星屑の川を呑む

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「あたし、里の皆に知らせてきますね」  里長の屋敷を出るなり、羽衣(うい)はたっと駆け出して、織姫さまを追い抜いた。  羽衣は翠華と同じ、織姫さまの側女(そばめ)だ。里長の前でこそ口を閉じていたが、よくしゃべり、よく笑い、くるくるとよく働く。いつでも黙している翠華とは、対照的だ。  今にも舞い上がりそうに足取り軽やかな羽衣を、織姫さまはひきとめる。 「羽衣、まだ逢瀬が叶うと決まったわけでは。お父さまからお許しをいただいていないのですから」 「里長もだいじょうぶだって、おっしゃっていたではありませんか。あんなに素敵なのですもの、きっとお許しいただけます」  羽衣は、とんっと地面を蹴ると、空に舞い上がった。  人の姿から、かささぎに(へん)じて飛んでいく羽衣の姿を、織姫さまは眩しそうに眺めた。 「羽衣はいつも朗らかですね。ほんとうに、心が救われる……」  織姫さまは、ほほえみながら、あたりの風景をゆっくりと見渡した。  水の入った田が初夏の陽射しにきらめいている。七月七日を目前に、山々の緑は一段と深まっていた。 「羽衣だけではありませんね。彦星さまと引き離され、ひとり孤独に機を織っていた私を、皆さまがこの里に迎え入れてくださったのですから」  翠華は黙したまま礼をした。  このうつくしい人が里で暮らすようになった頃のことを、翠華は伝聞でしか知らない。  ただ確かなのは、翠華が生まれる前から、この人には想い人がいるということだった。 「翠華も、いつもありがとう」 「礼には及びません。羽衣のほうがずっと働き者ですから」 「でも、夜通し機を織っても灯りが尽きないよう、昼間のうちに油を注いでくれているでしょう。羽衣が持ってきてくれる夜食も、本当はあなたが作っているのでしょう」  翠華は、顔が火照るのを感じた。気づいていらっしゃったのか……  織姫さまは間近から、翠華の顔をのぞきこんだ。星辰の光をやどす瞳が、じっと翠華を見つめている。秘密がばれてしまった、という羞恥に、身体の中が焼かれ、まともな受け答えが思いつかない。けれど、その熱はどこか心地よさもともなっているのだった。  気づいてほしかったのだろうか。  翠華は、自問する。  気づいて、ほしいのだろうか、私は…… 「翠華は言葉少なだけれど、私のことをとても思い遣ってくれていますね」 「……口下手で。いつもご不便を」 「いいえ。言葉をとても大切にしている証拠」  織姫さまは翠華の手をとった。機織りに明け暮れているにも関わらず、白く、うつくしい手だった。 「そんなあなたには、どんな言葉を持ち入れば、感謝の気持ちが伝わるのでしょう」  ありがとう、翠華。  翠華は動揺に震える吐息を呑んで、唇を結んだ。大きく波立つ心が溢れないよう、そうするのが精一杯だった。
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