雨の音色

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 その頃からだろうか、父と距離を置くようになったのは。父の楽曲や出演するテレビ番組もことごとく避けるようになった。それは私にとってはささやかな反抗だったのかもしれない。思春期特有の抵抗を私なりに変換させた結果だったのだろう。  十九歳のときに私は日本に戻ることになる。シンガーとして日本でデビューを果たすために。  それはすぐに叶った。  父の知り合いの業界関係者を通じて日本でも有名なプロデューサーが私を見つけてくれた。話はとんとん拍子に進み、二十歳を迎える直前に私は『yuu』という名前でデビューを果たす。  両親は賛成も反対もしなかった。あなたがやりたいのならば好きにすればいい、そんな感じ。応援もしないし、援助もしない。それが条件だった。  その中で父が言った言葉がある。 「この世界は甘くない。自分を過信するなよ。努力を怠ったときに転落は始まる」 「はいはい」  二十歳にも満たない少女にとって、その教えは到底理解できないものだった。父はデビューが遅かったから、まだ若い私に嫉妬しているんだと勝手に解釈して、意味のない優越感に浸っていたのも事実。  私のデビューシングルは大手レコード会社のバックアップもあって大々的に宣伝がなされ、多くの広告に使われた。テレビやラジオに引っ張りだこ。雑誌の取材は連日連夜で、大型新人歌手としてスターダムにのし上がっていく。  楽曲は映画の主題歌にも使われ、街を歩けば私の曲が聞こえてくるような状況だった。  天性の美声。そしてキュートなポップソングは世間に大ウケした。  その後もヒットを続け、私の名は日を追うごとに広がっていく。もちろん、父の名前が使われることも多かったが、これは私の実力だと、私が自分で勝ち取った場所だ、と勘違いしていた。  
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