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見る見る間に、地面に黒い丸が広がり始め、俄に雨の匂いが沸き立つ。
――勘弁してくれ、今日は蝙蝠傘はないんだ。
一日中曇りであることは、ラヂオで知っていた。しかし雨が降るとは聞いていない。いや、当たるも予報、当たらぬも予報であるから、一々責めても居られない。
雨に打たれるのは、大の苦手であった。
百歩譲って夏は良い、濡れても大病にならない。ただ秋冬と春先は別だ。
傘などなければもう地獄だ、八寒地獄だ。仕事用の革鞄はあるが、大雨に打たれでもしたら、たまったものではない。
天より落ちる悪意ある雨粒から逃れるべく、急ぎ足で良さそうな軒先を探すが、体の良い軒先が中々ない。
まずい――。
そう思った時、煙の臭いが鼻についたのを思い出した。
確か、次の角を曲がった先に、例のくたびれた本屋はある。本屋なら雨宿りに入っても問題はないだろう。そう思いながら、足早に店に向かった。
角を曲がると、すぐに見えてきた。
――望月書店。
白地看板に掠れた黒文字。やけに店名が新鮮に映った。両隣が畑や空き地で、軒が少しばかり出ている。店の入り口は曇ったガラス戸で、わずかに開いていた。
遠巻きには開店しているかどうかも分からない。よしんば閉店だったとしても、これくらいの軒先があれば、人一人くらいは余裕で雨を凌げるだろう。
息も絶え絶えに軒先に飛び込んだ。
「雨は嫌だ」
一息ついた開口一番、天への呪詛が漏れた。
憎々しく見上げると、無慈悲に雨が降ってくる。しかも、先程より勢いを増している。
煙と雨に巻かれ、傘一つなく、開いているかどうかわからない本屋の前で、私は何をしているのか。
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