雨になーれ!

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 東京の大都会に来ると、僕は昔の記憶を思い出す。思い返せば、あの後から僕の人生は変わった気がする。あれ以降、学校自体が嫌になったから、中学まではろくに行かなかったし、高校も通信制の高校を選んだ。だからあの頃からプールには一度も入っていないし、体育もしていない。まともな教育なんて受けた記憶はない。  残念ながら、友達はいない。世間が求めるような学校の思い出もほとんどない。学歴もないから、正直社会で生きていくのはしんどかったりする。  それでも、僕は仕事をしながら生きている。嫌なことから逃げ続けてきたわけだが、神は僕を生かすことに決めたらしい。僕みたいな人間でも、いないよりかマシなのかもしれない。  あのとき、踏ん張ってみんなと一緒にプールの授業を受けていたら、僕はどんな未来を送っていたのだろうと想像することがある。今よりももっと楽しくて、辛いこともあって、人間らしかったのだろうか。社会と交わることができて、まともな大人になっていただろうか。世間に恥じない生き方ができていただろうか。  しかし、あのまま泳ぎ続けていたら、僕は溺れて死んだかもしれない。生きることすら許されない。そんな運命だったかもしれない。それはそれで、あまりにも残念な人生だ。  何が正しいかなんて、僕にはわからない。泳ぎ続けることが人生を豊かにするきっかけだったのか、それとも地獄へと続く道だったのか。ただ、今を生きている僕が選んだのは、東京に逃げることだった。学校の門を飛び越えて、駅まで歩き、東京駅まで電車に揺られた僕は、怖かったが希望に満ちていた。あれを「間違っている」なんて言葉で片づけられたくない。十歳だった僕も、子供なりに苦悩を抱え続けていた。それがあのとき爆発してしまったのだから、どうしようもない。  そう、どうしようもないことだ。これは言い訳かもしれないし、負け犬の遠吠えかもしれない。しかし、あのときの僕は東京へ逃げることしかできなかった。正解とか不正解とか考える余裕もなく、ただただ必死でプールから遠ざかることを願い続けた。 「いやあ、今日も雨が降るみたいですよ」  どこかのサラリーマンが空を見て嘆く。 「嫌ですね、雨」  後輩らしき人が雨を嫌がっている。 「ジメジメするし、いっそ晴れが続いてほしいですよ」 「本当だよな。曇天はテンションが下がる」 「ですねえ」  彼らはきっと、プールが好きだったのだろう。みんなと泳いで、はしゃぐことができた人種。僕とは違う。  僕は右足の靴のかかとを踏んだ状態で、人目も気にせず靴を飛ばした。心の中で「雨になーれ!」」と叫びながら。僕の飛ばした靴は放物線を描いて飛んでいき、やがて鈍い音を立てて着地した。そしてその靴の様を見て、僕は小さく微笑んだ。  靴は僕の操作なしに裏を向いていた。  
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