4 彗星捕獲作戦

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4 彗星捕獲作戦

 15年後、火星はまずまずの成長を遂げていた。マーズ・ヴァージニアのほかにもいくつか小規模の都市が建設され、総人口は527人から380,954人まで伸びていた。とはいえ依然として外気は真空に近く、宇宙服なしでの生存は不可能なままだ。  火星は根本的にはなにも変わっていない、生きものの生存に適さない死の星であった。 「すっかり俺たちも長老格になっちまったなあ」アーミテイジはいまや火星開拓公社の建設部長であった。「娯楽はある、女もいる、ただし相変わらず空気と水はなしときた」 「ぼくらも偉くなりました。あなたには裁量権もある。ここらで一発、どでかい花火を打ち上げませんか」 「その台詞を聞くと、俺は背筋がうすら寒くなるんだがな」  桐谷薫いうところの〈どでかい花火〉を打ち上げたことが過去に三度、あった。反射ミラーを軌道上に建設し、太陽光の集光効率を飛躍的に向上させた11年前の大事業。火星への物資輸送便を3倍に増やせと公社のお偉方へ直談判した7年前の〈桐谷事変〉、パブリック・ブロックチェーン構築を大車輪で進め、中央政府による統治を永久に放逐せしめた2年前の火星独立騒ぎ。 「お次はなんなんだ。今度は火星に例の夕立でも降らすかね」 「まさにそれをやろうとしてたんですよ。手伝ってくれますね」確認ではなく断定だった。 「ここまでくりゃとことんやってやるさ」 「移住希望者がなぜこんなに少ないのか考えたことがありますか。それはずばり、火星が暮らしにくいからです」 「その答えにたどり着くのにブラウン大を出る必要はないように思えるがね」  桐谷は上司の皮肉に取り合わなかった。「誰だって外に出るたび、わずらわしいヘルメットをかぶるのは面倒です。テラフォームは極地のドライアイスを融かして気化させ、二酸化炭素放出による温室効果を狙うというのが常套手段ですが、これじゃ時間がかかりすぎる」 「ほかにどうしようがあるんだ。牛でも放牧してメタンあたりを放出させるのかね」 「着眼点はいい線いってますよ。なにも温室効果ガスは二酸化炭素だけじゃない。水蒸気が主役だってことを忘れちゃいけない」 「べつに忘れちゃいないけど、あいにくその水がないんだよな。19世紀には運河があるって話だったらしいが」 「ないのならよそから大量に持ち込めばいい。ちがいますか?」  二人をリーダーとする彗星捕獲決死隊はいま、火星軌道外縁のとある地点で巨大な雪玉とランデヴーしたところだった。それは半径10キロメートルを超える超大型の彗星で、木星と太陽の重力による摂動でつい最近、内惑星領域へ飛び込んできたのだった。  それを捕まえようという腹なのである。 「どう考えても気ちがい沙汰としか思えん」とアーミテイジ。「本気でこいつを火星へ衝突させるつもりなのかね」 「外縁から火星軌道までのあいだにスラスターを取りつけて徐々に進路を調整すれば、十分衝突コースに乗せられる計算です」 「衝突の熱ででっかい雪玉が蒸発して水蒸気になる。水分子なら火星の低重力でもなんとかとどめておけるくらいには重いから、一気に第二の地球になるかもしれんと、こういうわけか」 「稟議を通すのに苦労したんですよ」  彼がいうところのには、全人類に対する明白な脅迫が含まれていた。この計画を承認しろ、さもなくば貴様らの頭上に彗星が落っこちてくるだろう……。 「やってやろうじゃねえか。腕が鳴るね」  宇宙船のエアロックからワイヤをくり出し、まずは目標の彗星へ架け橋を作る。あとはこれをガイドにして一人ずつ小惑星へ取りつくだけだ。  一番手はもちろん言いだしっぺたる桐谷が名乗りを上げた。ワイヤを伝って慎重に彗星へ降り立つ。自分が秒速数十キロメートルという超高速で運動しているという事実については、努めて考えないようにした。 「おーいどうだね、そっちの居心地は」 「悪くないですよ。こいつを火星にぶつけるのが惜しいくらいには」 「よしきた、待ってろ」  決死隊の面々が次々と飛び移ってくる。