雨担当の者ですが

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雨担当の者ですが

「また依頼がきたよ」  手にしたデバイスが震え、画面にメッセージが表示された。 「〈明日の遠足が面倒なので、雨にしてください〉だって」 「かわいい願いじゃないか。幼い小学生だろ? それくらい気持ちよく叶えてやれよ」 「まぁ、それが俺の務めだから叶えてやるけどさぁ。なんだか、雨を乞う願いって、どれもこれもジメジメしてるよなぁ。それに比べてお前は――」 「晴れ(・・)担当だから羨ましいってか?」 「羨ましがっても仕方ないのはわかってるよ。それぞれに与えられた職務なんだから」 「ほら、見てみろよ」  晴れを担当する男のデバイスを覗き込む。 〈来週は二人の結婚式。一生に一度の大切な思い出にしたいので、絶対に晴れにしてください!〉 「ほらみろ、ポジティブな願いじゃねぇかよ。そりゃ仕事もはかどるだろうな」 「まぁ、そう愚痴るなよ」  気が進まぬまま仕事道具の如雨露(じょうろ)を手に取ったとき、新しいメッセージが送られてきた。 「またきたぜ」 〈今週の土曜日、別れた彼氏が新しい女とデートするので阻止したい。動物園に出かけるそうなので、大雨を降らして欲しい。彼の幸せをブチ壊してやりたいのでお願いします。絶対に、雨よ降れ!〉 「昔の担当者は、干ばつや水不足を救うみたいな大仕事もあったそうだが――たまには恵みの雨を乞う依頼が欲しいもんだよ」  雨を担当する男は浮かない表情のまま、手にした如雨露を傾け、下界へと雨を降らせた。 「どうも」  ベッドに横たわり、ダラダラとスマートフォンの画面を眺めていた美咲。耳に飛び込んできた声に目をやると、そこには見知らぬ男の姿。表情を一変させ、叫びだそうとした美咲を、男は制した。 「……誰、ですか?」 「雨担当の者だよ」 「雨、担当?!」 「君、雨を願ったよね。付き合ってた彼氏と女とのデートをぶち壊したいって」 「あっ」  心当たりしかない美咲は、思わず口に手をあて、顔を赤らめた。 「ひとつ提案なんだけど――お天道さまに雨を降らせてもらったからって、君の気持ちはきっと晴れないと思う。それだったら、君自身の手で雨を降らせてみれば? って」 「そんなこと……できるんですか?」 「特別だぜ」  男は窓の外を指さした。そこには晴天の空が広がる。 「早くしないと、二人は初夏のデートを楽しんじゃうぜ」  男が手を差し出すと、美咲は頷きながら、その手を掴んだ。 「ここで天気を操ってるんですね」 「そうだよ。ここが俺たちの職場さ」  美咲は遥か眼下に広がる下界を眺めた。 「わたし、一生懸命彼に尽くしてたんです。わたしから何かを望むなんて、なかった。彼のわがままをすべて受け入れてきたはず。それなのに彼は――」  最終的には傷しか残っていない。ただ、幸せな時間があったのも事実。彼との日々を回想する美咲の目には、じんわりと涙が滲んだ。 「与えるばかりが恋愛の正解じゃないかもな。人によって望む幸せの形が違うんだろう」男が美咲を諭す。 「感傷に浸ってる場合じゃないぜ。ほら、彼が女とのデートを楽しんでるぞ。このままじゃ、どんどん二人の仲が深まっちまう。急ぎなよ」  男はズラリと並ぶ天気の道具を指差し促した。下界の様子に慌てた美咲が如雨露を手に取ろうとした時だった。 「あっ!」  勢い余って、隣に並べてあった缶を倒してしまった。 「バカッ!」  男が制止しようと試みたが、時すでに遅し。缶からこぼれた大量の雪が、ひらひらと下界へ舞っていった。 「見てみろよ。憎き彼と女がはしゃいでるぜ。そりゃそうだよな。初デートに季節外れの雪が降るなんて。そんなドラマチックな演出、聞いたこともない」  だらりと肩を落とし、恨めしそうに下界を眺める美咲。 「最悪……ぶち壊すつもりが、華を添えちゃうなんて」 「まぁ、自分でやったことだからな」 「そうだね……」 「結局、天気に頼ったところで、どうしようもないってことだよ。自分の心の天気は自分で決められる。ちゃんと願えば晴れにだってできる。すべてを笑い話にすればいい。きっと新しい恋愛が待ってるよ」  男の気遣いに応えるよう、美咲は小さく頷いてみせた。 「ところで、ここからどうやって下界に帰れば――」  美咲の問いに下顎をこすりながら思案する男。名案を思いついたのか、その目を輝かせた。 「特別だぜ」  男は大きく振りかぶり、下界目掛けて腕を振った。男の手には刷毛が握られており、そこから七色のインクが飛び出した。アーチを描きながらカラフルなラインが伸びていく。やがてそれは輪郭をはっきりとさせ、一本の道となった。 「悲しみの雨がやめば、晴れ間が覗くだろ。そのあとには何が見える?」 「虹?」 「気をつけて帰りなよ」  美咲を見送った男に、尖った女の声が飛ぶ。 「ねぇ、聞いてよ! 彦星ったら趣味に没頭して、わたしのこと、見向きもしてくれないの。今年のデートはおあずけにしてやるんだから! 七夕の日は、絶対に雨を降らせて!」  織姫からの悲痛な訴えをからかうように男は言った。 「その願いは、短冊に書いてくれよ」
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