地獄とも言え天国とも言え

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 私がぼっちだからって勘違いしないで欲しいが、嫉妬して怒ってるんじゃない。嫉妬させて楽しもうとする腐った根性に対して怒ってるんだ。大体だ、俗物とは一線を画す自己を矜持し、世間体を気にして妥協してでも結婚する、そんな俗物にはありがちな真似はとても出来ず、根っからの面食いで序に言えば、美巨乳大好きのこの私がそんじょそこらのカップルに嫉妬したり俗物同士の付き合いを羨望したりすると思うか。下衆の勘繰りで思うのだろうが、俗物の浅薄且つ卑劣な精神で勝手に当て推量されては本当に困る。  斯様に私は俗物どもからいつも誤解される。そして根も葉もないあらぬ噂を立てられる。奴らは陰で悪し様に面白おかしく言い触らしているのに違いないのだ。  ま、いいさ、昔から異人は俗物どもから馬鹿にされたものだ。だから名誉なことと思えば良いのだ。  私は尊大になっている訳じゃない。どう見ても俗物どもより私の精神は高潔で気高いのだ。だからこそ俗物どもに理解されないのだ。それはアポステリオリに知ったことで出会う人間悉くそうだった。  当然、家が密集した住宅地で孤立する私は、毎日周囲の俗物どもから干渉される。近所付き合いしないし町内会に入らないからだろうが、近所付き合いするしないも町内会に入る入らないも私の自由だ。融通無碍に生きたい私は俗物と拘わる位ならぼっちの方が絶対良いので出来るだけ拘わらないようにしているのに当てつけがましく嫌味をしてでも拘わろうとする、それが俗物の俗物たる所以で兎に角、陰湿で陰険で執念深いのだ。  アメリカの何処だか知らないが、だだっ広い土地を隔てて家がぽつんぽつんと建つ住宅地を映像で見た時、私がもし、こんな所から今の所に引っ越したとしたら生き地獄に感じるだろうと思った。普通の人間では耐えられないだろうし、私にしても好き好んでこうしている訳じゃなく子供の頃は友達が沢山いて社会に溶け込んでいたが、大人になってみると周りの者が皆、俗物になってしまうから私は自ずとぼっちになるのだ。けれども、もう慣れっこになったし、これが俗世に於ける自分の必然の在り方と諦観しているからどうってことはない。お陰で孤独を愛せるようになったし、弱者の弱味に付け込もうとする俗物の習性が分かったことだし、これが私に与えられた特別な運命だと割り切れるようになったのだが、実は結構いい身分だったりする。何故そう言えるか?その秘密はここでは詳らかにしないが、これからもよろしくと言える人がいるのは確かだ。その人のお陰で工場に働きに行かなくて済む。それだけでも幸せなことだ。何しろ私にとって工場こそが地獄だからだ。俗物の巣窟と言っても良い位だからね。ハッハッハ!嗚呼、考えるだけでも悍ましい。目覚まし時計に叩き起こされ、憂鬱一色になってしまう出勤前、よく続いたものだ。と言っても職場を転々としていたが、もっと地獄だったのは高校時代だった。それに比べれば今は天国だ。好きなビートに乗れて好きな晩酌出来て好きな小説読めて書けて…他にも人に言えないような楽しみがわんさかあるのだ、私には!
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