1.カリ・ユガを生きる

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1.カリ・ユガを生きる

  संघे शक्ति कलौ युगे(サンゲー・シャクティ・カラウ・ユゲー)   「カリ・ユガにおいては、集団こそが力である」    怒った象が引っぱっても千切れない。嵐の海で船をつないでも、波に呑まれず安心の綱――それが私の求める友情のイメージである。  二〇〇三年の私の願いを集約すれば「心から信頼できる友達を見つけたい」につきた。  理想に反して、周囲は敵ばかり。就職氷河期で定職もないうえに大学院までの奨学金の借金を四百万円も抱えて社会に放り出された私からでさえも搾取しようとする(やから)(あふ)れかえる世の中。郵便受けに投げ込まれる送付物といえば、物を売りつけるためのダイレクトメールしかない。久しぶりに旧友から電話がかかってきたかと思えば保険契約や宗教やねずみ講への勧誘である。  こめかみに汗が伝う。  住民がゾンビ化して私の血肉を求めている。宮沢賢治の物語に出るよだかみたいな、自分の肉体を喜んで捧げる利他の精神は持ち合わせていない。バトルフィールドで追い詰められた私に、味方は現れるだろうか。たとえ生存者と遭遇したとしても、ゾンビから逃げる途中で転んだ私の頭を踏んづけて我先にと走り去るのでは? 情け心で他人を構っていたら、こっちがやられる。皆が自分および自分の家族を守るのに精一杯だ。自分たちの幸せのためならば私は犠牲になってもいいとの考え。私には守るべき家族も守ってくれる家族もない。しかも私は私が嫌いである。二十四時間、嫌いな私と一緒にいなければならない責め苦。逃れられないストレスは食欲に向かい、食べることが止められなくなっていた。いくら食べても満たされない。アルバイト先への通勤路にあるコンビニに駆け込んで菓子パンを買い込み、隣の弁当屋でデラックス弁当を待っている間にパンを平らげるありさま。駅の待合室で我慢できずに弁当を空にし、降りた駅で新たにパンと弁当を買い求める。背中がたるんたるんになっていく。   संघे शक्ति कलौ युगे(サンゲー・シャクティ・カラウ・ユゲー)   「カリ・ユガにおいては、集団こそが力である」  古代インドの知恵が凝縮された、サンスクリット語の格言である。  インド思想によれば、現代はカリ・ユガという時代区分に属するとの考えが主流であるらしい。カリ・ユガを生きる人々は物質を追い求め、心や精神世界はないがしろにする。つまり現代に生きる私たちが金銭や物欲に()き動かされたとしても、個人のせいだけではなく時代の影響が大きい。  物質的な価値観に惑わされがちなカリ・ユガにも優れた点がある。苦しみが多い分、魂が磨かれやすい。ゲームならHARD MODEだ。解脱を目指す「人生」という名のゲームにおいて、大きくレベル・アップできるチャンスがある。レベル・アップのキーは「集団」。  一人では限界がある。一頭ずつの戦闘力が弱いインパラでもサバンナで生きていけるのは集団で生きるからだ。だからこそ友達を求めるのである。ぶよぶよ太って逃げ足の遅い個のインパラがいかに集団に迷惑をかけるかについては、都合が悪いので考えないことにしたい。ムッキムキでキラキラ(スーパーマリオのスター状態みたいな)のスーパー・インパラを目指すのではなく、あくまでも助け合える仲間を見つけて守り守られる、カリ・ユガ的正攻法で生きていきたい。  大学時代の貧乏旅行でインドにハマり、すっかりインドふうになった私に友達はいなかった。現実を見るのがつらくて、脳内で繰り返しインドを想起しながら耐えた。女性たちの着るサリーの色彩の鮮やかさ、歩くたびに涼やかに鳴るアンクレットの音。香辛料の匂い、神話の壮大さ。インドの神々が人類に与えたとの伝説のある言語・サンスクリットを週一回の講義で学び始めたが、受講する学生は私一人だった。  大学院を卒業してからインターネット・サービス・プロバイダのコールセンターでアルバイトを始めた。朝の八時五十分から夜の九時過ぎまで働く。一日に何度かはクレーム電話でこっぴどく怒鳴られる。はじめは驚いて動揺したが、そのうち慣れていった。友達だちと口論になるよりも、個人的な関係のない人から罵倒されたほうが楽だ。