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プロローグ
三月の末―――暦の上ではとうに春でも、夜更けの冷え込みは冬の温度を保ち、バーの扉を出た瞬間から酒気を帯びた息が白くたなびいている。
(いい夜だったと思ったのに)
常連とまでは言えない、たまさか訪れるバーのカウンターでわたしがカクテルを頼む間、他の客と言葉を交わすことはほとんどない。あちらこちらのひそやかなささめきとかすかな酔いの気配。その空気に身をひたすように一人ゆっくりと時を過ごす。
大人のふるまいで場に溶け込むことはできても、ひどく背伸びをしている自覚はあった。
ぽっかりと空いた夜をただ埋めたいだけ。偶然席で隣り合った誰かと短い恋をすることも過去にはあったけれど、近頃はもう、そんな探り合いのコミュニケーションに割く気力も尽きてしまっていた。なのに今日に限って。
(失敗した。)
ぎゅっと眉間にしわが寄っているのが自分でもわかる。
人通りの途絶えた深夜の街中。
目の前には、いまにも雪になりそうな寒空の下すやすやとベンチで寝息を立てる男性が一人。
このままにしておけば凍死間違いなし。
(どうしてこうなった…。)
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