務員室にいた。
モグラの下心が関係しているとはいえ、こんなにもうまくいくとは上々と、メグルはひとり満足気だった。
「なかなか居心地のいいとこじゃないか」
お茶をすすりながらメグルが部屋を見まわす。
六畳一間の校務員室は畳のしかれた小奇麗な和室だった。座卓にはポットとお茶菓子まで用意されていて、極め付けにエアコンまで完備されている。人間界管理人のメグルにあてがわれた、あの暑苦しくてカビ臭さい四畳半の小部屋に比べたら、段違いの心地良さだ。
「ああ、そうね」
しかしモグラはごろんと寝そべり、背を向けたまま気のない返事をした。
桜子先生が帰宅したとたん、モグラのテンションは急激に下がっていた。
「おいモグラ、本来の目的を忘れるなよ」
「本来の目的? なんだっけ……」
モグラが大きなあくびをする。
「この学校のどこかにある越界門を潰すんだろ! そのためにお前と親子になってまで、学校に潜入したんじゃないか!」
「冗談だよ……。魔鬼が越界門を開くのは明後日の満月の夜。今日はもう寝ようぜ。疲れちまったんだ……」
そう言ってモグラは、仰向けになって目を閉じてしまった。
メグルは肩をすくめて、またお茶を飲もうとした。
湯のみの中に、栗色のくせっ毛頭の少年の顔が映る。メグルは新しい自分の顔にすっかり慣れていた。引きかえに前世の自分の姿は、もうすっかり忘れていた。
「今日、トモル……。息子に会ったんだ」
メグルがぽつりと呟く。
「ん? あぁ、前世のときの息子か。トモルっていうの?」
モグラが仰向けに寝たまま片目をあけて、ちろりとメグルを見た。
「それが……、ぼくは前世のことをほとんど覚えていないんだ……。息子がいたことも、今日、息子の顔を見てようやく思い出した。いや、つい数日前までは覚えていたはずなんだ。でも、気を抜くと日に日に忘れていってしまう……」
モグラはむくっと起き上がると、着ていた作業服を脱ぎだした。
「そら仕方ないね。死んで煉獄に戻ったとたん、生前の出来事は夢幻のように感じるだろ? お前さん、一週間前にどんな夢を見たか覚えているかね?」
「夢……なんか見たかな?」
「ほらな? 誰でも夢は見てんのさ。でも起きた瞬間に忘れちまう。もし覚えていたとしても、朝飯を喰ってる頃には忘れちまってる。そんなもんさ」
モグラは作業服をハンガーに掛けると、となりのハンガーに掛かっている、いつもの黒いぼろぼろのスーツを手に取った。
「なんか薄情だな。この世に残された者は、いつまでも死んだ者のことを忘れられないというのに……」
メグルは申しわけない気持ちで肩を落とすと、座卓にあごをついて小さく息を吐いた。
「管理人は仕方ねぇのさ。守護霊をやらずに、こっちの世界に来ちまってるんだからな」
本来ならメグルも、次に転生するまでのあいだは煉獄で守護霊となり、残した家族の人生を見守るはずであった。だが管理人という仕事を引き受けてしまった以上、それはできない。
いまは他の者が引き続き守護霊となり、メグルが残した家族を見守ってくれているはずだ。
「忘れちまいな。前世のお前さんと、いまのお前さんはまったくの無関係。そのトモルって息子にも、あんまり関わるじゃねえぜ」
そう言うとモグラは、すっかりぼろぼろのスーツに着替えて寝てしまった。
(そういえば、サヤカもそんなこと言ってたっけな……)
ふと、そんなことを思い出しながら、メグルも部屋の灯りを消して眠りについた。
*
廊下から硬い足音が聞こえた――。
そんな気がしてメグルは目を覚ました。
窓から差し込む月明かりが、部屋の中を青白く照らしている。メグルは廊下に面している校務員室の引き戸に視線を移した。
引き戸にはめ込まれた曇りガラスは黒いまま。廊下の灯りはついていない。
(気のせいか……)
そう思って目を閉じたとき、今度は、はっきりと廊下から足音が聞こえた。
「ま、魔鬼だメグル! 魔鬼が来たんだよぅ」
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