低重力下で何年も作業に従事してきただけあって、誰もが如才なくきびきびと動いている。2時間後、総勢20名が無事に着地したけれど、もちろんそれで終わりではない。 「パイロット、ブツを頼む」  建設部長の指示で宇宙船の貨物室が開き、パッケージングされた大出力スラスターが射出された。十分に減速されているので、これだけの大質量でも人力だけでさばける道理だった。  隊員たちはてきぱきとパッケージを解いていき、スラスターを所定の位置へ設置していく。電源は彗星核から漏れてくる放射線で、スラスター内部には小型の原子炉が内蔵されていた。  全機設置完了の報告を受け、桐谷が命じた。「スラスター、点火ッ!」  各装置からいっせいに噴射炎がほとばしる。傍目にはなにも起こらなかったけれども、徐々にだが確実に、彗星の進路は変わるはずだった。 「緊急事態ですッ!」隊員の若い女性が金切声を上げた。「スラスターJに異変あり。機体温度が上昇してます」 「総員退避」と桐谷。「くそ、頼むから壊れてくれるなよ」  決死隊が蜘蛛の子を散らすように母船へ逃げ帰るなか、桐谷とアーミテイジはスラスターJのもとへ急行した。ジャンプしすぎれば彗星の微小重力を振り切って底知れぬ宇宙へ漂い出してしまう。あくまで慎重に、だが限りなく速く。  二人が現場へ駆けつけたときには、すでにスラスターJの破片が中空を漂っているという最悪の事態であった。彗星核から得られる放射線が強すぎて、原子炉がメルトダウンを起こしたのだ。「ジェフリーさん、進路はどうなってます」 「お利口な機械によれば、火星との衝突コースを逸れるようだな」大男は忌々しげに地表の氷を殴りつけた。「ゼロコンマ以下の誤差でだぞ」  この彗星を逃せば次の弾がいつ摂動を受けるかは誰にもわからない。手ごろなのが来るのは1年後かもしれないし、100年後かもしれない。千載一遇のチャンスを逃したのだ。 「しかたない、ぼくらも離脱しましょう」 「ここまで来たってのにな。先に行っててくれや、疲れちまったよ俺は」  桐谷が母船へ戻り、エアロックを潜って上司を待つこと10分、ようやく彼は異変に気づいた。「ジェフリーさん、なんで戻ってこないんです」 「彗星の進路はどうなってる」 「そうじゃなくて――」 「黙って確認しろ!」  彼は上司の意図を即座に察した。母船に据えつけられたカメラの仰角を調整し、アーミテイジが張りついているとおぼしき場所を探す――いた。大男は宇宙服付属のおもちゃみたいなスラスターをフル出力で吹かせ、ゼロコンマ以下の誤差を正そうとしているのだ。 「無茶です、いますぐ戻ってください」 「いま推進剤を使い果たしたよ。で、彗星の軌道は」 「……ほぼ衝突コースの範囲内に収まりました」  これは奇跡以外の何物でもなかった。アーミテイジは技術者の直感で出力の不足分を算出し、宇宙服の推力に賭けたのだ。そして彼は勝った。自分の命というチップと引き換えに。 「そいつはよかった」 「いまそっちへ迎えにいきます」周波数を切り替え、「パイロット、隔壁を開けてくれ」 「だめです、すでに離脱限界線を越えて15分以上経ってます。本船はいますぐにでも彗星とのランデヴーを解除しなきゃなりません」 「そんな真似をしてみろ、お前を殺してやる」 「わかってください。ここにいる全員の命を俺は預かってるんです」  彼は反論しなかった。言われるまでもなかった。 「桐谷、なにがあっても火星に雨を降らせろよ」アーミテイジの声は穏やかだった。「できれば俺も夕立ってやつを見たかった」 「あなたなしじゃできっこない」 「お前ならやれる。俺はそう信じる」  通信が切れた。  12時間後、彗星は火星の無人地帯に衝突した。  予想に反して夕立は降らなかった。  水蒸気が気候モデルの予測以上に宇宙空間へ放散してしまい、狙った通りの温室効果が得られなかったのだ。 「火星よ、なにが不満なんだ」桐谷は真っ暗な自室でひとりつぶやいた。「特大の彗星とジェフリーさんの命。これ以上なにが望みなんだ……」
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