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「ユキさん、こんにちは」
扉を開ければ、珍しく体を起こした彼女がいた。
最低限の家具しか置かれていない無機質な部屋に、わずかに差し込む日差しが辺りを照らす。
風に揺らぐカーテンをじっと見つめていた視線が、ゆっくりとこちらを向いた。
「……あぁ……こんにちは」
ぼそり、と呟くように言った声は、ひどく弱々しい。
細くやせ細った身体。
たるんだ皮が首にシワを作り、薄く血管を浮かせていた。
何度見ても慣れることはない……、母親のひどくやつれた姿。
「窓開けてたの?今日天気、いいもんね」
目の前の現実を受け入れようと、無理やり微笑みを作りながら語りかける。
見舞い用の椅子に腰かけ、買ってきた和菓子を数個、母の膝の上に並べれば、瞳に小さく光が宿った気がした。
「…どれか気に入った?」
母は昔から和菓子が好きだった。
よく駅前にある老舗の和菓子屋さんで買って帰ってきては、
「これが一番美味しい」
「この新作は微妙」などと、お昼の番組の毒舌評論家のごとく意気揚々と話していたのを覚えている。
あの時の俺は、ろくに会話も聞きもせず、手元の携帯ゲームに夢中な日々を送っていた。
だから、母が好きな和菓子の種類は知らない。
覚えていない、というのが正しいだろうか。
あんなに、一緒にいたのに。
あんなに、伝えてくれていたのに。
どうして、忘れてしまったんだろう。
どうして、聞いてあげなかったんだろう。
あの時プレイしていたゲームの、ラスボス戦のBGMは覚えているのに。
どうして大人になった今でも、くだらないことほど記憶に残っているのか。
「……これ?琥珀糖?食べる?」
ひし形のプラスチック容器に入った、色とりどりな宝石のような見た目の砂糖菓子。
それを持ち上げてみれば、母の視線がそれを追いかけて宙を舞った。
蓋を開けて、手のひらに青い琥珀糖をひとつ乗せてやれば、視線がそこに移る。
……何を思ってるのだろうか。
時々、見舞いの品として、和菓子を持ってきては母の反応を見る。
あまり望んだ結果は見られないけど、こうしてたまに、何かを感じたかのような反応を示すのだ。
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