雨の音色

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 小学五年生に上がる直前、私はアメリカに移住することになった。ニューヨークは日本とはなにもかもが違った。  知り合いも友人も誰もいない環境。不安で仕方なかったけれど、音楽がそれを救ってくれた。海外の人は日本人よりも音楽に密接で、楽しければ歌うし、悲しくても歌う。ひとたび音が聞こえてくると皆は手を叩いて踊る。  私にはそんな文化が合っていたのかもしれない。友だちはすぐにできて、毎日を楽しく過ごすことができた。  相変わらず父はアメリカでも有名人で、父の名前を出すと友人たちは驚いた。  高校生になった頃、友だちと初めてライブラハウスに行ったときのこと。小さなその地下のライブハウスのステージで歌っていたある黒人の女性シンガーに私は魅了されてしまった。力強く、時に繊細で、美しい歌声を披露する。  まだ無名だった彼女は、私の人生を大きく変えてくれた存在。彼女がいたから私はミュージャンを目指したいと思った。  そこから本格的にピアノやギターを勉強し、作曲にも力を入れるようになった。  父はやっぱり家を空けることも多く、世界中を飛び回っていた。  私がミュージャンを志したことを知って、喜んでくれるのかなとも思ったが、久しぶりに自宅に帰ってきた父は私の作った曲を聞いて一蹴した。 「舐めるなよ」  その言葉は今思い返してみても深いものだったと思っている。  浅はかな考えで詩を書き、曲を作った。父にとってみれば、それはお遊戯会の出し物と変わらなかったのかもしれない。  それでも一生懸命作った自分の曲をそんな風に(けな)されて頭にきたのも覚えている。ムキになって他にも色々と曲を作り、その度に父に見せたのだが、彼が私の曲を褒めたことは一度もなかった。
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