星屑の川を呑む

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翼衛(よくえい)、皆を集めてくれ。織姫さまを対岸へ届けたい」  翠華の訪問を受けて、翼衛は面くらった顔をした。ずぶ濡れの上、挨拶もなしに言い放った翠華に、戸惑った表情を向ける。 「里長から遣いが行っただろ。今日は、なしだ」 「承知の上だ。お前が声をかければ、皆きっと集まる」 「そんなわけあるか、里長が決めたことだぞ。お前、多分そういうところがあるから、俺が選ばれたんだよ。織姫さまが大切すぎて、周りが見えなくなる」  翼衛はばりばりと頭を掻くと、手拭いを持ってきた。翠華が受け取らないので、頭にかぶせて乱暴にがしがしと拭く。 「……だったら、小筒を貸してくれないか」  翼衛が目を見開いた。  ああは言ったが、断られるだろうと思っていた。里長の決めたことにわざわざ逆らって、お咎めを受けたがる者などいない。本当は、最初からそのつもりで来たのだ。  翼衛の家には、代々伝わる小筒がある。ずっと昔、翼衛の先祖が天帝から賜ったという宝物(ほうもつ)で、どんな大きなものでも中に入れることができた。翼衛も時折、牛や馬、材木などを入れて運ぶのに使っている。 「あれに織姫さまを入れて運ぶのか? (おそ)れ多いだろう」 「頼む」  無論、織姫さまが嫌がるならそれまでだ。だが翠華には、あの方が窮屈な小筒に入ることを厭うようには思えないのだった。  屋敷を飛び出す前に見た、静かな背中を思い返す。  内に流れる悲嘆を抑えつけて佇む、その姿を。  溢れ出ようとする想いを抑えつける苦しさを、翠華は痛いほど知っている。  頭を下げると、翼衛が見下ろしているのを感じた。同時に、決めかねている空気も伝わってきた。 「たしかに一羽で天の川を越えた者の話も聞いたことはあるが。しかし昼間、晴天のときと聞いたぞ」 「ならば越えられぬこともないはずだ。命燃やす覚悟で望めば」 「どうしてそんなに必死になるんだ? 一年だぞ。それだけ待てば、また会える日が来る」 「お前は、一年の長さを知らない」  夜通し機を織るのは、きっと眠れないからだ。  明るいうちは微笑みながら里の者たちと過ごしていても、夜、一人になれば、()うる気持ちがあふれ出す。だから側女の二人にも声をかけずに起き出して、機を織る。どうにもできない心を、布の一段一段に封じ込めるようにして。  自分ではない人に向けられた健気さが愛おしくて、苦しい。  でも、その苦しさは、織姫さまが抱えているものとよく似ている──似ていると、勝手に思っている。抱えた想いに胸を食い破られそうな苦しみは。 「一年も待っているなんてできないんだ。……頼む」  翼衛はしばらく黙っていた。  しかし、やがて根負けしたのか、家の奥から家宝を持ってきてくれた。  小筒は親指ほどの太さ長さで、黒い漆の地に、金色のツタの意匠が巻きついている。この大きさなら首にかけても飛翔を妨げることはないだろう。 「あまり高いところを飛ぼうとするな。水面すれすれを飛ぶんだ。風が強いから」 「ありがとう」  翠華に笠を差し出しながら、翼衛はあきれたように言った。 「お前は無口だが、激情家だな」
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