花火と神様

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 八月某日、僕達は近所の花火大会の様子を五階建てのマンションの屋上から眺めていた。いつもの街の様子とは違い、下では屋台と賑やかな観客達がいて、その手には水風船や綿飴(わたあめ)など、祭りの雰囲気に似合う華やかな物を観測出来た。 「雨、降って欲しいね。煙草吸う?」 「吸わないよ」  そんな下の様子を心底つまらなさそうに眺める彩香(さいか)は、右手に傘を持ってフェンスを叩いていた。まるでこれから通夜でも行われる様な神妙な顔をして、口を尖らせて不貞腐れていた。  それもその筈で、彼女の元彼に恋人が出来たらしく、今日の花火大会にその新カップルが来ているらしいのだ。  空は少し黒い雲が一面に広がっている。今日の降水確率は五十パーセント。今日の為に彼女は逆てるてる坊主を大量に作って、神社にお参りしに行った。僕はマンションの隣人で同じ大学の授業を受けている縁で、一緒にてるてる坊主を作る事になった。工場で大量生産する精密機械の様な正確さとスピードを求められたので、正直怖かった。 「千円札を賽銭箱に突っ込んだんだから、さっさと神様には願いを叶えて欲しいね」 「あんなに切羽詰まった顔してたら神様もドン引きするんじゃない?」  彼女は煙草を吸って、肺に少し溜めた煙を大事そうに吐き出す。灰を丁寧に落として、もう一度。元彼に教えられた、大人の遊び方らしい。  青春文学を読んでいる時みたいな曖昧な時間が流れていく。微かに聞こえる喧騒と馬鹿みたいな声で紡がれる元彼への罵詈雑言。色白な彼女の肌に、少しのニキビ。半月が雲の隙間から一瞬顔を出した。温い風に、彼女の表情が四季の様に優しく嫋やかに変化した。見ていてやっぱり飽きない。 「今何考えてるの?」 「ここからだと下の人達が豆粒みたいに見えるなって思ってるよ」 「しょうもないね。煙草吸う?」  藍色のボックスから飛び出た一本の煙草を僕はやんわりと拒否する。義務教育で学んだ教訓は、煙草と怖い女の子には近づくなという事だ。彩香はその枠組みの内側と外側を反復横跳びしているので、今は判断がつけられないが。 「……あれ?」 「やったじゃん、彩香」  彼女が空を見上げると、ポツポツと小雨が降ってきた。勢いは少しずつ増し、五分後にはちゃんとした雨が会場に降り注いでいた。僕達は用意していた傘に身を守ってもらいながら、下を眺める。屋台に隠れたり、折り畳み傘を使ったり、各々が雨風を凌いでいた。  彼女は大きく口を開けて笑う。  心の底から楽しそうに、会場を嘲笑していた。  僕は本当に性格悪いなあ、と思いながら悪い気分では無かったので同調して笑った。 「颯太(そうた)、あれやろっか」 「まさか本当に開封する時が来るなんてね」 「先見の明さんが私に囁いてくれたんだよ。雨が降るから我を買え、ってね」  彼女はスーパーで半額で売られていた線香花火のセットを力強く開けて、僕に手渡す。彼女も一本持ってライターで火をつける。先端から勢い良く火花が飛び出る。火薬の匂いが鼻腔をくすぐって、くしゃみが出そうになった。 「颯太、煙草吸う?」 「いや、だから……」 「吸ってよ、お願いだからさ」  彼女は何故か寂しげな瞳で僕を見つめる。真剣な顔で、また煙草を僕に勧める。なんでそんなに僕に吸って欲しいのか、理由は分からなかった。 でも、断るのも何か悪い気がしたので、一本だけならと貰っておくことにした。 「ライター貸してくれないか」 「無理。傘と線香花火で手、塞がってるもんね。つけるなら、私の線香花火でつけなよ」 「火傷(やけど)したらどう責任取るの?」 「また神様に願掛けするよ。火傷が治りますようにってさ」  僕は呆れて溜息をつく。  そして煙草を、彼女の線香花火に近づけた。パチパチと音を立てて煙草の先端がもがいている。 「……つかないじゃん!」 「そりゃそうじゃん!馬鹿だね!」  ゲラゲラと笑う彼女が、不意に線香花火を落とした。 「あれ、なんで私……」  彩香は目から涙を流していた。  困った様にはにかむ姿が余りにも眩しくて、もう駄目だった。 「誰も見てないから、好きなだけ泣いていいよ」 「……なんか私、一丁前に傷ついているみたいじゃん」 「強がらなくて、もう良いんだよ」  そう言って、遂に決壊した彼女の大雨を僕はハンカチでずっと拭っていた。  花火大会の中止を知らせるサイレンが流れて、雨で鎮火した彼女の煙草から出た細い煙が、空へとずっと上がっていった。  これからの未来はきっと、神様しか知りえない。
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