ただし何十人もの人間と電話口で話しているのに、私は孤独だった。  電話をかけてくる客にも同様の孤独を感じた。 「あーもしもし? 実は僕、宇宙人なんだけど」  いきなり宇宙人から電話がかかってきた。インカム越しに聞こえた声は地球人の五十代男性だったが、本人が宇宙人だと主張するのだから受け容れるしかない。いちおうはお客さまやし。 「地球人を観察する使命を受けて、地球にやってきているんだがね。NASAと日本のある大物政治家の協力を得て、今は神奈川県に住んでる」 「さようでございますか」 「日本人としての戸籍もフェイクで持っていてだねぇ、政治家から山の土地を丸ごと譲り受けて……」 「おそれいりますがごようけんをうかがえますでしょうか」  用がないなら切るぞとの意気込みを感じ取ったらしく、ぽつりと「あのねネットのログイン・パスワードを忘れたの」と打ち明ける。  本当にパスワードを忘れたかは不明である。冷やかしではないふりをするためには何らかの用件が必要だろう。パスワードの失念が事実であれば、そんなうっかりさんに地球人の観察任務を担わせて大丈夫なのかと、異星の心配をしたくなる。要は話し相手がほしいのだろう。宇宙人の話題で惹きつけて話を一秒でも延ばしたい切実さを感じた。  何時間にもわたるクレーム電話に応対する場合もある。 「あなたたちには人間の心がないんですか?」  電話口で女性が涙ながらに訴える。こちらに遠慮することなく鼻水をちーんとかんだ。  当時のインターネットは定額制と従量課金制に分かれていた。従量課金制の契約であるにもかかわらず、息子がエロ動画にのめりこんで夜な夜な長時間にわたりネット回線につなぎ続ける。赤道付近のなんちゃらかんちゃらという離島に国際電話をかけ続ける状態となり、当月の請求額が百六十万円を超えた。  請求を帳消しにしろとの女性の要求に、私は電話口で「できかねます」と繰り返す係である。「血も涙もない鬼か、マニュアルどおりの対応で」との批判を受けた。  隣のインカムで私たちのやりとりを傍聴していた女性スーパーバイザーが、「でけへんもんはでけへんねん。誰にでもマニュアルどおりに接するからこそ平等なサービスやろうが」と怒りを吐露する。その理屈もわかるなぁ、とぼんやり考えながら「できかねます」を繰り返した。  とにかく日々、電話を取り続ける。  精神をやられた同僚が次々とやめていく中で勤続できた理由は、出口を見いだしていたからだろう。一年後にはインドにサンスクリット留学する。漠然とした計画であったが二度と日本に戻らない気でいた。きっといい人間関係に恵まれ、人との縁で動かされて世界のどこかで仕事を見つけて私の居場所が見つかるだろう。淡い期待ではあったが、そう信じることにしていた。  インドでサンスクリットを学ぶと想像しただけで胸が躍る。神話によると、神々は人間とのより高次なコミュニケーションを試みるために、神々の言葉に限りなく近い言語・サンスクリットを授けた。人間の作った不完全な言語で神々の意思を表現するのは難しいからだ。サンスクリットを学びたい嗜好の学生の中に、きっと心からわかり合える友達が見つかるにちがいない。神話やサンスクリットの精巧な美について夜通し語り合えるような友達が。  コーセンターの席にいつも持参するメモ帳の裏表紙には「स्व धर्म​(スワ・ダルマ)」と書いておいた。「使命」。宇宙人による地球人の観察も使命、私の国外脱出も使命。ただ淡々と労働し、貯金を増やしていく。  いよいよ留学準備を始めた時点で、インド留学は手続きがややこしいと気づいた。少なくとも留学前に一度はインドを訪ね、希望の大学から留学の了承を得なければならない。某マンモス大学に手続きについてメールで問い合わせたが、返事はなかった。そもそも必死に貯めた資金は一年間の留学費用ギリギリで、事前手続きのためにインドを訪ねる金銭的な余裕はないのだった。いろいろと調べた結果、どうやらネパールの王立大学でもサンスクリットのコースが開かれているらしい。だったらネパールでもいいかな、と。インドでもネパールでも構わない。日本からの脱出が大事だ。  このときの私は知らなかった。この選択によって混戦の渦の中に身を投じる憂き目に遭う結果になることを。
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