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1 苦力到着
軌道上から降下カプセルに乗り換えた桐谷薫は、上下左右に激しく揺れる乱暴な道中を潜り抜け、念願のマーズ・ヴァージニア周辺の荒れ地へ強行着陸した。
海のない火星へ人間を不時着させるには一工夫する必要がある。搭乗者を見るも無残なミンチにしないため、カプセルにはブレーキ役を果たす超伝導磁石が装備されている。
いっぽう開拓都市マーズ・ヴァージニア郊外には、受け皿となる超伝導捕捉シートが数平方キロメートルにわたって敷設されている。そのスペースへ(火星軌道に鎮座する量子コンピュータ〈ジーニアス・オブ・マーズ〉の計算結果をもとに)ランディングさせれば、マイスナー効果によってカプセルは激突を免れ、空中にぴたりと静止するという寸法だ。
地上50センチメートル上空で磁力に串刺しにされたカプセルから、這う這うの体で搭乗者が這い出してきた。顔だけを密閉するセパレート型の真空活動用ヘルメットをかぶっている。
そこへ似たようなヘルメット姿の、恰幅のよい大男が跳ねるような足取りで近づいてきた。すっかり火星の低重力になじんだ者特有の挙動である。「よくきたな。お前さんが今回の奴隷志願者――ええと、カオル・キリタニでまちがいないかね」
桐谷は開拓都市で使われている周波数に無線を調整した。「あなたがミスタ・アーミテイジ?」
「いかにも、俺がジェフリー・F・アーミテイジだ。ようこそ、不毛の大地へ」
二人は手袋越しに握手を交わした。そのままカマボコ型の宿舎へと歩き出す。
アーミテイジは道すがら、慣れた手つきで携帯端末を操作し、履歴書のデータをヴァイザのヘッドアップディスプレイに呼び出した。「ほう、25歳とはずいぶん若いな」彼の眉間にしわが寄った。「嘘だろ、あんたアイビー・リーグ卒なのか? なんでそんな人材が火星くんだりへくるんだね?」
「ぼくの勝手だと思いますけどね」
「そうかもしれんが、あんたここがどんな場所か知ってるのかい。空気もない、水もない、女は皆無、娯楽は紙のトランプが関の山、おまけに毎日真冬みたいな寒さときた」
「承知の上ですよ」
「お前さんみたいな野心家タイプの若造は、みんな最初はそう言うんだ。半月もするといつの間にかいなくなってるんだな。――どうもあれの貨物用スペースに密航してズラかってるらしい」
アーミテイジがあごをしゃくった先には、荒野を貫く長大な筒が地平線の彼方まで続いていた。火星からなんらかの貨物を射出する際に用いられる、超伝導ガイドウェイである。
リニアモーターカーの原理でカプセルを電磁加速し、最終的にオリュンポス山(標高約25,000メートル)中腹に固定されたランチャー部分から秒速16キロメートルで射出、火星の重力を振り切るという乱暴な不定期便だ。
「とにかく明日から働きづめの毎日になる。今日くらいはゆっくり休め」
桐谷薫はその日、同室の労働者たちが立てるいびきや放屁でほとんど寝られなかったけれども、わずかに運よく寝入った際、とある夢を見た。
火星に夕立のような激しいにわか雨が降り、その直後、鮮やかな虹が眼前に広がっているという現実離れした夢を。
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