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家に帰ると、優奈は色鉛筆とスケッチブックを探し出した。優奈は色鉛筆で絵を描くのが好きで、ギャラリーの画家のように植物や風景画を描いていた。紫陽花の絵には、 「紫陽花には雨が似合う。 紫陽花に降り注ぐ雨、 それを聞く六月の午後」 という詩が添えられていた。優奈は、絵を描くのが楽しかった。あの日までは……。 まだ、優奈が学校に行っていた頃、時々、絵が好きな同級生とお互いの絵を見せあっていた。だが、ある時、優奈が嫌いな教師が無遠慮に近づいて来た。 「優奈、勉強はしいひんけれど、絵は描くんやな。先生にも見せて」 「……」 「デッサンがなってへんな。基礎ができてへんしやね」 「私はただ好きで描いているだけです」 「我流でやっても、変な癖がつくだけやで。頑張って勉強せんと」 優奈と絵を見せあっていた同級生は、小さい頃から、絵画教室に通っていて、整った絵を描いていた。教師は同級生の絵を、「さすが基礎ができている」と褒めた。 ーーあんな人が先生やいうて、大きな顔している学校って、なんやの? ーーあんな人にけなされたからって、好きなことをやめるなんて、アホやったな私。 ーーまたギャラリーに行って、おじさんに絵画教室のことを聞いてみたいな……。 いつもは憂鬱な心療内科の診察が、待ち遠しく感じた。「デッサンがなってない」と馬鹿にされて描けなくなっていた絵も、また描いてみる気になったのだった。葉書サイズの紙にピユを描いてみた。可愛いピユの絵が描けた。絵を描くことは、楽しくて癒やされる。 二週間後、その日も雨だった。心療内科の診察を終えると、優奈はギャラリーに急いだ。今日は、玄関の飾り窓に雨に濡れた紫陽花の絵が飾られていた。 「あのぅ、すいません。絵を見せてもらいに来ました」 「ああ、いらっしゃい」 「絵画教室のことも教えてほしいさかい……」 「絵が好きなんやね。ちょっと待ってな」 おじさんは、絵画教室の案内や、体験レッスンの申し込み書を取りに行った。ギャラリーはカフェも営業していて、香ばしいコーヒーの香りが漂っていた。坪庭側の席からは、紫陽花が雨に濡れているのが見える。 ーーおじさんは中学生の私が学校にも行かず、こんな時間にギャラリーに来ても何も言わはらへんな。 ーーあ、私、自己紹介もしてへん! 「おまっとうさん。これが絵画教室の案内。お父さんやお母さんに、相談せなあかんやろ?」 「はい、言ってみます。あの、私、月森優奈(つきもりゆうな)といいます。学校には行ってなくて……」 「そうなんやな……」 おじさんは、遠い目をした。学校に行っていないことを責めることもなく、ただ、自分の過去と向き合っているみたいだった。 「……絵画教室のこと、親御さんに言える? 大丈夫?」 「……大丈夫やと思います」 雨はまだ、降り続いている。
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