父とオハギ

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 梅雨入りの発表がされた日、オハギは亡くなった。  もう十五年も前になる。僕がまだ小学四年生の頃だ。オハギと言っても、和菓子のおはぎではない。我が家で飼っていたパグ犬のことである。愛らしかった彼は黒い毛と真ん丸な顔から、父にそう名付けられた。好物から名前を拝借したという。  奇天烈なネーミングセンスを持つ父は左官屋だ。地元の工務店で建物塗装をしており、地域での評判も悪くなかった。近所のお婆さんが家の塗装を依頼した際、高野さんに必ずやってもらいたいと指名された、と母が得意げに言っていた。  僕としてはすぐ近くで父が働いているのはこそばゆかったが、通学時にその家の住人から「立派な仕事をありがとう」と声をかけられるのは、密かに誇らしかった。  だから父の職人としての腕は確かだったのだろう。  とはいえ、僕は仕事人としての父を尊敬していたが、家庭での父には失望していた。それは社会人になった今でも変わっていない。  一つ目として〝いつもは無口なのに、酒を飲むと話しかける〟。  寡黙な人間が酒の力を借りて、関わってこようとするうざったさが分かるだろうか? 口数の少ない人間には二タイプある。深く考えて行動する者と、口が悪いので関係を損ねないよう黙っている者だ。父はどう考えても後者だった。  美術の授業で描き終わらなかった画用紙を持ちかえった日。僕は手狭な自室を避けて居間に新聞紙を広げ、水彩画を完成させようとしていた。  牧場にいる乗用馬の絵だ。白い身体は純白一辺倒ではなく、青白い部分なども描く。脚には、土で茶がかった部分を描きくわえた。背景には陽光による陰影を細かく描いた。我ながら力作だ。  そこに雨で現場仕事がなくなり、甚兵衛を着て昼間からちびちび酒を飲んでいた父がやってきた。 「おい、この馬の鞍。つまらねえ茶色だな」  僕の絵を覗き込み、「貸してみろ」と荒々しく筆を取り上げる。それをパレット上の橙色の絵具に突っこみ、鞍に一筆のせた。  茶色の鞍にのった橙は、誤魔化しようのない量だった。  ティッシュで取り除き、少しの水でぼかしても、ほんのりと明るい色は姿を消してくれない。僕は作品を台無しにされた悔しさでわなわな震えて、やけくそになった。筆に橙色を加えて、茶色の鞍全体にまぶす。  抗議の視線を投げようと父を探すと、彼はコミュニケーションの失敗を悟ったのかテレビを見ていた。  そして何が一番腹が立ったかというと、この絵がクラスで金賞を取ったことだ。美術の教員が、鞍の表現が素晴らしいと褒めたことも許せなかった。授業参観で廊下にならぶ絵を見た父が「やっぱり良くなったな、この絵」とつぶやいたのも忘れられない。  二つ目の軽蔑すべき点としては〝男はこうでないといけないという思想が強い〟。  車は男がハンドルを握るべきだ、妻は運転してはならない。家の購入などの重要事項の決定は父親が決める。細かいこだわりがたくさんあった。  もちろん女、子供に手をあげてはいけない。そういった美徳もあったが、耐え難いのが『男は他人に涙を見せてはいけない』というルールだ。なんて時代にそぐわない古臭い考えだろうか。  そのルールは僕が幼くとも適用された。  小学校に入った時、僕は地元のサッカークラブに所属した。へたくそなチームだった。キーパーへ戻そうと蹴ったボールが、そのままオウンゴールになることすらあった。  大量得点をとられ、戦意喪失しながら走っていると「一矢報えないなら、家に帰ってくるんじゃねえぞ!」と父は怒号を飛ばしてくる。慰めの言葉なぞかけられた試しがない。  小さい僕を哀れんだ相手がゴール前でマークをわざと外してくれ、得点したこともあった。誰がどう見ても八百長なのだが、静かなベンチの中で父だけは「よくやった」と手を叩いていた。
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