1「なぁに。取って食ったりしないさ」

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1「なぁに。取って食ったりしないさ」

 スタスタスタスタ!  ぼく、天内若葉(あまうちわかば)はひたすら早歩きで廊下を走って……いや、歩いていた。  なぜなら、すぐ後ろに虚ろな目をした人、ううん、幽霊が追いかけてきてるから!  ぼくが急いで逃げれば、幽霊は「自分が見えてるんだ!」って気づいてもっと追いかけてくる。だからあからさまに逃げることはできない。あくまでも急いでいるだけです、というフリをしてひたすら早歩きを続ける。  そんなぼくを、周りは不思議そうな目で見ている。中にはヒソヒソ声も聞こえてきて……。 「何あれ」 「競歩ってやつ?」 「例の転校生だよね。早歩きが好きなのかな?」  ……そんなわけないのに!  叫び出したいのをぐっとこらえる。  卯ノ花小学校に転校してきて一週間。  ぼくは明らかに悪目立ちしていた。それもこれも幽霊のせいだ。  しかも幽霊はぼくを追ってくるやつだけじゃない。右を見れば外をぼーっと眺めている男。左を見れば教室のすみに座り込んでる子供。あっちにも、こっちにも、幽霊!  転校初日で叫ばなかったぼくを、ぼくは少しだけ褒めてあげたい。  今度こそ大人しくして、ただ、平穏に過ごしたかったのに……。  五年生からは「フツー」の天内若葉でいたかったのに……。  そんなモヤモヤした気持ちを振り払って、さらに足を速める。廊下の曲がり角を曲がって――。 「きゃっ!」 「わ!」  後ろの幽霊ばかり気にしていたのが悪かった。  ぼくは前からやってきた子に気づかず、お互いがぶつかって尻もちをついてしまった。  い、いたた……メガネも落ちちゃった。  慌てて落ちたメガネを拾い、ホッとする。良かった。壊れてない。  分厚くて、牛乳びんみたいだなって笑われたこともあるメガネ。  だけど、ぼくにとってはとても大事なもの。  なにせ、幽霊が見えすぎるぼくは、たまに相手が生きているのか死んでいるのか見分けがつかない。  だけどこの分厚いメガネをかけているときは、幽霊はぼやけて見える。見たくないものをあまり見なくていいのは、けっこう便利だ。  って、まずい、謝らなきゃ! 「あの、ごめんなさ……」 「きゃあ!」  ぼくが謝るより早く、ぶつかった子――小さな女の子は悲鳴を上げて耳をふさいだ。  立ち上がらないで、ぎゅっと目をつぶってカタカタ震えている。  その少し離れたところにはヘッドホンが落ちている。学校に持ってくるにしてはなかなかゴツっとした……。  ぼくは気づく。この子、桜田桃香(さくらだももか)ちゃんだ。  同じクラスなんだけど、保健室にいることが多くて滅多に教室には来ないってウワサを聞いた。しかもいつも大きなヘッドホンをつけてる変わり者だって。  はじめて見る桃香ちゃんは、背も小さくてプルプルしてるから、なんだかチワワとかハムスターを連想させる。  ……って、あれ?  ぼくを追ってきていた幽霊が、桃香ちゃんの方に寄っていく……? 「イヤッ……!」  泣きそうになりながらうずくまる桃香ちゃん。  ドクン、とぼくの心臓が飛び跳ねる。  もしかして――桃香ちゃんにも幽霊が見えてる⁉︎ 「あ……」  無意識にかすれた声が出ていた。喉がカラカラだ。  た、助けなきゃ。  でも、どうやって?  ぼくは今まで、幽霊から逃げてばかりで対抗なんてできないのに。  膝はガクガク震えて、そのくせ、足の裏は根っこが生えたように動かない。  幽霊が桃香ちゃんに覆いかぶさる。  ぼくはたまらず目をつぶって――。 「桜田さん。大丈夫かい」  聞こえてきたのは、涼やかな男の子の声だった。  ぼくはおそるおそる目を開ける。  あ、と思うより、桃香ちゃんが声を上げる方が早かった。 「あかねくん!」  そう。  桃香ちゃんの背後からゆったりと歩いてきたのは、西園寺茜(さいおんじあかね)くん。  学校一のお金持ちとして有名な子だった。  成績優秀、運動神経抜群。顔もイケメンというか、美少年というか。それでいて威張ったところがなくて、優しくて、みんなの人気者。  女子はもちろんキャーキャーと夢中だし、男子だって、もはや嫉妬する気にもならないんだとか。  同学年にすごい人がいるもんだと、ぼくは転校初日から度肝を抜かれたのだった。  実際こうして目の当たりにしたら、茜くんの周りだけオーラがキラキラと輝いているような……。  って、今はそんなことより、幽霊だ!  ぼくは慌てて周りを見回す……けど、いない?  あんなにぼくを追いかけ回して、桃香ちゃんを襲おうとしていた幽霊の姿がどこにもない。  ぼくがキョロキョロしている間にも二人の会話は進む。 「遅かったから心配してね。大丈夫だったかい」 「うん、ごめんねあかねくん。助けてくれてありがとう」 「仲間のためだ。お安いご用さ。ところで、君は……天内若葉くんだね」 「え!」  急に呼ばれて、思わず姿勢をピシリと正す。 「ど、どうしてぼくの名前」 「生徒の顔と名前くらい把握してるよ。転入生だろう?」  ニコリと笑われて、はあ、とぼくはマヌケな返事をするしかなかった。  ぼくだったら全部の生徒の顔と名前を覚えられるだろうか。何年いても難しい気がする。  人気者はダテじゃないんだなぁとしみじみ眺めて……。  ふいに、ぼくは気づいた。  気づいてしまって、悲鳴が出た。 「……ひっ!」  茜くんの後ろに、とても大きな幽霊がいる。  幽霊といっても、本当に大きくて、天井につきそうなくらい。スライムみたいで、なんだか形はぐねぐねしている。目とか鼻はないのか、埋もれているのか、とにかく見えない。ただただ大きな口が、あんぐりと開いている。  きっとあの口は、ぼくらを一口で丸飲みにできるんだろう。バケモノだ。  そいつは、茜くんの後ろでおとなしくしている。まるで茜くんのお付きの人みたいだ。  硬直するぼくを見て、茜くんはいっそう笑みを深めた。にっこり、爽やかすぎる白い歯を見せて。 「なるほど。君は、見えるんだね」 「……え?」 「天内くん。オレは君みたいな子を探していたんだ」 「え? え?」 「君さえ良ければ歓迎するよ。まずは話だけでも聞いてほしい」  茜くんは、スマートな仕草ですぐ近くの部屋を開けた。  ぼくは困惑して桃香ちゃんを見る。だけど桃香ちゃんも困ったように首を傾げるだけ。 「なぁに。取って食ったりしないさ」  茜くんはそう言って笑ったけど。  後ろのバケモノもニタリと笑ったから、ぼくは、ぜんぜん笑えなかった。
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