4 流れ星 月の裏側

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4 流れ星 月の裏側

スピッツの楽曲にSSを書く 4 流れ星 月の裏側  君が会社で苛められていることを、僕は君の友人のTwitterで知った。  君は出張続きの僕に気を使って、僕の電話では元気なフリをしていた。  ――あの子が言うまで、黙っててあげて。  僕は、電話口で君の友人に忠告された。  ――同情されるのが辛いってこともあるからね。  君は常に頑張りすぎてしまう人だ。何事においても。  休日にキャンプに行って楽しすぎて、休みの日なのにクタクタになってしまう。  僕はピンボールの玉のような君に振り回されながら、君をどうやって休ませようかと首を捻っている。  君が家にひとりでいられないのは、両親が共働きで、子供だった君が母親の実家に行かされていたからだ。  祖父母はいい人だったけれど、君はいつも彼らに迷惑をかけてはいけないと思っていた。  君の胸には、いい子でなければ生きていけなかった子供の傷のようなものがある。  わがままを言ってはいけない、自分の食べたいものに真っ先に箸をつけてはいけない、悪口を言うのは卑怯。君は君を縛る牢屋を作って、自分でそこに入ってしまう。  君のその人格的な潔癖さはどこから来るのだろう。  僕は君を観察するのが趣味だから黙って君の隣にいる。そして君を縛る牢屋の在りかを探しては、なぜ君はそんなことをしているのだろうと考えている。  せめて僕だけでも、君がすこやかに息ができる場所になれないだろうか。  ふかふかで端がすこし擦りきれている、ライナスの毛布。天使の羽の付け根。猫のたるんだお腹。君の口元を緩ませる、やわらかい何かに。  でも弱音を吐くのが苦手な君は、僕に明るい顔を見せるばかりだ。  月の裏側を暴き立てる衝動にかられては、自分を抑えつけている。  君を信じるとはどういうことか、君の笑顔が擦りきれてしまわないか、僕はずっと考え込んでいる。  人生のロードマップを考えて、将来君と結婚するのだから心を削ってまで今の仕事をしなくてもと考えてしまう。  先週の休日に君と会ったとき、君は珍しく疲れた顔をしていた。  ――超過勤務が多くてね、ちょっと疲れちゃった。  君の頬がすこしこわばっていて、僕はすこし切なくなる。  まだ君は僕を頼ってくれないんだなと、ため息を殺しながら考える。  僕が買ってきたぬいぐるみを君は喜んでいた。なめらかなタオル地の、ピンクのうさぎ。洗濯機で洗えるから、枕元に置いておくといいよと僕が言ったら、君は嬉しそうにニコニコしていた。手触りのよいものが好きな彼女の好みを考えて、最高級のタオル地を使ったぬいぐるみだった。  ピンクのうさぎを抱いて、君は湯気の立つコーヒーカップをじっと見ていた。  僕が名前を呼ぶと、君はハッと目を見開いて、なんでもないの、と首を横に振った。  ――何か、悩んでることがあるんじゃないか?  僕の口から本音が出てしまった。君が目に壁をつくる。これ以上入ってほしくない。君の目がそう語っている。  でも、僕の我慢ももう限界だった。  ――僕がふがいないから言えないかもしれないけど。  ――ふがいないのはあなたじゃない。  潰れた声で、君は呻いた。  ――言葉にしちゃうと、自分が駄目になっちゃうの。  座った膝に置かれた手がぎゅっと握られている。  ――自分が現実だって認めちゃうと、ほんとになっちゃうの。だから言葉にしちゃ駄目なの。  君の目は、怯えた子供のそれだった。  君は君の牢屋に閉じこもって、自分で自分を弱らせてしまう。  君がうさぎを両手で抱きしめる。うさぎのふかふかのタオル地が君の心を鎮めていく。  ――でもそれは君に起こったことだろう? それを直視しないと、始まらないよ。  ――私が悪かったの。  君は甲高い声で自分を否定する。  ――だからもう終わりにしよう、この話。変な顔してたからかな、ごめんね。  君が笑う。ピンで口の端を吊り上げたように。ピンクのうさぎの顔が君の腕でひしゃげる。  ――だいたい物事は、片方が完全に悪いということはないんだよ。  僕は君の心に話しかける。真っ先に自分が悪いと思わなければ生きていけなかった、君のなかの小さな子供に。  君のにせものの笑顔のなかに逃げていってしまう、やわらかでかぼそい輪郭に。  ――相手を悪いと思ってもいいんだよ。  君は曇り空を顔に広げて僕を窺っている。  ――そんなの、自分に都合のいい言い訳だよ。  ちらりと、本当にちらりと駄々っ子の君が顔を覗かせる。  もっと出てきていいよ。安心して僕を責めてほしい。  どんな君が出てきても、僕は君の手を離さないから。  低い声で君が話し始めた。  会社で自分が無視されていること。無気力に仕事をこなすことを信条にしている同僚のなかで、自分だけが先走って業務を進めて同僚に煙たがられること。 (あなたが関わると、かえって迷惑なんだよね)  日常のタスクが溜まっていくのに、仕事をやればやるほど同僚が離れていってしまうこと。  ――仕事が好きなのに、会社に行くのが怖いの。  ぽつりと君が言う。  ――仕事するのが嫌なら、辞めればいいのに。  君がハッとして、ごめんさない、と謝る。  謝らなくていいよ、と僕が君の髪を撫でる。君はおとなしい猫のように、僕の手の感触をじっと味わっている。  君のなかのムカデを僕は追い出したい。きちんと君がやわらかい毛布に包まれて眠れるように。  ――やめちゃえ、って、思っていい?  ――叫んじゃえ。  君は僕の手を自分の手で包んで微笑んだ。曇り空に射した、六月の陽光。  ――……やめちゃえ。  ――もっと大きな声で。  ――仕事、したくないならやめちゃえ!  僕の手をマイクにして、君が叫んだ。いいぞ、その調子。  ――やめてしまえ!  君が僕の手を両手で包みながら叫ぶ。そして笑う。りんごのような、赤と黄色の斑な頬をして。  ――やめちゃえ!  僕が君の髪をぐしゃぐしゃに撫でると、君は蒸気が上がりそうな顔で笑い出した。全開の笑顔。君のなかの氷が溶けた。カゲロウの羽ばたきで胸がふるえる。  君の胸につかえた氷がいくつあるのだろう。  君が針を呑みながらこらえた夜がいくつあったのだろう。  僕はその痛みを感じることはできないけれど、君の隣でいっしょに笑っていたい。  君の笑顔をいくつも集めて、胸のなかでずっと覚えていたい。  僕らは窓を開けて空を見上げた。薄墨のように流れるセピア色の雲を透かして、いくつもの星の光が見える。  君の月の裏側に少しでも光が届けばいいと、僕は願う。  君の憎しみも悲しみもすべて包み込める、ライナスの毛布があればいいと思う。  器用に人を責めて生きられないやわらかな心に、僕は寄り添って生きていたい。  僕の隣に座る優しい生き物に、尊敬のまなざしを送る。君が僕を見つめてはにかんだように笑う。  君はピンクのうさぎを抱えて空を見上げながら、カフェオレの空だね、と言った。
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